第3章ー21
なお、ソ連軍のKV戦車に対してはこれまでに対戦した経験を生かして、日本軍はそれへの対処法を事実上は確立済みだった。
「KV戦車は機動力に劣る。煙幕手榴弾等の活用によって戦車の視界を奪い、更にソ連軍歩兵と分離することで、新型携帯式対戦車用噴進弾の餌食にしろ」
右近徳太郎中尉は、そのように部下に命じて、そのようにKV戦車に向かっていた。
右近中尉の本音としては忸怩たるものがある。
この場で対戦車砲まで含めて歩兵が扱う対戦車兵器の中で、まともにKV戦車の装甲を正面から打ち破れるのは、皮肉なことに自分達が扱う新型携帯式対戦車用噴進弾しか存在しないのだ。
500メートル以内に接近すれば、57ミリ対戦車砲でもKV戦車の装甲は撃ち抜ける筈なのだが、実際問題としてそう中々上手くはいっていないようだ。
47ミリ対戦車砲では言うまでもない。
そうなると、自分達で対処するしかないではないか。
(なお、これは実際には右近中尉の誤解もいいところだった。
この一大戦車戦が終わった後、日本陸軍が行った調査によっても、一番戦果を挙げた対戦車兵器は対戦車砲だったという結論になっている。
だが、何故にこのような誤解が生じたかというと)
「小隊長、敵戦車を炎上させました」
「よくやった。新型携帯式対戦車用噴進弾の威力は大したものだ」
右近中尉は(表面上は)顔を綻ばせながら言った。
右近中尉の見るところ、目標となったKV戦車は何らかの故障を起こして急に動けなくなったようだ。
そして、慌てて戦車の乗員は戦車から脱出していった。
動けなくなり乗員も脱出した戦車等、単なる対戦車兵器の目標に堕ちた存在と言っても過言ではない。
そこに部下が携帯式対戦車用噴進弾を命中させたのだ。
据え物斬りもいいところだが、部下が機嫌をよくしているのを損ねるのは、上官として避けるべきだ。
実際のところは、こんな感じでこの大戦車戦における携帯式対戦車用噴進弾の活躍は、戦場における錯覚が大きかったようである。
更に詳しくは少し後で述べるが、ソ連軍の携帯式対戦車兵器に市街戦で日本の戦車が苦戦を強いられたということもある。
そして、実際問題として、戦場では歩兵が一番多い存在で、回想録も歩兵によるものが多くなる以上は。
こういった様々な事情が相まって、携帯式対戦車兵器が過大評価されたというのが実際のようである。
一方、西住小次郎大尉の方は、一式中戦車を駆使して、巧みにソ連軍の戦車を破壊していった。
敵戦車には自らの正面を向け、逆に自らは敵戦車の側面を狙い撃つ。
更に、単純なカタログデータ上は明らかに一式中戦車の方が劣るのだが、余裕のある3人用砲塔を採用したことによる主砲の発射速度の差や、光学照準機器の性能面でT-34やKV戦車を上回ることからくる主砲弾の命中率の差を活かし、ソ連軍の戦車よりも優位な戦いを西住大尉は演じた。
激突したばかりの当初は少しずつだった日ソ両軍の戦車部隊の損害の差は、戦闘が激化するとともに徐々に加速度を挙げて圧倒的な差になっていき、いつか日本軍戦車部隊が優勢を確立した。
こうした状況に鑑み、遂にソ連軍戦車部隊はマンゾフカ方面への後退を始めた。
「勝ったな」
黒江保彦大尉、更に右近中尉や西住大尉は、相次いで後退していくソ連軍を見ながら、そう呟いた。
実際には総合力で勝ったのだが。
「自分達が最大の戦功をあげることに成功した」
と3人、いやそれ以外のこの戦闘に参加した面々も考えて後退していくソ連軍を見送り、勝利の余韻に浸った。
このハンカ(興凱)湖南岸における戦車戦に日本軍が勝利を収めたことにより、ここにマンゾフカへの関門は日本軍に完全に開かれることになったのだ。
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