第1章ー7
そんな想いをしながら、妹の土方千恵子が林忠崇侯爵の国葬に参列している等、姉の村山幸恵は知る由もなかった。
林侯爵の国葬はNHKのラジオ放送で実況中継されており、それを横須賀の村山家では、家族全員で耳をそばだてて聞いていた。
「それでは、参列者の皆様、林忠崇侯爵の冥福を祈って、黙祷をお願いします。黙祷」
ラジオから葬儀委員長の土方勇志伯爵の肉声が聞こえてくる。
それに合わせて、村山家の面々は(まだ幼くて事情が分からない幸恵の長女を除き)全員が黙祷した。
幸恵は黙祷しながら、走馬灯のように想いを巡らせてしまった。
もし、林侯爵が第一次世界大戦の際、戊辰戦争の恩義に応えるために海兵隊は欧州に赴くべし、と声高に叫ばなかったら、どうなっていただろうか。
父は長命したのではないだろうか。
林侯爵、私から父を奪ったことを恨みます。
だが、その一方で、幸恵の心の中に浮かぶ想いがあった。
もし、父が欧州に赴くことがなかったら、自分は産まれていなかったのではないか。
口の重い母の口ぶりからすると、母が自分を産むことを決めたのは、父が戦死したら、父の血を継ぐ者が誰一人いないのではないか、という懸念があったのが一因らしい。
父が戦死した際に父の遺族の方々に実は忘れ形見がいます、私の子どもです、と伝えたいという想いから自分を母は産んだとのことだった。
だが、皮肉なことに、父には私以外に妻にも、そして別の女性との間にも子どもが産まれていた。
それが岸総司と土方(篠田)千恵子である。
本当にお父さんは。
こんな時にも関わらず(いや、こんな時だからか)、幸恵は内心で苦笑した。
お父さんは、女にだらしないわねえ。
まさか、フランスでも子どもを作っていないでしょうね。
戦時中でも女性と愛を育んで子どもを作るなんて。
女好きにも程があるわ。
黙祷中にも関わらず、幸恵は、そんなことを考えてしまった。
似たような感じで、幸恵の母、村山キクも黙祷をしながら想いを巡らせた。
もし、林侯爵があの時に欧州派兵の音頭を取らなかったら、どうなっていただろうか。
あの人は今でも生きていたのではないだろうか。
ヴェルダンの土にならずに、元気にあの人が生きていたら、今では提督と呼ばれていたのでは。
だが、そうなっていたら、幸恵は産まれていなかっただろう。
あの人が私を抱いたのは、出征や他の問題(具体的には将来の結婚)に悩んだ末のことだったろうから。
50年程生きて来て分かったことがある。
どうして、人が自分からやってはいけないことをやってしまうのか。
そんなことをしても却って問題を深めるだけなのに、一時的に逃げたいとか、そんなことのために弱い人はやってしまう。
あの人は、外見上は強い人だったけど、内心は弱い人だった。
だからこそ、私の誘いに乗って、私を抱いたのだ。
あの頃、海兵隊若手士官の多くが決して口には出せないものの、欧州に行きたくはなかった。
だが、軍人として欧州に行かねばならず、あの人も苦悩していた。
考えてみれば、私はあの人の弱みに付け込んでしまったのかもしれない。
今なら好きなあの人に抱いてもらえる、と考えて私は誘ったのだから。
幸恵を妊娠したのは、考えてみれば私の行為の報いなのだろう。
全てがいい方向に転がって、私は幸せに一応は成れた。
そして、幸恵も正式に認知はしてもらえなかったが、弟妹から姉だと事実上は認めてもらえた。
だが、それでも。
キクは想いを巡らさざるを得なかった。
どうして、林侯爵、あの人をヴェルダンの土にしてしまったのですか。
そうなったら、幸恵が産まれなかったし、今の幸せを私が掴めなかったのも分かってはいます。
でも、私はあの人に生きて欲しかったのです。
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