第3章ー15
実際問題として小畑敏四郎大将の懸念は決して杞憂では無かったことが作戦発動後に判明する。
アムール州に侵攻する米陸軍はまだしも、ウラジオストク攻略に当たる韓国陸軍と米海兵隊の協調は決して上手くいったとは言えないものだった。
この1941年5月頃、既にソ連太平洋艦隊はほぼ消滅といってよい体たらくになっていた。
開戦から1年半余りが経過し、開戦当初は日本の堀悌吉海相にまで冷や汗をかかせる程の戦果を挙げたソ連潜水艦部隊は、シベリア鉄道の切断やウラジオストク等に対する波状空襲により、今や燃料や修理用の部品が底をついており、相次いで行動不能になっていた。
水上艦部隊については言うまでもない。
1939年末に行われた日本海軍機動部隊の総力を挙げたウラジオストク空襲によって壊滅的打撃を受けた大打撃から、ソ連太平洋艦隊の水上艦部隊は回復することは無かった。
だから、ソ連海軍の脅威は無視できるレベルだったのだが。
「ウラジオストク攻略に際して、韓国軍としては米海軍の戦艦や空母による大規模な支援をお願いしたい」
「米海軍は米海兵隊の上陸作戦等を支援する任務がある。韓国軍に対する大規模な支援は困難だ。日本海軍に頼んではどうか」
「日本海軍に頭を下げるのは」
そんなやりとりが実際に米海軍と韓国軍の間ではあったという。
韓国軍としては、自国軍の貧弱な火力がソ連軍に対する苦戦を余儀なくされたという認識があり、それを補う必要があるのも認識していた。
だから、韓国軍としては米海軍に支援を求めたのだが、米海軍の返答はつれないものだった。
それならと言って、米海軍の忠告通りに日本海軍に援けを求めるというのは。
(完全な逆恨みに近いのは韓国軍の内部でも分かる人には分かっていたのだが)満州事変の際の果実のほとんどを蒋介石と日本にさらわれたという感情が韓国軍内部にわだかまっていたことから、日本海軍に援けを求めることは韓国軍にはできなかった。
そのためにウラジオストク攻略作戦は難航することになる。
一方、米陸軍の状態は遥かに良好だった。
マッカーサー将軍の威光もあり、1941年4月末までに米本土等から24個師団を基幹とする米陸軍(補助部隊の人員も含めるならば100万人を超える兵員)が満州に駆けつけていた。
満州のみで考えるならば、質はともかく量的には完全に日本陸軍を上回る規模に米陸軍はなっていた。
こういった状況に鑑み、ウェインライト将軍はマッカーサー将軍に進言していた。
「アムール州侵攻作戦に際しては12個師団を基幹とするという最初の基本方針は問題ありません。我々には24個師団もの部隊があるのです。適宜に部隊を入れ替えて、精鋭部隊を投入することが出来ます」
「うむ」
マッカーサー将軍の答えは満足げなものだった。
「日本軍は満州に22個師団、その中には5個機甲師団を有しており、質的には我々を上回りますが、予備といえるのは4個師団に過ぎません。消耗したらそこまでです。明らかに我々がいざ侵攻作戦を始めた後は主導権を握ることが出来るでしょう。上手く行けば、ハバロフスクも我が軍が占領できるかもしれません」
「確かにな」
ウェインライト将軍とマッカーサー将軍は更に会話した。
「日本軍も同様の分析をしていますが、ソ連極東軍の現状はかなり酷いようです。飢餓が蔓延しつつあるのは間違いないようです。恐らく米日満韓連合軍がソ連極東領に侵攻を開始すれば、航空優勢が我々にあることからも、ソ連極東軍の抵抗はかなり困難で、今年の夏が終わるまでにソ連極東領を制圧できるでしょう」
ウェインライト将軍は、マッカーサー将軍に対してそう言い、マッカーサー将軍もそれに同意した。
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