第3章ー11
ソ連極東領侵攻作戦の始まりになります
こういった後方の不安を抱えつつも、5月初めには極東ソ連領の主な河川がいわゆる解氷を完全に終えることから、その時期を待って日米満韓の連合軍はソ連極東領への侵攻作戦を発動することになった。
「それでは、今からあらためて基本方針、作戦案を説明します」
1941年3月初め、日米満韓連合軍の参謀長(副司令官)を務める小畑敏四郎大将は、その準備のための作戦会議の場で居並ぶ各国の将帥を前に発言していた。
大体の基本方針、作戦案を小畑大将が中心となって立案し、総司令官であるマッカーサー将軍の事前承認も得られている。
とは言え、各国の将帥から異論が出れば、場合によっては修正せねばならない。
小畑大将としては緊張せざるを得なかった。
だが、その一方で内心ではそう異論は出るまい、とも判断していた。
各国の自尊心がそれなりには保てる作戦にしてある。
マッカーサー将軍でさえ、作戦案を読み終えた時には、笑みを浮かべたくらいだ。
下手な文句だったら、マッカーサー将軍が圧し潰すだろう。
「満州の東南から東正面を北に、それから東北から北正面を西に説明し、最後に西北から西正面へと順に説明することにします」
小畑大将は前置きをした上で始めた。
「まず韓国軍と米海兵隊によるウラジオストク攻略軍を編制します。これを第1軍とします。その基幹となる兵力は韓国軍4個師団、及び米海兵隊1個師団で編制します。なお、米海兵隊にはナホトカ方面に上陸作戦を展開し、ソ連軍の注意をそらすという任務もあります」
小畑大将が淀みなく説明すると、韓国軍と米海兵隊から出席している将官は好意的な視線を向けた。
小畑大将は思った。
韓国軍としてはようやくソ連本土への侵攻作戦が本格的に発動できるのだ、嬉しくてならないのだろう。
また、米海兵隊としても上陸作戦の経験を更に積むことが出来る。
欧州においてもソ連本土侵攻が現実のものとして見られつつある中、その際に上陸作戦を積んだ部隊は貴重な存在になるだろう。
西方正面からのみソ連、ロシアを攻めてはナポレオンのロシア遠征の二の舞になりかねない。
適宜、バルト海や黒海等で上陸作戦を行うことは、ソ連軍の弱点を突くことになるだろう。
だが、その一方で韓国軍の損耗にも想いを馳せざるを得なかった。
1939年秋からの約1年半に及ぶ戦いの結果、補充兵も考えれば韓国軍は予備も含めて8個師団を維持するのが精一杯な惨状となっている。
基本的には農業国である韓国としては、大動員を何年も続けることは国力に大打撃となる。
また、ソ連軍との戦いの結果、人口約2000万人の韓国において、既に戦病死者も含めるならば、約40万人以上が戦死しているとのことだ。
編制済みの師団の一部を解体して別の師団に兵を再配置してという非常手段に韓国陸軍が奔らざるを得なくなるのも無理はない。
ここまでの惨状に韓国陸軍が陥ったのは、火力の不足は精神力で補うという精神論を韓国陸軍の上層部が振りかざしたためらしい。
気持ちは分からないでもない。
ソ連軍の圧倒的大火力に対処するだけの火力を韓国軍が揃えることは、国力的に不可能なのだ。
だからと言って、最初から勝てませんと上層部が公言しては、末端の兵の士気が下がってしまう。
そのために我が(韓国)軍の必勝の信念をもってすればソ連軍に勝てると精神論で兵を鼓舞したのだが。
そんなもので戦争が勝てる訳が無い。
「エラン・ヴィタール」と高唱した仏陸軍が、第一次世界大戦初期にパリ陥落寸前の危機に陥ったのと同じような状況に韓国軍はなってしまった。
日米両国が満州を重視する余りに、韓国を余り支援しなかったのも原因なので強くは言えないが。
小畑大将はそう思った。
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