幕間1-1
幕間になります。
従って、日常的パートになります。
日時としては、1941年5月上旬のある日です。
最初の3話は横浜が舞台で、1話が土方千恵子の実家、篠田りつの家になります。
千恵子は実家に和子を連れて訪問したのですが、1人で昼前に外出しました。
篠田りつは、初孫の土方和子を懸命にあやしていた。
実母の土方千恵子が傍にいないことを、自然と察しているのか、和子の機嫌は極めて悪かった。
「私がやりますよ」
とうとう見るに見かねて、和子の乳母がりつの代わりに和子をあやしだしたが、和子の不機嫌は癒えそうになかった。
りつと乳母が、和子の不機嫌に手を焼いているところに、りつの兄の篠田正が顔を出してきた。
「あれ、千恵子は」
正は千恵子がいると思っていたようだが、その言葉は和子の不機嫌に手を焼いているりつの癇に障った。
「千恵子は伯父様と今日はお昼を食べたくない、と言って外出しました。全く何であんなことを言ったのですか」
りつは兄を思わず非難した。
「うーん。千恵子は分かっていると思っていたのだが。時期尚早すぎたか」
兄も反省はしているようだ。
「時期尚早すぎますよ」
腹立ち紛れもあり、りつは兄に追い打ちをかけた。
兄夫婦に実子はいない。
夫婦どちらに原因があるのかは分からないが、兄が結婚してから10年近くが経ってしまうと兄夫婦に子どもはできないと見るべきだ、と周囲までも考える。
それ故に兄夫婦は、何れは(当時は女学校に入ったばかりの)千恵子とその結婚相手を夫婦養子に迎えて(跡取りのいない)篠田家を継がせるつもりになったのだ。
だが、兄はともかく兄嫁としては抵抗のある話だった。
兄嫁としては自分の腹を痛めた我が子に篠田家を継がせたかったのだ。
それ故に千恵子は兄夫婦の事実上の養女のままだった。
そうこうしている内に千恵子は、土方伯爵家の跡取りの土方勇と恋仲になり、将来の土方伯爵夫人にという声がかかるようになった。
本来なら諸手を挙げて勿体ない良縁であるとして篠田家はこの縁談を受け入れたいところだったが、上記のような事情があり、この縁談を単純に受け入れてしまうと、篠田家が絶えてしまうという心配がある。
そのために内々で土方伯爵家と篠田家が話し合った結果、千恵子の産んだ長男が土方伯爵家を継ぐ、そして、千恵子が産んだ長女又は次男が篠田正の養子になり、篠田家を継ぐという口約束が交わされることになったのである。
そして、そのことは千恵子自身も承知している筈だったのだが。
「全く千恵子の夫、勇さんが欧州から帰る前に、貴族院議員同士だからといって、しかも、千恵子がいない時に、和子に早く養子に来てほしい、と土方伯爵に何で話をしたのですか。千恵子が怒るのも当然です」
兄妹ということもあり、遠慮なしにりつは兄を攻撃した。
「そう怒らないでくれ。もうすぐこの(第二次)世界大戦は終わるだろう。そうしたら、勇も欧州から帰国する筈だ。そうなればだな」
兄は懸命に弁解した。
りつはため息をついた後で、半ば追い打ちをかけた。
「そもそも本当にこの世界大戦はもうすぐ終わるのですか」
「終わるに決まっている。日本本土への空襲は、ほぼ途絶えるようになって久しい。ドイツは間もなく全土が英仏米日等に占領されてしまい、無条件降伏するしかなくなるだろう。ソ連も極東領では餓死者が出るようになったのは間違いない。共産中国に至っては、国内では餓死者や疫病による死者が百万人単位どころか、千万人単位で出ているのは間違いないらしい。こうした状況下で戦争を続けられるわけがない」
兄は長広舌をふるった。
りつは、その長広舌を聞き終えた後で思った。
本当にそうなのだろうか。
兄は今でこそ様々な相場で先行きを見事に当て、神奈川県下の多額納税者の一人として貴族院議員に互選で選出されるまでになっているが、千恵子が産まれる前に大失敗をして、私と彼との婚約を破談に追い込む一因を作ったのだ。
本当に兄の予測を私は信じていいものだろうか。
あれ、これまでの本編の描写とは、篠田りつと「彼」の事実上の婚約が破談になった経緯が微妙に違うという指摘がありそうですが。
外伝の「私の本当の家族を求めて」に描いた事情です。
大成功した相場師といえど、若き日には大失敗もしているということで。
篠田りつと「彼」の婚約が破談になったのは、篠田正が当時、相場に手を出して大失敗し、借金を作ったという事情もありました。
「彼」の実家にしてみれば、貧乏なのに相場という博打に借金してまで手を出す男の妹と「彼」が結婚しては、こちらにまで借金取りがおしかけると懸念したのです。
なお、この時の借金については、結果的には「彼」と「彼」の実家から千恵子が受け取ったお金で返済されています。
篠田正が千恵子を大事にするのは、それによる引け目もあります。
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