第2章ー33
岸総司大尉は、現場の将兵と顔を合わせ、場合によってはこれと思う人物とは直に面談して、現場の空気の改善に努めることにした。
このままでは、実の父が戦死したヴェルダン要塞攻防戦直後のような空気のまま、日本海兵隊は最前線に戻ることになる、それは現場の将兵にとって良くない影響を及ぼすことになる、という考えからだった。
それにしても、と岸大尉は想った。
ヴェルダン要塞攻防戦直後は、ある意味では日本海兵隊は色々と幸運に恵まれた。
ヴェルダン要塞攻防戦直後、英仏の配慮により、日本海兵隊は伊に移動して休養、再編制に努められた。
それにより半年以上の間、日本海兵隊は実戦から遠ざかることが出来、士気を回復できた。
また、日本陸軍から大量の士官、下士官が日本海兵隊のために欧州に駆けつけてくれ、陸軍が援けに来てくれたということも士気を高めることになった。
そして、これまでの日本海兵隊の奮闘を嘉して、大量の武器等が英仏から贈られた。
伊軍とのトラブルも、日本海兵隊内部に我々をバカにするな、という敵愾心を高めることになり、それによっても日本海兵隊の士気は高まった。
こうしたことから、チロル=カポレットの戦いで日本海兵隊は再び栄光を掴むことができたのだ。
だが、今やそう言ったことは余り期待できない。
日本海兵隊は、それ程の休養は許されない状況にある。
そして、日本陸軍は満州や中国本土で激戦を繰り広げている。
米国から自動車等は提供されるだろうが、日本海兵隊の武器等は自前で基本的に賄っている有様だ。
それを想えば。
岸大尉は、日本海兵隊が最前線に再度赴いて活躍できるように、やれる限りのことをしようと努めるしかなかった。
そして、欧州総軍司令部はともかくとして、現場に近い各海兵師団司令部や連隊長といった面々も岸大尉と似たような努力に努めた。
こういった努力の甲斐があって4月半ばには日本海兵隊は岸大尉(や他の上層部の面々)の目からも最前線への再度の投入が可能なまでに、補充再編制を完結して士気も充分に回復した。
だが、この時間の間に。
「もうすぐエルベ河が渡れる。そして、ベルリンを落とし、オーデル河を渡り、ワルシャワへ早くたどり着きたいものだ」
「そして、早くワルシャワを再建したいものだな」
「ああ、全くだ」
あるポーランド軍の兵2人がエルベ河のほとりに立って会話をしていた。
余り時間をかけることは、独軍の抵抗を強めることになるという判断から、レヴィンスキー将軍とアイゼンハワー将軍が主に話し合った結果、3月半ばにポーランド軍を先鋒にして、独中央軍集団に対する再攻勢は発動されることになった。
第2装甲軍と第3装甲軍という両腕を失っていた独中央軍集団は、このポーランド軍を先鋒とする再攻勢の前に苦戦を強いられる羽目になった。
それに日本海兵隊と米第3軍に対する攻撃で、独中央軍集団もそれなりに損害を被っており、弾薬等も消耗している。
そして、ポーランド軍に加え、損耗の少なかった米第1軍の積極的な支援攻撃も受けたことから、フルダ渓谷での独軍の防衛線は遂に崩壊し、ポーランド軍は3月末にフルダ渓谷の突破に成功した。
このフルダ渓谷の戦闘指揮で、日米両軍が破ることに失敗した独中央軍集団を半月足らずで破ることに成功したレヴィンスキー将軍は、ポーランド軍のみならず他の連合国軍の将兵からも畏敬されることになる。
だが、ポーランド軍はそれだけでは満足せず、独中央軍集団の抵抗を排除しつつ、更にヴァイマール、ライプツィヒ等への進軍を4月中旬に果たした。
ここにエルベ河以西は、ほぼ4月中に連合国軍の手に落ちることになったのである。
最早、ベルリンは指呼の間にあった。
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