第2章ー26
アンスバッハからニュルンベルクへとド=ゴール将軍が率いる仏第1機甲軍が前進したことは、独軍参謀本部を迷わせることになった。
この時、独軍中央軍集団は、既述したように日本海兵隊を包囲環の下に置いていた。
このためにニュルンベルクへ仏第1機甲軍が前進したのは、日本海兵隊の救援を図るため、いや日本海兵隊を囮としてバンベルグからヴァイマールに向かって独軍中央軍集団の背後を衝こうとしているのではないか、という疑惑を産んだのである。
日本海兵隊の救援を図るというのならともかく、仏第1機甲軍のヴァイマールへの前進は、余りにも長距離行軍となって困難なのではないか、とも見られたが、独第6軍の崩壊という衝撃もあり、過剰な警戒感を独軍参謀本部に抱かせることになった。
そして、現在、独軍中央軍集団の精鋭は日本海兵隊攻撃に向けられており、質的に劣った予備部隊しか仏第1機甲軍に対処できない。
こうした状況から、中央軍集団の予備部隊の多くが、万が一の仏第1機甲軍がヴァイマールへの前進を図った場合に対処できるようにと動くに動けなかった。
日本海兵隊が虎口からの脱出を果たせたのは、こういった事情も相まっていた。
もし、予備部隊の多くが「冬の嵐」と「雷鳴」に即応できるように展開出来ていたら、日本海兵隊の脱出作戦は失敗に終わっていただろう。
だが、皮肉にもド=ゴール将軍が考えていたのは全く別のことだった。
単純にウルムを目指して、シュバルツバルト防衛を図る独軍南方軍集団の背後を襲おうとするくらいのことは独軍首脳部も予想しているだろう。
だが、ニュルンベルクからレーゲンスブルク方面へと仏第1機甲軍が前進することまでは予想できまい。
ニュルンベルクからレーゲンスブルクへ仏第1機甲軍が前進すれば、ウィーン方面が完全に危なくなり、ムッソリーニ統領率いる伊が早期参戦の色気を示すだろう。
そうなると、旧オーストリア領に展開する独軍は動くに動けない。
そこで、仏第1機甲軍はレーゲンスブルクからミュンヘンへ、更にウルムへと東から西へと進軍し、独軍南方軍集団を完全崩壊させるのだ。
上記のようにド=ゴール将軍は、ある意味では独善的な作戦を立てており、そのように仏第1機甲軍は行軍を行った。
独軍、特に南方軍集団、第1装甲軍はこの独善的な仏第1機甲軍の行軍に奔命を余儀なくされた。
本来からすれば、第1装甲軍はハイルブロン方面へと行軍し、仏第1機甲軍の補給路を断つように進軍すべきだったかもしれない。
だが、既述のように第1装甲軍の燃料は欠乏していたし、仏軍も歩兵師団(とは言え、米国の援助等によりかなり自動車化されていた。)をハイルブロン方面に展開させ、仏第1機甲軍の補給路の防衛を図った。
そして、その間にも本来なら安全なミュンヘン等のバイエルン地方の後方までが仏第1機甲軍により荒らされる危険を考えると。
クライスト将軍率いる第1装甲軍は、仏第1機甲軍を直接に追撃するしか、事実上の方策は無かったとしか言いようが無かった。
燃料不足に苦しみつつ、クライスト将軍率いる第1装甲軍の先鋒部隊が、ド=ゴール将軍率いる第1機甲軍と接敵したのは、ブレンハイムだった。
これはド=ゴール将軍なりに策略が巡らされた結果だった。
仏第1機甲軍と接敵した以上、独第1装甲軍としてはここで決着を付けようと逸る筈だ。
その逸を逆用して、独第1装甲軍をここで叩きのめす。
逸らねば、それはそれで逆用できる。
燃料不足から第1装甲軍全てを縦横に動かすのは困難になっている。
ある意味では各個撃破の好機に仏軍は恵まれているのだ。
独第1装甲軍は長篠の戦いにおける武田軍の状況に追い込まれつつあった。
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