第2章ー23
独軍が仏第1機甲軍の南方転進を掴めなかったのは幾つか原因がある。
まず第一の原因が、独軍の偵察能力が当時、かなり低下していたことである。
この当時、航空優勢を失いつつあった独空軍の航空偵察は余り行えなくなっており、通信傍受等による情報把握も通信量こそ掴めるものの通信内容の把握までは中々行えるものではなかった。
そして、第二の原因が、仏第1機甲軍は南方転進を行うまい、という先入観が独軍内にあったことである。
エルベ河以西の独の地形を考えれば、機甲軍を投入するのは北ドイツ平原に違いないという考えが独軍内部に、まずはあったことから、仏第1機甲軍が北ドイツにいるという情報から、そのまま北ドイツ平原を東に向かいエルベ渡河を仏第1機甲軍は目指すのだ、と独軍上層部は考えていたからだった。
(なお、この仏第1機甲軍の南方転進成功の陰には、カナリス提督率いる独国防軍情報部上層部のサボタージュもあったという説がある。
親ナチ派の歴史研究者らが主張しているもので、独国防軍情報部上層部は、仏第1機甲軍の南方転進を掴んでいたが、ヒトラー総統率いるドイツ政府を少しでも早く潰すために情報を挙げなかったというのである。
だが、その論拠とされるものを精査する限りは微細な論拠が多く、多くの歴史家は独国防軍情報部の上層部は仏第1機甲軍の南方転進を知らなかったとする説を執る。)
こうした状況から、独軍南方軍集団は誤った前提条件からバイエルン地方の防衛作戦を立てて、実行に移していた。
ルントシュテット将軍率いる独軍南方軍集団は、仏軍主力は、シュヴァルツヴァルトを越えてバイエルン地方に侵攻してくると想定し、第11軍、第17軍をその防衛に当てていた。
更に念のためにと、第6軍をフランクフルトからヴュルツブルク方面へとポーランド軍等が侵攻してくる場合に備えて展開させていた。
そして、南方軍集団の総予備部隊として、クライスト将軍率いる第1装甲軍を置いて、戦線が崩れた場合の即応部隊としていた。
こうして事前計画を見る限り、独軍南方軍集団は極めて常識的な防衛作戦を準備、展開していたものと言って良かった。
ウルム戦役等の反省に鑑み、第6軍を中部ドイツ方面からの侵攻に備えさせてもいる。
だが、独軍南方軍集団の内実は、頭痛を生じさせるものだった。
地形等の問題から中央軍集団、北方軍集団に主力や新兵器を独軍は集中した結果、南方軍集団には旧式化した兵器が多い有様だった。
実際、この時の戦いに参加して生き残った南方軍集団の将兵によると、50ミリ対戦車砲やパンツァーファウスト等の新型兵器は、南方軍集団には全く無かったという。
更に戦車も未だに2号戦車以下が主力を占める有様で、3号、4号戦車は3割足らずだったという。
最もルントシュテット将軍らは、それでも事前には大丈夫だと考えていたらしい。
この戦役以前の仏軍戦車は1人用砲塔を搭載しているものばかりであり、独軍の戦車が質的な優位を保って戦うことができていた。
そして、仏軍の砲戦車は確かに脅威だったが、固定砲塔を搭載していることもあり、攻撃に際しては歩兵と協働して戦うしかなく、攻撃の際に機動戦を展開するのには全く向いていなかった。
だから、充分にバイエルン地方の防衛は果たせると考えていたというのだ。
だが、その大前提が間違っていた。
ルノー41という新型戦車に全戦車を更新装備済みという仏第1機甲軍(ちなみに900両近い戦車が仏第1機甲軍に配備されていた)が、北ドイツから遥々転進してきて独軍南方軍集団に猛攻を浴びせようとしていたのである。
ルントシュテット将軍らは、悪夢を見るような想いで抗戦することになった。
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