第2章ー18
そのように日本海兵隊上層部は議論を交わしていたが、それどころではなしに独軍の攻撃に対処して戦わねばならないのが前線部隊の宿命だった。
「航空支援に当たる友軍航空隊から明確に視認できるように部隊表示はできているか」
「大丈夫ですよ」
土方勇中尉の確認というよりも怒声が混じった発言に、部下の下士官はいなすように答えた後で続けた。
「士官たるもの、泰然と構えて下さい」
「分かってはいるのだが、どうもな」
下士官の言葉を聞いた後、更にゆっくりと脳内で10数えた後で土方中尉は発言した。
自分でも悪戦苦闘する余り、心が荒んでいるのが分かる。
こういう時は少しでも頭を冷やすために間をおいて発言すべきだ。
そうしないと同僚や部下からの信望を失うことになる。
そう自分に言ったのは、誰だったろうか。
父や祖父だろうか、いや妻の千恵子だろうか。
いやその全員から言われたような気がする。
土方中尉は、こういった時だからこそ、少しでも頭を冷やそうと試みていた。
フルダ渓谷に自分達が突入して、独軍の嵐のような攻勢にさらされてから10日余りが経っている。
その間に独軍の攻撃によって、我々は完全包囲下におかれてしまった。
勿論、完全包囲下に我々の日本海兵隊がおかれたとはいえ、友軍との連絡が途切れた訳ではないし、友軍航空隊が空輸によって物資を届けられない訳ではない。
だが。
皮肉にも機械化、自動車化を日本海兵隊は進めていたために、それだけ大量の補給物資が戦闘継続のためには必要になってしまっており、空輸により戦闘継続に必要な補給物資が届けられてはいるとは言い難い。
このために残弾等の状況を気にしながらの戦闘を我々は余儀なくされている。
こういった状況が我々の焦燥を招いている。
そう土方中尉は考えた。
日本海兵隊が建軍以来、常に常勝不敗の名声を勝ち得ていたわけではない。
明治初期の台湾出兵や日清戦争時の冬季戦、日露戦争時の旅順要塞攻防戦、第一次世界大戦時のヴェルダン要塞攻防戦等、大苦戦を日本海兵隊が強いられたことはしばしばある。
だが、土方中尉ら尉官クラスの士官を始めとする若い将兵にとってはこのような苦戦は初めての経験であり、どうしても焦燥感を強めてならないものだった。
(中国内戦介入時の徐州会戦等でも日本海兵隊は苦戦していない訳ではないが、日本海兵隊上層部はある程度は予期して対処できており、自らが主導権を握っているといえる状況だった。
ところが、今回は敵の独軍に戦場の主導権を握られて、受け身での戦闘を基本的に日本海兵隊は行う羽目になっており、そういったことからも現場の将兵は焦燥感を強めることになっていたのである。)
そんな風に土方中尉が考えている間に、友軍機の空爆が目の前の独軍に加えられた。
これで独軍の攻勢に我々はもう少し耐えられるだろうか。
土方中尉はそう考えた。
気が付けば稼働可能な戦車は独軍の攻撃により破壊されたり、整備部品の不足から移動不能になったりで7割近くになっている。
これでどこまで耐えられるか、正念場だな。
そこに通信士から土方中尉に声が掛かった。
「移動命令です。稼働可能な全ての戦車で臨時戦車団を編制して脱出の先鋒を務めるとのことです」
「しかし、燃料があるのか」
土方中尉は疑問を呈した。
「稼働可能な一部の車両を遺棄することで、稼働可能な全戦車の燃料を満タンにするとのことです」
「そこまで燃料が欠乏していたか」
土方中尉は渋い顔になった。
孤立したために燃料が危ないと言われてはいたが、こちらもかなりの車両を失っていたために、まだ何とかあると思っていたが、本当にかなり減っていたようだ。
「だが、何とか脱出せねば」
土方中尉は前を向いた。
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