第1章ー2
そうなってくると、林忠崇侯爵の葬儀委員長を務められる海兵隊出身の提督として名が挙がってくるのが、鈴木貫太郎提督である。
鈴木提督は、海兵本部長や海軍次官を務めており、文句なしに海兵隊の重鎮である。
だが、この1941年1月当時は帝国議会開会の真っ最中であり、枢密院議長を鈴木提督が務めていることから多忙のために葬儀委員長を務め難いという現実があった。
また、現役の海兵隊提督が、林侯爵の葬儀委員長を務めるというのも困難だった。
それこそ、第二次世界大戦の真っ最中であり、陸海空海兵の四軍の中で最も小所帯の海兵隊は、本来なら提督が務める鎮守府海兵隊長官でさえ大佐クラスで忍ぶというある意味では無茶な動員体制下に既にあった。
そうしたことから、既に退役している土方勇志伯爵に葬儀委員長を務めてほしい、と林侯爵が遺言をする状況になっており、それを土方伯爵も承諾することになったのである。
そんなことを土方千恵子が考えている間にも、目の前の二人の会話、というか林侯爵の遺言は続いていた。
「本音を言えば国葬などしなくていい。極論を言えば告別式だけしてくれ、とわしは言いたいが、そんな遺言をしても米内め、絶対に認めないだろうな」
「いや、米内首相どころか、今上天皇陛下の勅語で国葬になりますよ」
林侯爵の言葉に、土方伯爵は半ば冗談で返した。
千恵子は、その会話を聞いて微妙な表情を浮かべた。
仮にも米内光政は、現在の首相である。
それを呼び捨てにしなくとも、と千恵子としては想わなくもないが、林侯爵にしてみれば、30歳以上も自分よりも年下で戊辰戦争どころか西南戦争の際にも産まれていなかった小僧っ子に、米内首相は見えてならないのだろう。
歳の差があるためとはいえ、何しろ米内首相が海軍(海兵隊)少尉に任官した当時、既に林侯爵は海軍(海兵隊)少将になっていた程の階級差がかつてはあったのだ。
とはいえ、実際問題として、林侯爵は元帥(海軍大将)であり、爵位を持つ存在である。
「国葬令」が当然に適用される身だった。
更に、第一次世界大戦時末期に設置された英仏日統合軍司令部の総参謀長、ベルギー解放軍総司令官を林侯爵は務めていたことから、第一次世界大戦時の各国の軍人から敬意を寄せられていた。
また、日本人初のノーベル(文学)賞受賞という栄誉も持っていた。
更に付け加えると、「最後の大名」、「ラストサムライ」という異名の持ち主でもある。
こういった実績を持つ以上は林侯爵が国葬にならない訳が無い、と千恵子には思えてならなかった。
「ともかく、わしに万が一のことがあったら、第一報はお前に連絡する。それで、自分が最善と思う方法で関係各所に順次連絡して、わしの国葬の根回しをしてくれ」
「分かりました」
林侯爵の頼みを、土方伯爵は受け入れた後、一言、付け加えた。
「それにしても、まさか第二次世界大戦の渦中に今の世界があるとは。平和な世界でしたら、世界各国から参列者が殺到するでしょうに」
「却って静かでいい、とわしには思えるがな。本当にわしは長生きし過ぎたよ」
林侯爵はしみじみと言った。
その言葉を聞いた千恵子は想った。
自分の知る限りだが、自分の本来の故郷、会津が荒らされた戊辰戦争で実際に銃を撃ち、刀を振るった最後の一人が亡くなろうとしている。
それだけの時が流れてしまったのだ。
千恵子は更に想いを巡らせた。
後、10年もすれば、西南戦争の生き残りもいなくなるだろう。
故郷が戦禍に晒されるという事態を見分してそうなった時に軍人のみならず、民間人がどのような事態になるのか、それを知らない者ばかりになるのだ。
平和は尊いものだが、戦場を知らない者ばかりなのも問題だ。
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