第2章ー8
このように会議の冒頭から荒れ模様となったドイツ西部を護る三軍集団司令部の会議だが、作戦の基本方針は既に動かしようが無かった。
即ち三軍集団が、それぞれの管轄する地域を防衛するという事である。
後は臨機応変に適切に対応していくしかなかった。
三人の元帥を始めとして、それぞれの軍集団としてはある程度の攻勢を取りたいというのが本音だった。
だが、大攻勢を行うのに十分な弾薬も燃料にも事欠く中では。
(燃料については、物々交換も交えてではあったが、友好国であるソ連からの供給もあり、事欠くようなものではなかった、という主張をする者も多い。
だが、問題は独国内の鉄道や内陸水運網がズタズタに1941年段階ではなっていたことだった。
そのために、必要な時、必要な場所に必要な燃料が届かない、という事態が多発していたのである。)
こうした状況から考えると、各軍集団単位で英仏米日等の連合軍の攻勢に対する反撃に伴う限定攻勢を行うというのが現実的に可能な攻勢のレベルだった。
更にもう一つ問題があった。
独空軍の航空優勢が徐々に失われつつあることである。
このために燃料不足もあり、この当時の独陸軍の移動は夜間のみの徒歩行軍が原則となるという哀しい現実があったのである。
(この当時、白昼堂々の独陸軍の移動は、鵜の目鷹の目で行われている連合軍の航空偵察により、大規模な戦術爆撃の対象にすぐなった。
例えば、1940年12月の話になるがレマーゲン鉄橋奪還のために200キロに及ぶ白昼でも急行軍を行わざるを得なかった独第1装甲師団は、レマーゲンにたどり着くまでに師団の兵員の半数近くが死傷するという大損害を空襲によって被ってしまい、レマーゲン鉄橋奪還攻撃中止やむ無しという惨状を呈した。
そのために何のために急行軍をさせたのか、と周囲が嘆く羽目になった。)
こういう現状にあっては、本来から言えば、独陸軍の得意技、お家芸ともいえる部隊を縦横に大胆に移動させての機動防御等、夢物語なのが、独陸軍の将帥には分かっていた。
後は英仏米日等の連合軍の足並みの乱れにより、侵攻してきた部隊の各個撃破を果たすという希望的観測で作戦を立案する方向になっていたのである。
それでも、ここに集まった独陸軍の将帥はまだまだ易々と手を挙げるつもりは無かった。
「色々ときついが、英陸軍は臨機応変の対応が伝統的に苦手だ。そこに付け込む隙がある。平原での防衛戦は困難だが、ルール工業地帯等を何とか守り切れるように我が北方軍集団は努めよう」
レープ元帥がまずは言った。
「最も鋭い矛先といえるのが、日本海兵隊だろうな。更に我々の手の内をよく知るレヴィンスキー将軍率いるポーランド軍に大量の物量という脅威を持つ米軍も私が率いる中央軍集団が担当する戦域に襲い掛かってくる。だが、独陸軍の意地を果たし、何としても守り抜こう」
ブラウヒッチュ元帥も声を挙げた。
「お二方に先に言われては是非もないな。色々と想うところはあるが、我が南方軍集団は、バイエルン地方を始めとする南ドイツを死守しよう。だが、どうもイタリアの動きがきな臭いがな」
ルントシュテット元帥は少し零すように言った。
「それについては、独参謀本部も警戒を怠ってはいない。今では空軍の軍人だが、元々は陸軍の軍人であるケッセルリンク元帥を予備軍集団司令官に任命して、ウィーンに赴任させている。その部隊がいざという場合のイタリア軍の侵攻を阻止する筈だ」
ブラウヒッチュ元帥が口を挟んだ。
「イタリアは先の大戦の時も信用できなかったとはいえ、抜かりが無いな」
ルントシュテット元帥は安心したように言った。
「それでは最善を尽くすか」
他の二人も肯いた。
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