エピローグー4
ともかく、千恵子の父の遺言状が公開され、千恵子が認知されたのだが。
忠子は、戸主である総司の親権者として、千恵子を野村の家の戸籍に入れることを断固として拒んだ。
本来なら戸主の娘、更に戸主として当然に千恵子は野村の姓を名乗る資格があるのにである。
とはいえ、忠子の感情として、千恵子を野村家の戸主にして、更に千恵子の親権者として自分が面倒を見る等、絶対に受け入れられなかったのだ。
それ故に、千恵子は篠田の家の戸籍に入ることになった。
もっとも、千恵子の実母、篠田りつにしても、雄が戦死するという思わぬことに困惑したし、千恵子が野村の家に引き取られて、忠子の親権に服させる等、絶対にお断りというのが本音である。
だから、りつは絶対に勝てる裁判ではあったが、千恵子を野村家の戸主にしろという裁判は諦めた。
そして、これはこれで忠子とりつにしてみれば、痛み分けの結果だった。
その後、野村の本家と岸家、篠田家の主だった者が話し合った結果。
1、本来から言えば、千恵子が野村雄の跡取りになるが、千恵子は篠田家が引き取ることにする。
2、野村雄の家督は総司が継ぐが、岸三郎が帰ってきた後で、野村総司の家をどうするか、再度話し合う。
3、野村の本家は、篠田家に土地建物を処分して千恵子の養育費を一括で支払う。
(そもそもの発端が、野村の本家が、篠田りつのことを岸家に伏せていたという事情があるため)
4、岸家は、千恵子が野村家の家督相続を諦める代償として、雄の遺産の2割を千恵子に渡す。
という示談ができた。
更に世界大戦の結果として、忠子の男兄弟が皆、亡くなったことから、岸三郎が帰国した後、更に岸家と野村の本家が主に話し合い、篠田家も了承して。
1、野村総司が15歳になったら、野村総司の家を廃家として、総司は岸三郎の養子になり、岸家を継ぐ。
(戸主が15歳にならないと廃家手続きが出来ないため)
2、そのことに篠田千恵子(実際には篠田りつ)は異議を述べずに賛同する。
3、なお、通称として総司は、岸総司を今から名乗る。
という示談が更にできた。
こうしたことから、千恵子は野村の姓を名乗らず、篠田姓を産まれてずっと名乗ることになった。
更に総司は、15歳になった際に、野村の家を正式に廃家にして岸の家に入ることになった。
そして、千恵子が本来は入るべき野村の家は廃家になったのである。
千恵子は想いを巡らせた。
この複雑な経緯に私が思うところは幾らでもある。
目の前にいる忠子も同様、いや、それ以上に思うところがあるだろう。
だが、私が産まれてから20年以上経つ今となっては、いい加減にお互いに想いを鎮めて和解をせねばならないだろう。
それにしても、この世界大戦は、私と似たような想いをする人を、それこそ日本人だけで万単位で出しているのではないだろうか。
父が戦死し、胎児認知がされていなかったことから、死後認知を求める裁判を起こす事例が激増し、裁判所はその処理に追われているとの新聞記事を、先日、読んだことを千恵子は思い起こした。
確かに英霊の子になるか、父無し子になるかで、周囲の眼や扱いは全く違ってくる。
だから、遺された母子が、戦死した父の死後認知を求めるのは当然と言えた。
そして。
本来から言えば幸恵姉さんの母、村山キクも幸恵姉さんの死後認知を求めたかったろうに。
千恵子は内心で涙を零した。
だが、村山キクと父の関係は秘められた関係で、父が戦死しては村山キクが訴えても、金欲しさの野村家(岸家)へのたかり行為にしか、周囲には思われなかっただろう。
だから、幸恵姉さんの認知を、村山キクは諦めるしかなかった。
そんな女性が多々いるのでは、と千恵子は更に思った。
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