エピローグー3
そんな想いを夫や弟達がしていること等、土方千恵子は思いもよらないことだった。
というより、千恵子自身にしてみれば、目の前のことが遥かに重要だった。
今日、千恵子の甥になる岸優の1歳の誕生祝いという名目で、千恵子は義祖父母になる土方勇志伯爵夫妻と共に岸三郎の私邸を訪問しており、千恵子の目の前には、岸優を抱いた岸忠子がいた。
千恵子の本音としては、岸三郎の私邸を訪れて、岸忠子と顔を合わせるのは気が重い話だったが、かと言って、岸総司が母の岸忠子と姉の自分に対して、それぞれ手紙を書いて説明したように、総司に万が一のことがあった際には、忠子と千恵子が最も優にとって近しい親戚と言って良い。
だから、忠子と千恵子には予め和解をしてほしい、と総司に手紙を書いてよこされては。
忠子と千恵子としては、色々と思うところはあったが、手打ちの和解をすることにしたのである。
だが、忠子の内心は分からないが、千恵子としては色々と思わざるを得なかった。
「考えてみれば、私の旧姓は、野村の筈で尚且つ目の前の忠子さんが、私の親権者になる筈だった」
千恵子は、あらためてそのことを思い起こしていた。
「でも、色々なゴタゴタ、話し合いでそうはならなかった」
千恵子の実母、篠田りつにしてみれば、千恵子の実父、野村雄が自分を捨てて、岸忠子と結婚することは絶対に許せない話だった。
それ故に時期を見計らって関係を持って、千恵子を妊娠した(と、千恵子は母の内心を推察している)。
野村の戸籍に千恵子が載れば、忠子が自分から野村雄を奪って結婚したのが一目瞭然になる。
それで、忠子はいたたまれなくなり、雄と離婚して、雄は自分の下に帰ってくる、と考えたのだ。
千恵子にしてみれば、そんなことになっていたら、父の雄は海兵隊に居づらくなり、海兵隊を辞めて生活に困る事態になってしまい、りつの下に帰って来なくなるのでは、としか思えないが、怒りで盲目になっていた母のりつには、そこまでの考えが回らなかったのだろう。
ところが、策士策に溺れるで、りつにしてみれば、思わぬことが幾つも起こった。
まず、雄が戦死してしまった。
更に忠子も岸総司を妊娠、出産してしまった。
しかも、千恵子が産まれた直後に、雄が戦死し、総司が産まれるという順番だった。
そして、忠子も策謀を巡らせた。
雄の遺言状を見つけたが、すぐに手続きを取らず、逆に胎児相続の手続きを取り、総司に野村の家を継がせて戸主にした。
そして、千恵子を野村の家の戸籍に入れるのを拒んだのだ。
忠子の本音としては雄の遺言状を処分し、千恵子を雄の子と認めないようにしたかったらしい。
だが、その直前の民法改正の動きが、結果的には千恵子を救った。
それまでは、父が生きていないと、子は父に認知を求められなかった。
そして、日清・日露戦争は近くの戦争だったので、内妻が妊娠したのを知らせて、実父が胎児を認知でもそう問題は無かった。
だが、世界大戦で海兵隊を主力とする日本軍が赴いたのは、地球の反対側といえる欧州である。
内妻が実父に妊娠を知らせるまでに時間が掛かってしまい、それまでに実父が戦死する例が多発し、英霊の息子が結果的に父無し子になるのは余りではないか、という世論が起こったのだ。
そのために父の死後3年以内は、子は父に認知を求めることが出来ると民法が改正され、その民法改正には遡及効が認められた。
千恵子の記憶に間違いなければ、千恵子が産まれた時点ではまだ民法改正は帝国議会に法案が上程されるという段階だったが、与野党がほぼ全会一致で改正に賛成する状況だったので、忠子は(内心歯ぎしりしながら)千恵子の父、雄の遺言状の処分を見送ったらしい。
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