9.ヤツの名は
魔王復活! ……でもピンチにはなりません。
国王にまとわりついた黒い霧が渦を巻くように立ち昇る中、目じりの吊り上がった国王がニィッと笑う。
《クハハハハ、コヤツノ身体ハ我ガ乗ッ取ッタ。先程ノヨウニハイカンゾ、人間ドモヨ》
倒し切れなかった魔王が、不意を突いて国王の身体を乗っ取った瞬間だった。
「ああ、陛下が!」
《攻撃デキルカ? デキマイ! 無力感ニ苛マレテ死ヌガヨイ、人間ドモ!》
セレナの悲痛な叫びが響き、それを聞いて人間達を嘲弄する魔王の哄笑が礼拝堂の吹き抜けの空間に木霊する。至高の人物を人質に取られ、もはや彼らは戦うこともできないのだ。
エドモンド達も驚愕に顔を歪めた。
「くそっ、なんてこった! 国王に魔王が憑依するなんて……親和性が高すぎる!」
「ああ、最悪の組み合わせだ……どっちが本体かわからんな。憎たらしさも相乗効果で二乗だぜ」
《……貴様ラ、コイツノ評価ガ酷過ギナイカ?》
魔王の突っ込みを無視して、一同は顔を見合わせた。
「しかし、なんだな」
エドモンドが剣を鞘ごと抜いて握った。
「オヤジの身体に入ったということは通常の剣や弓が通用するな」
ケネスも頷いて剣に鞘をかぶせた。
「うむ、絞めるつもりの鶏がわざわざ自分で籠に入ってくれたか」
ジョセフが手頃な棒を拾ってしごいた。
「よっしゃ、クソ野郎を抱き合わせで抹殺するチャンスだな」
《へ?》
なぜだかやる気が上がってイケイケで素振りを始める若者達。
「お主ら、一思いにやるなよ? とどめはたっぷりボコってからだ」
「わかっておるわ。腕が鳴るのう」
「殴るのは棍棒でな! あっさり死なせるな、思いっきり苦しませてから殺してやれ」
若手を止めるどころか加勢する気満々の熟年層。
《キ、貴様ラ! 国王ノ命ガ惜シクナイノカ!?》
凶器ならぬ鈍器を手にじりじりと距離を詰めて来る一団に魔王は慌てて警告する……けれど、それで止まるぐらいなら初めからこんな事にはなっていないわけで。
先頭で掌に鞘付きの剣をパシパシ打ち付けるエドモンドが、悲痛な顔の口元に隠しきれない笑みを浮かべながら返答した。
「もちろんオヤジの命は惜しい。惜しいとも! しかしオヤジを助けたいばかりに魔王に降伏するのを、立派な君主のオヤジが良しとするだろうか? いや、そんなことは無い。きっと口がきけたら『ワシに構わず討て』と言うに違いない! 我々はそんな誇り高き王の末期を汚さないためにも、心を鬼にして魔王を討たねばならない! つまり何が言いたいかと言うと」
そこで咳ばらいをゴホンと一つ。
「セレナを狙うクソジジイを、合法的に一匹排除する理屈がついたということだ」
詰め寄る男達は一斉に鈍器を掲げた。
「あきらめろ魔王、そいつにとりついた自分の運が悪かったと思って道連れになれ!」
《コイツラ人デナシ過ギルゥゥゥゥ!》
ボコボコに殴られながら逃げまわった魔王=国王が祭壇の上に登っていた。周囲を十重二十重に貴族たちが囲んでいる。
《ク、クソウ……人間ノ身体ニ縛ラレテイルバカリニ、身動きガ取レナイ……》
「ほらほら、諦めて降りて来い。素直に降りたら優しく殴り殺してやるぞ」
「うまくすれば国王が死んだときに離れられるかも知れんぞ」
「まあ、それまでに死んだほうがマシなぐらいのリンチに合うが」
ゲッヘッヘと笑うエドモンドその他。どっちが悪魔かわからない。
しかし追い詰められた魔王も無策と言うわけではない。魔王に乗っ取られた国王は男たちの後ろで心配そうに見守るセレナを見る。
《ソコノ女! 国王ガ死ンデモイイノカ! コイツラヲ説得シロ!》
常識があると思われるセレナを使う作戦に出た。
「え!? えっと、その……」
急所を突く魔王の作戦は有効かと思われた……しかし。
おたつくセレナを優しく抱き留めて、エドモンドが耳元に囁く。
「セレナ、あれが“悪魔の囁き”という奴だ。耳を傾けてはいけないぞ、ヤツは国王陛下を開放する気なんてない。陛下の“魂”を開放するにはリンチで袋叩きしかないんだ」
「わかりました!」
《ソイツノ方ガヨッポド悪魔ノ囁キジャナイカ! 素直通リ越シテ馬鹿ダロ、オマエ!?》
セレナを使う作戦は失敗した。
《どうだ、我ト組む者ハイナイカ? ドンナ高望ミモ我ガ願イヲ叶エテヤロウ》
次に魔王は買収に出た。
周囲を囲む男達はお互いに顔を見合わせると、一斉に同じ願いを口にした。
『セレナ嬢を俺の嫁に』
《エッ? エエト、複製シテ人数ヲ増ヤセバ……》
「それだと、原本は誰がもらえるんだ?」
《ウェッ!?》
「なんだ、答えられんのか。やっぱり魔王なんて役に立たないな」
「ああ、バトルロワイヤルで邪魔なヤツを皆殺しが一番だぜ」
《オマエラ禁忌ノ敷居ガ低過ギダロ!?》
買収も失敗した。
《ク、クソ・・・・・・コイツラ本当ニ人間カ!?》
いろんな意味で追い詰められた魔王。じりじり包囲陣は迫ってくる。
しかし窮状は一つの手を思いつかせた。
《フ、フハハハハハ! ソウダ、国王ノ意識ガ有レバ無茶ハデキマイ!》
国王の身体に纏わりついていた黒い霧のようなものが濃くなり、代わりに吊り上がって悪魔の顔になっていた表情が本人のものになった。
《目覚メヨ国王! 悪魔ニ染メラレ変心シタ姿ヲ貴族ドモニ見セテヤレ!》
魔王ハただ憑依していただけではない。取り付いた国王の心を捻じ曲げ、悪魔に魂を売った人間へと改造していたのだ。
悪魔の拘束力が弱くなり、国王が目を開けた。
「ふ、ふおおおおお!?」
目を見開いた国王が己の手を見ながら雄叫びを上げる。
「なんだ、どうしたんだ!?」
「陛下から魔王が離れたのか!?」
「畜生、せっかくのチャンスが!」
魔王が期待を込めて、群衆が舌打ちとともに見守る中。国王の身体から黒い稲妻が走り、一瞬全身がカッと光った。
そして光が収まった時……。
国王は全裸だった。
《ホワッ!?》
「なんだ!?」
皆が見守る中、覚醒した国王は己の掌を見ながら肩を震わせ……ふいに高笑いを響かせた。
「ふ、ふふふ、フハハハハハ! なんという、なんという愉悦だ! これが悪魔の力か!? 体の奥底から、ほとばしるような後ろめたい興奮がせり上がってくる!」
《……フフフ、ソウダロウ! ソウダロウ! 魔ノ力ヲ得タ貴様ハ縛リ付ケテイタ道徳カラ解放サレ、真ノ欲望ヲ発スル事ガデキルノダ!》
途中まで一緒にビビっていた魔王が、焦りながらも頷くように言いかける。しかしそれを聞いているのかいないのか、国王は夢見るように続けた。
「そうだ、儂は魔王に取りつかれ、魔の力に操られている。儂が儂でないようだ……つまり、今の儂なら街のメインストリートを全裸で突っ走ることも躊躇せん!」
《……ハッ?》
呆然としているらしい魔王の言葉が途切れるも、そんな事は気にせず国王が陶然と歓喜の言葉を紡ぐ。
「ああ、公共の場で裸になるこの甘美なる背徳感! これが悪魔の力か……満場の観衆の前で裸踊りをすることすら今やご褒美よ! 品行方正な模範的君主の儂がこのような真似をするのも全て魔王の操るがまま……儂がこの場でセレナ嬢にセクシーな姿の我が身を見せつけても、これは魔王の性癖であって儂の趣味ではない!」
《……オイ》
「フハハハハ! そーらそらそらセレナ嬢、ゾウさんパオーンでコンニチワじゃ!」
「きゃああああ!」
「ふほほほほ、美少女の悲鳴が心地よい! これが闇に堕ちし悪魔の悦楽というものか!? えーい魔王め、儂の身体を勝手に操りおってからに! 許さん! 許さんぞ! それはともかく、ほーれほれほれ儂を見るがよい!」
「ひゃああああ!」
《貴様、完全ニ自我デ動イテイルダロウ!? ナンデモ我ノセイニスルナ!》
我に返った魔王が慌てて国王にツッコミを入れた物の……。
「うーむ、なんという恐ろしいことをするのだ魔王は」
「くうう、セレナちゃんを助けたいが陛下が人質になっていて動けない!」
「ああ、さすが魔王、卑怯で恐ろしい事を……このまま我々は手も足も出ないのか!?」
《オイコラ貴様ラ、サッキマデ国王ゴト殺ス気満々ダッタダロウ!?》
「うあああ、魔王に操られて自由が利かない! すまんの、すまんのうセレナ嬢」
「いいえ、陛下のせいではありませんわ!」
「ううう苦しいい! それはともかくゾウさんお鼻がブーラブーラ」
「きゃああああああ!」
「くそう、魔王め。セレナに酷いことを……ああ父上が捕まっていなければ!」
「さすが魔王、悪辣で陰険な手を使う! セレナ嬢と陛下、どうやったら両方救えるのだ……」
《ニタニタ笑ッテ貴様ラ始メッカラ気ヅイテイルヨナ!? ナンダソノ棒読ミノせりふハ! 貴様ラせくはらデ恥ジラウ女ガ見タイダケダロウ!》
「ううう、儂の良心が魔王と戦うが相手が強すぎるぅ……そーれローリングからのウェ~ブゥ!」
「いやぁぁぁぁぁ!」
《国王貴様、良心ノカケラモ無イノカ!?》
「ぐおおおお! セレナ嬢、見るなぁぁぁ……なんちゃって、ホッピングからのグラインドォ!」
「ふやぁぁぁぁぁ!」
《誰カ止メル奴ハイナイノカ!? コノ女ノ親ハドウシタ!?》
「侯爵ならさっき医療所へ簀巻きにして突っ込んだままだよ。くそう、陛下を何とか悪魔から引き剥がす方法はないものか!」
《オイオマエ、聞コエテンダロ!? 今、受ケ答エシタヨナ!?》
「ううむ、父上さえ魔王に乗っ取られていなければ! ああ、なんて恐ろしい……魔王に『蠅の王 ベールゼブブ』とか言うのがいるらしいが……こいつはさしずめ『裸の王 ストリーキング』か」
《変ナ名前ヲツケルナァァァァァッ!》
「なるほど、こいつが裸の王、ストリーキング……!」
《定着サセルナァァァァァ!》
「そうじゃ儂は裸の王ストリーキングじゃ! ウェーイ!」
《貴様モ名乗ルナァァァァァッ!》
人間が悪辣の限りを尽くして魔王が突っ込みまくるという訳の分からない空間で、一人セレナが苦悩している。
「ううう……恥ずかしくて見れないけど、でも、ちゃんと見ないと陛下が魔王に……」
顔を押さえたままプルプルと頭を振って呟きながら、必死に自分に言い聞かせているセレナ。それを見て全裸でサンバを踊っていた国王がポリポリと頬をかく。
「うーむ、ここまで真に受けられるとさすがに」
「なんだオヤジ、さすがに罪悪感が出たか?」
「うんにゃ、なんだか余計に興奮する」
《貴様ラ本当ニ最悪ダナ!?》
そう、何より怖いのは生きている人間(笑)