4.大逃走
ずいぶん間を空けてしまってすいません。いろいろあって書いてるどころじゃなくなりまして……。少し落ち着いてきたので、続きを投稿できるようになりました。
ガラガラと鎖を巻き上げる音が響き、堀にかかる跳ね橋が引き上げられた。上がりゆく道板の向こうで、真昼間に急に橋が上がっていくのを呆然と見つめる市民たちの顔が見える。
訳がわからないながらも急いで門を閉鎖する衛士たちの背中を見て、ロックフォール侯爵が息を切らせながら舌打ちをした。
「くそっ、思ったより手配が早いな!」
急いで大広間から逃げてきたが、伝令の方が早かった。人通りの少ないルートを選んで来たのが裏目に出たようだ。手を引かれるセレナが自分の身が危ないのを理解していないのも足を引っ張っている。
「お父様、どうして逃げるのです!?」
「ここはあまりに危険だ。セレナたんを狙う狼がこれほど多いとは!」
「狼?」
「そこら辺の事は城館に帰ったら説明してあげるから、今はとにかく逃げるぞ」
「はあ……お母様は?」
「巻き込まれないように王妃陛下のところでお茶して帰るそうだ。心配するな」
「お茶会? 今日は建国祭のパーティだったのでは……?」
「女だけで憂さをぶつけ合うのに付き合ってくるそうだ」
「それ、お父様も何か言われているのでは?」
「今は気にしない! とにかく今はセレナたんを守る!」
力説する侯爵の後ろで、礼装を着た男が叫び声を上げた。
「いたぞ、侯爵だ!」
「ちっ、見つかったか! 走るぞセレナたん!」
走り出そうとする侯爵に、のんびり突っ立ったまま返事をする愛娘。
「あ! 大丈夫ですわ、お父様」
「どうしてだい?」
「あれはエドモンド殿下ですわ」
「ヤツが一番ヤバいんだっ!」
「ぬおおおおおおおぉ!」
庭師が集めた落ち葉の山を盛大に巻き散らかし、娘の手を引いた侯爵が爆走する。ちり取りを中腰で構えたまま呆然と見送る庭師が正気に戻る前に、
「待てえええぇぇぇぇぇぇぇっ!」
礼装の若者たちが侯爵を追って、鬼気迫る様子で抜きつ抜かれつ走り去った。
「……なんじゃい、あれ?」
ややあって作業服の老人が言葉を漏らした頃には、この場にはもう彼一人しか残っていなかった。
必死に逃げる侯爵親子だったが、さすがに若い男たちのほうが速い。侯爵がどんなに頑張るも、次々と数を増す追手にどんどん距離を詰められる。セレナもハイヒールなのでそんなに速くは走れない。
ロックフォール侯爵は覚悟を決めた。
「くっ……かくなる上は仕方ない! セレナたん、王妃陛下の所にいるお母様の所に逃げ込みなさい!」
「えっ? お父様は?」
「儂はここで餓狼どもを食い止める! お前だけでも生き延びるのだ!」
なんだか一人盛り上がっている侯爵はセレナの背中を押すと、後ろを振り返り腰に下げた剣を抜く。追いかける集団はそれを見て、さすがに急ブレーキをかけてたたらを踏んだ。
「うわっ、侯爵が抜いたぞ!?」
「ちょっと落ち着いて! 剣を収めて!」
「うるさいわ発情期の豚どもが! セレナたんが毒牙にかかる前にことごとく切り伏せてくれる!」
血迷った侯爵と血迷ってる貴族たちを後ろに、勢いで走りかけたセレナは数歩進んで立ち止まった。父の指示には根本的に問題がある。
「王妃様の所へと言われても……お城には初めて来るからどこか判らないわ」
そう、侯爵は頭に血が上って忘れていた。セレナは城の中の地理がさっぱりわからないということに。
そんな困っているセレナへ、エドモンドがニコッと笑って手を差し伸べた。
「なんだかお困りのようですね。私は城に詳しいんです。宜しければご案内致しますよ」
「まあ殿下、御親切に」
うやうやしく腰をかがめて差し出されたエドモンドの手に、ポッと赤くなったセレナが嬉しそうに指を載せる。
「では参りましょうか」
「はいっ」
手を取り合って奥へと去っていく二人……を、対峙したまま呆然と見送る侯爵と若手貴族たち。
そこへ年配の集団が追いついてきた。立ちすくむ人々を怪訝に思いながらも、第二集団はセレナはどこだと辺りを見回す。
「侯爵を捕捉したか! で、我が女神さまはどちらに!」
「貴様が言うな子爵! セレナ嬢は私の女神だ!」
さっそく仲間割れを始めるジジイどもの騒ぎで、ハッと我に返った侯爵が叫ぶ。
「しまった、バカ王子に先回りされた!」
我に返った若手貴族たちも大慌てで走り始めた。
「追えーっ! 今度は王子がセレナ嬢を誘拐した!」
「セレナ様が無事なら王子の生死は問わない! エドモンド王子を捕獲しろぉっ!」
「誘拐? なのかな……」
後ろから蜂の巣をつついたような騒ぎが起こるのを聴きながら、エドモンドは舌打ちをした。
「思ったより立ち直りが早いな……」
「どうかされましたか?」
「いえいえ、こっちの話。我らの未来に嫉妬するお邪魔虫どもがやかましいようです。ちょっと急ぎましょうか」
「え? ええ……ふぇっ!?」
こと色恋沙汰については、エドモンドは侯爵なんかよりもよほどの場数を踏んでいる。的確に後ろの状態を把握すると、王子はサッとセレナの足をすくって胸の前に彼女を横抱きにした。
「さあっ、飛ばしますよ? しっかり掴まっていてください」
「は、はい?」
訳が分からないながらもセレナが許嫁?の首に手を回す。押し付けられる身体の柔らかさに叫びだしたい気持ちを抑え、エドモンドはいわゆるお姫様抱っこにセレナを抱えて勢いよく床を蹴った。
「うおっ、なんだアレ!?」
「くそぉっ、王子に離されるぞ……!」
呻く声をはるか後ろに置き去りにし、エドモンドは自慢の(火遊びで培った)俊足で追跡する連中を振り切るべくダッシュする。そう、二人の輝かしい未来へむけて。
セレナをお姫様抱っこで抱えて逃げるエドモンド。思いっきり腰に負担がかかる担ぎ方なのにスプリンターのごとく突っ走る王子は、所々で物陰から飛びかかる貴族を華麗に躱してゴキブリのようなすばしこさで逃げ回る。
「くっ、なんて足の速さだ!」
「さすが『神速の二股男』の二つ名は伊達じゃないな! 修羅場の逃げ方が並みじゃねえ!」
「それ別の意味じゃないか?」
ひいひい言いながらそれでも追いかける貴族令息たちを尻目に、好色の王子はワルツのような余裕のステップを踏んで男爵令息のタックルを避け、辺境伯のスライディングを軽やかに飛んで回避する。
「はーははは! 我に追いつく間男無し! 日々夜の武者修行で鍛えた持久力に、寝取られ男との追いかけっこで備わった運動能力! 俺に凡百の貴族が敵うものか!」
「全然自慢にならないぞ、クソ王子が!」
「間男言うな! 貴様という魔王の毒牙から乙女を守る白馬の王子様だ!」
後ろからの指摘も鼻で笑い飛ばし、二人の桃源郷を目指すエドモンド……の前に、剣を抜いて仁王立ちになるケネスが見えてきた。
自然に足が止まり、対峙するエドモンドとケネス。
「……ケネス」
「……エドモンド。陛下の命だ、おとなしく縛につけ」
ケネスの後ろに近衛騎士達が控えている。父が騎士団長とはいえケネス自身に騎士を動かす権力はない。つまり本当に国王の指示があったということだ。
「ちっ、あの野郎復活しやがったか……母上の折檻がもうしばらく続くと思ったんだがな」
「それは俺も同感だが、モッサリジジイに見えてあれでもお前の父親だからな。王妃陛下を必死に口説いて早々に解放されたようだ」
しばし無言の時間が過ぎ……口を開いたエドモンドが親友に静かに問うた。
「一つ聞いていいか? 生涯の友よ」
ケネスも頷く。
「ああ、俺たちは被告と追手という前に莫逆の友だ。何でも聞いてくれ」
「俺を逮捕って、おかしいと思わないか? 十年来婚約している許嫁と正規の手順で結婚をすることの何が悪いのだ」
「特にはおかしくないな。イケメンで金も権力もあって若い女にモテまくった上に、最終的に絶世の美女とゴールしてニャンニャンするなど神の摂理に反すると陛下がおおせだ。俺もそう思う」
「あのクソジジイ、若い頃は俺よりモテてたとかほざいていたぞ」
「そいつは我が国の絶対神が裁くから、それはそれとして……とりあえずお前にセレナ嬢がぞっこんラブとか、神が許しても俺が許さん」
「自分が俺のセレナとイイコトしたいだけだろう?」
王子にジト目で指摘され、図星を刺された純情青年は動転しまくってパントマイムのように身振り手振りで否定し始める。
「そ、そんなっ!? いやいや、俺はあくまで純粋にセレナ殿に思いを捧げているだけで……俺はお前みたいにあんなコトやそんなコトをすぐには求めない! そりゃ、将来的にはしたい、させていただきたい! だがそこまでにはいろいろ段階を踏まなければならないわけでぇ!? ま、まずは手をつなぐところから始めて、庭園を愛でたり湖畔に遠乗りするとか……いや、もちろんいい雰囲気になってしまって求められたらもちろん否やはない! そう、ムーディーな夕焼けを二人で眺めているうちに、とか……きゃーっ!?」
顔色を次々変えながら身もだえしているゴツイ青年の肩を、廊下の先を見つめたまま焦った近衛騎士が叩く。
「若、殿下はもう逃げてますけど!?」
ケネスがハッと騎士の指さす方を見れば、エドモンドの背中は遥か彼方を遠ざかっていく。
「なぁっ!? くそっ、追え! エドモンドの奴、怪しげな話術で誑かしおって!」
「えっ? 若が一人で得意げにしゃべっていただけじゃ……」
「ええい、俺の遠大な交際計画を知られたからには生かしておくわけにはいかん! 捕まえてヤツの記憶が飛ぶまでぶん殴ってやる!」」
「追いかける趣旨もう違っちゃってますけど……ていうか、聞かれたところでそんな大した計画かなあ」
「んー、ただの妄想だよな。計画性全然ないよね」
「いいから追えよ!?」
さすがに上司の息子みたいに頭に血が上っていない騎士達は剣を収めたまま、お互い顔を見合わせるとため息をついて追いかけて行く。
「エドモンドめ、とりあえず捕まえたらもいでやるっ……て、えぇっ!?」
彼らに遅れて走り出したケネスの目の前で……いきなり壁が窓状に開いた。
「なんだ!? 隠し通路か!?」
急ブレーキをかけたケネスの前に、そこからひょこっとエドモンドが顔を出した。
「そうそう言い忘れてた」
「え? 何を?」
「お前の恋愛観、キモいうえに重い」
「なっ!?」
「女の子が初回のデートで見切りをつけるタイプだ。俺のセレナを口説きたければ娼館行って十年ばかり修行してこい、ばーか」
また壁がパタンと閉じる。それを見届けて膝をつくケネス。
不意打ちで心に致命傷を受けたケネスは……開け方を調べることもできず、その隠し窓の前に崩れ落ちた。
「若ぁーっ!?」
「しっかりして下さい!」
王子が顔を出したのを見て駆け戻って来た数人に助け起こされ、滂沱の涙を流すケネスが最後の力を振り絞って切れ切れに言葉を紡ぐ。
「エ、エドモ、ンドは……隠し通路を、利用す、るつもり……だ」
「はっ、それも踏まえて探させます!」
「た、頼ん、だ……ぞ。く……くそっ……俺のピュアなラブが……キモいだなどと……」
「ああ、それはみんな思ってましたけど」
「うん、笑えるくらいキモかったよね」
今度こそケネスはこと切れた(多分)。
ケネス君に幸あれ。