3.最後の審判(笑)
王が口を挟んできました。ろくなことになりません。
乱痴気騒ぎの姿勢のまま、いったん鎮まった臣下たちを壇上から王が睥睨した。
「全く、おぬしらは何をしておるのじゃ。若い者も言うに及ばず、分別のあるはずの大人、しかも妻子ある者たちまでなんじゃ、この有り様は」
「し、しかし!」
「しかしも何もないわ。美人が一人現れたぐらいで、立場も忘れて我も我もと口説きにかかるとは……色ボケもたいがいにせい、情けない」
自分も見とれていたのを棚に上げて説教する王に、一同心の中で突っ込みを入れつつもかしこまる。
「だが参ったの、まさかこんな騒ぎになるとは……エドモンドよ。この際ぶっちゃけて言うが……ここまで準備していたのに今さらひっくり返すとは、おぬし正気か?」
「もちろんです! 前提条件が全部崩れたのですよ!? どう考えても婚約破棄どころじゃないでしょ! ……うるせえッ、外野は黙ってろ!」
後半はブーイングする男性陣へ。
「そもそも婚約の破棄を主張していたのはお前じゃろう」
「今言ったとおりです。根強く流れていたセレナに関する噂はどう見ても貶める為にわざと流されていたものですよ。私は本人を見て風評は全て嘘だったと確信しております」
「確かになあ……とても噂通りの行いをする令嬢には見えんのお」
「まったくですよ! 常日頃から節制していなければあんな肉付きにはなりません! 程よく運動している引き締まった筋肉の上に絶妙の厚みで柔らかく薄い脂肪が載り、あの素晴らしいプロポーションになるのです。呼ばれてから急にダイエットなどしてもあの黄金比にはならない! 誰だ、暴飲暴食で喰っちゃ寝の毎日などと言ったヤツは!」
「詳しく聞きたいところだがエドモンド、本音と建前が逆転しとる」
王は顎髭をしごきながら反対側を向きやった。
「うーむ……侯爵よ、ずいぶん婚約破棄に執着しておったな。おぬしの言い分は」
「はっ。ここまで準備してきたのに今さら土壇場で止めたは無いでしょう! 断固婚約破棄です!それしかありえません! セレナは領地へ連れ帰って厳重に隔離して男なんぞ絶対に近づけません! ……家庭内の問題だ! 口を挟むなクズどもが!」
後半は激しくブーイングする男性陣へ。
しかし、侯爵の発言に文句をつけたいのはエドモンドもだ。
「なんだと侯爵、一か月近く走り回って来たのは俺だぞ!? 貴様がやったのは承知の一言を言っただけだろうが! その俺が婚約破棄はしないと言っているんだ、貴様が努力の無駄とか言う筋合いは無い!」
それに対して侯爵もはっちゃける。
「何を言いやがりますか!? この私がこの十数年、どれほど婚約破棄に持ち込むべく心を砕いてきたことか……その間のほほんと女の尻を追いかけていた殿下にこの心労が判りますか!?」
「誰が色ボケだ、この野郎!」
「自覚が無いのかエロガキが!」
「馬鹿にするな、自覚はある! 他人に指摘されるのが許せんだけだ!」
すごく恥ずかしい言い争いに突入しかけたエドモンドだったが……侯爵の発言に引っかかる部分があることに気が付いた。
「……ちょっと待て、今なんて言った? 十数年婚約破棄を、だと!?」
「そうだ、苦節十数年……我が愛しのラブリーエンジェルセレナたんが、不本意にも選りによって股間不如意の出来損ない男と婚約の憂き目にあってからの十数年だ! 陛下がどうしてもって言うから仕方なく……ほんっとーに仕方なくセレナたんとクソガキの婚約を認めはしたが……儂はもうその日から後悔で死にそうで死にそうで……」
「おい、股間不如意の出来損ない男って誰だ!? 俺が婚約した時五歳だぞ? いくら何でもその年から何かしているわけ無いだろうが!」
「嘘をつけ! 貴様侍女にだっこをせがむ時に、わざわざ胸がでかい女を選んで抱き着いていたろうが!」
「テメエの知ったことじゃないだろうピーピングジジイ! ていうか俺だって覚えてねえよ、そんな昔の話!」
「あー、確かにエドはそういう相手選んでたね。今考えたら」
「いや待て、世話係がそういう女ばかりだからコイツ巨乳フェチなんじゃないか?」
「うーん……卵が先か、鶏が先か。深い命題だな」
「俺の性癖なんか今どうでもいいんだよ! お前ら余計な事しか言わないんなら帰れよ!」
エドモンドが友人たちを吊るし上げている後ろで、彼らを無視して侯爵の語りが続く。
「そこで儂は考えた。万年発情期の馬鹿犬から我が無垢なる天使を守るためには荒療治もやむをえまいと!」
エドモンドに胸倉掴まれているジョセフが、ん? と首をかしげた。
「あれ? この話の流れからすると……」
侯爵がグッとこぶしを握り締める。
「儂はセレナたんを余計な雑音が入らない領地で大事に大事に育てる傍ら、王子が婚約を自分から投げたくなるように逐次悪い噂を流し、お互いの情報がバレないように完全にマイエンジェルとクズ王子を遮断した! 計画的に十年かけてここまで持ってきたんだぞ!? 畜生ッ! それをその場の思い付きでひっくり返されてたまるか!」
「悪評の出どころはおまえかよッ!?」
この騒動の根本の原因が暴かれた。
あまりの話に、さすがにこの場の人々が呆けている中……いち早く立ち直ったエドモンドが、決めポーズで勝利の笑みを浮かべる。
「ふっ、残念だったな。そのような浅はかな企みなどお見通しだ!」
「いや、見事に引っかかってたじゃろ」
王からの突っ込みを無視してエドモンドは勝ち誇る。
「侯爵よ、思い知れ。俺とセレナを結ぶ赤い糸は、この程度の妨害で断ち切れはしない!」
「えー? 真に受けて断ち切りに行ってたでしょ。セルフで」
「うむ、ノリノリだったな」
「お前ら、いい加減つまみ出すぞ」
侯爵が這いつくばり、悔し涙で床を叩く。
「くそう、儂の目論見が甘かった……いくら馬鹿で軽くて下半身から生まれてきたような最底辺の社会のクズでも、もうちょっと大人の判断力と社会性があるかと思ったのに! まさかここまでセッティングしておいて全部ひっくり返すような、他人の迷惑を考えない自己中で我が儘で常識のない腐ったミカンのような男だったとは……」
「なあ、そこまで余計な形容詞が必要か?」
「これでも言い足りないぃぃぃぃぃぃぃぃぃ! ああ畜生ッ、念には念を入れて養豚場から若い雌豚を着飾らせて連れてくればよかったあぁぁぁぁぁぁ! どうせ雌なら犬でも猫でも構わないような節操のないクソ野郎なんだから!」
「いい加減、不敬罪でコイツを高い所から吊るしちまっても文句出ないよな、なあ?」
「このクズ王子、同じヒト科でも若くないとダメだよ? 意外と好き嫌いあるから」
「豚を連れて来るのはいいが、ちゃんと巨乳を選んでこないと食いつかないと思う」
「おい警吏、ロープ三人前、大至急な」
悲嘆にくれるロックフォール侯爵と仲間割れしている若者三人組を左右に見ながら、王がちょっと離れた所にいるセレナに目を向けた。
「さて、どうしようもない二人の意見は訊いたが、肝心のセレナ嬢はどう思っているのかの?」
セレナの名が出て、一斉に視線が妖精のような令嬢に集まった。誰だって野郎のどうでもいい罵り合いなんかより、見目麗しいお姫様を見ていたい。
こういう場に出るのも初めてなら群衆に注目されるのも初めてな深窓の令嬢は、まわりに見られるのに戸惑っていたが……やや時間をおいて膝を折り、会釈をしてから王に応えた。
「はい、陛下……その、私もこのたびの事は驚きでして……。父から急に王子殿下から婚約破棄を切り出されたと聞いた時は、ショックで泣き暮らしたものですが……その、来てみたら殿下はむしろ私と結婚したいとおっしゃってくれますし……あの、思っていたよりカッコよくて、私……」
かぁっと赤くなって頬を手で押さえるセレナの姿にエドモンドはガッツポーズ、侯爵は号泣……その他の観衆はえーっ!? という顔でエドモンドを見る。
「なんだよ、俺はそこらの奴よりよほど顔が良いぞ!」
「エドは顔より行状がなー……セレナちゃんは知らないからなー……」
その他代表で、ジョセフがセレナに質問してみる。
「あの、思ったより良かったって……エドの事をどう見てたの?」
「はい? えと、お父様から許嫁になった時に肖像画をもらったのですが、その、人間が描かれているとは思えなくて……だからどういう人なんだろうってずっと想像して……」
皆の視線が侯爵に移る。
「ロックフォール侯爵、何渡したんですか? エドの話だと肖像画を交換したみたいなんですが?」
ジョセフの質問に何故か胸を張る侯爵。
「ちゃんと渡したとも。王室からの下賜品を汚すわけにはいかんからな、受け取った殿下の肖像画を元にキュビズムの大家に書き直してもらった複製品を渡した」
「それ前衛画。肖像画じゃねえ」
「大して変わらんだろう。どうせ現物は前衛画の方がマシな顔なんだし」
「おう侯爵、表に出ろや」
「一人で出てろ、儂はセレナたんを愛でるのに忙しい」
セレナが続ける。
「お父様から殿下が私をずっと嫌いで、婚約破棄だけでなく宮中で『オークみたいな女と結婚なんかできるか』と吹聴して回っていたと聞いて、絶望で目の前が真っ暗になったんですけど」
「おい侯爵、そもそも言って回っていたのはテメエだよな!?」
「実際に貴様は疑いもせずに、その通りに行動してただろうが」
「来てみたら殿下がその、とてもカッコよくて……それに婚約破棄どころか、あんなに熱烈に愛を囁いてくれるし……」
再び赤くなって両手で顔を覆うチョロ過ぎるセレナに、男性陣はエェー……と絶望の呻きを漏らし、若い娘たちはキィーッ!と高周波を鳴らす。
そして誰より悲嘆の呻きを漏らすのがこの人。
「セレナたん!? こんなボンクラのどこがいいんだ!? 男はみんな狼だっていつも言ってるでしょ!」
悲痛な侯爵の叫びに、セレナがキョトンとした顔で返す。
「ええ、お父様からいつも聞いておりましたが……でも、婚約者って唯一親密になっていい男の人なんでしょう? マナーの先生がおっしゃってましたわ、淑女たるもの夫となる方の手しか取ってはいけないと」
数秒の空白の後。
侯爵が頭を抱えて転げまわった。
「痛恨の凡ミスだぁぁ! 箱入り娘に育て過ぎたあぁぁァァ!」
エドモンドが侯爵に向かって、会心の笑みで親指を立てる。
「義父殿、グッジョブ!」
「貴様にお義父さんなどと言われる筋合いはなぁいぃぃぃ!」
「いや、あるだろ。娘の婚約者だぞ」
「いーやーだーぁぁぁあああ! 認めん、儂は結婚なんて認めんぞッ!」
二人の渾身の右フックが交差した。
王子と侯爵の取っ組み合いが再燃したのを見て、うーむと顎髭をしごいていた王が制止をかけた。
「ふむ、とりあえず落ち着け!」
関節技をかけあっている二人をケネスと近衛騎士たちが引き離す。床に膝をついた二人に、王は困り顔で語りかけた。
「まさかこんな展開になるとは思わなんだが……想定外のアクシデントとはいえ、侯爵もエドモンドも二人とも重職に就く身。自重せよ」
「はっ……」
「はい……」
「にしても、関係を強化するための婚約だった筈なのに……それが溝を作る原因になるようでは困るぞ、二人とも」
「申し訳ありません陛下、つい、このクソのような人非人に愛娘を汚されるかと思うと我慢できませんでした。そのことについては悪いと思っていません」
「場を騒がせてすいません、陛下。本人と親を前にして王族に対しこの不敬な物言い、今すぐ処刑しかない大逆人と思うと怒りを抑えきれませんでした。反省していません」
「二人とも、立膝じゃなくて正座な」
場が鎮まったところで、王が威儀を正した。
「これでは仕方ない。それぞれに譲歩をさせる事にしよう」
「と、申されますと?」
宰相に問い返され、王が重々しくうなずく。
「うむ。エドモンドと侯爵、セレナ嬢の三者に、それぞれ一歩引いてもらう、つまりセレナ嬢を欲しいエドモンドと侯爵、エドモンドが良いセレナ嬢は第一希望は諦めよ。そして儂も国王として引責せねばならん。したがって愛妻家の儂にはつらいがセレナ嬢を儂の第二夫人に取るということで、全員損をするが王家と侯爵家の縁組は守れて万事解決じゃ!」
上手い落としどころをつけたと鼻高々の王と、白けて氷点下の会場の空気。
しばらく沈黙が続いた後、宰相が眼鏡のブリッジを押し上げながら発言する。
「……陛下。どうせ引責するんなら、北方僻地の開墾失敗の責任の方を取っていただきたいのですが」
「儂、あれ関係しとらんし」
「この婚約話でもお呼びじゃないと思いますがね」
王と宰相の会話をきっかけに、金縛りの解けたエドモンドが父に指を突き付ける。
「クソ親父ッ、寝言は寝て言え! 全員で損するって、一人だけ総取りじゃないか!」
「何を言う! 今まで側室を置かなんだ儂が、争いを鎮めるため本意でないが争う大本を引き受けようという国父の親心ではないか!」
「スケベ心の間違いだろ! だいたい若い美女を抱えたって、今さらその枯れすすきが役に立つのか!?」
「何を言うかエドモンド、儂はお前と違って今は乱射魔じゃないだけなんじゃ! 我が聖剣エクスカリバーは百戦錬磨のつわもの、未だその切れ味は衰えとらん! かつては儂も盛大に活躍したものじゃぞ? もうちぎっては投げ、ちぎっては投げ……」
息子に己の偉業を説明しかけた王の頭を、女性の右手が鷲掴みする。
「まあ陛下。その聖剣の切れ味を、正妃としては一度くらい拝んでみたいものですわねえ」
「お、王妃……!? いや、これは、そのう……」
ベアクローがメキメキと音を立てて締まっていく。
「それとも……他所じゃないとナマクラになっちゃうのかしらぁ? でしたら私も、その武勇伝だけでも伺いたいものですわ? 二人きりでじっくりと……ねえ?」
「ま、待てお前、割れちゃう、割れちゃうからあ……ひいいい!」
握力のみで夫を吊り上げた王妃は、静まり返る人々ににっこりと笑って挨拶する。
「皆さん、私たちはちょっと用事が出来ましたので中座させていただきますわ。後はどうぞ、くだけた場でお楽しみになって」
言葉もなく国王夫妻の退場を見送る列席者の中で、エドモンドだけがグッとこぶしを握った。
「よっし、阿呆の排除に成功!」
「わざと話を振ったのかよ……」
呆れるケネスも止めないあたり、あまり人の事を言えない。
何とも言えない雰囲気の中、宰相がコホンと咳をする。
「まあ、なんだ。両陛下がちょっと急用が入りましたので、私が仕切らせていただきます」
気まずい顔をしていた人々が顔を見合わせ、頷きあう。今見た物を無かったことにするあたり、ちょっと忠誠心が気になるエドモンドではあった。
「えー、婚約破棄の件については、王はあのように裁定されていましたが……いささか継続には問題があるようです」
問題点については、今目の前で見たので誰も何も言わない。
異論が出ないのを確認して、宰相が続ける。
「というわけで、最低限の改正を加えると致しますと……おおっと、次席として私が嫁に取ることに。幸いにも私は独身ですし、息子にも母の愛が……」
宰相の側頭部にジョセフのローリング・ソバットが炸裂する。
「同じネタを何度も繰り返すな! あと息子の嫁に手を出すんじゃない!」
着地したジョセフの頭頂部に今度はエドモンドの踵落としが入った。
「テメエこそ俺の嫁に何度も言い寄るな!」
宰相のお手盛り発言に触発して、他の者も一斉にラブコールを始める。
「サマーセット伯爵でもいいなら家格的に私でもいいはずだ!」
「待て待て、家格で言ったら儂は公爵だぞ、これ以上はあるまい!」
「いや、家格よりも若手の有望株である僕こそが相応しい!」
「だからセレナは俺のものだって言ってるだろう! お呼びじゃないんだよ!」
「王子の独占反対! プロポーズの機会は平等であるべきだ!」
「なんだと!?」
騒ぎ始めた男どもの必死のアピールにエドモンドの罵声が混じり、さらに女性陣の彼氏を非難する糾弾の声が被さる。
またも無秩序な空間になった大広間の中で、ケネスが辺りを怪訝そうに見回していた。
「おい、エドモンド」
「なんだケネス、俺とセレナに割り込む隙は無いぞ!」
「そうじゃなくて」
ケネスが騒乱を指さした。
「ロックフォール侯爵はどこだ? セレナ嬢もいないぞ」
ケネスの声が聞こえた範囲が鎮まった。それに釣られて周りもだんだん違和感に黙り込む。
二人が見回す中に、どう見ても姿が無い。
エドモンドが声を張り上げた。
「おい、ロックフォール侯爵を誰か知らないか!?」
違和感の原因に気が付いた人々が騒めき始める。
「そう言えば、陛下が裁定した後に声を聴いてないな」
「そうだ、その前までしか見てない!」
「王妃陛下が王陛下を連れてった時にはもう見た覚えがないぞ!」
一同が顔を見合わせ……ケネスが叫んだ。
「ロックフォール侯爵がセレナ嬢を誘拐して逃げたぞ!」
静まっていた大広間は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
「大変だ!」
「追え! 急げ!」
「まだ城内から出れてはいないはずだ! 探せ!」
「この場合誘拐っていうのかなあ?」
「いや、そんなこと気にしてる場合じゃないだろう」
わぁっと男性貴族たちが走り出し……続いてエドモンドの指令を受けた警備の騎士や侍従たちが、使命感というより職業意識で会場を出ていく。
後には参加する気が無い女性陣とわずかな男性陣の残り、そしてまだ回復してない宰相親子が残された。
当初の想定では前後編のつもりだったのが、筆が滑ってダラダラ長くなってしまいました。
また終わりませんでした。すいません。