2.約束は破るためにある
いよいよ話題の令嬢が登場です。
ついでにパパも出てきます。
会場中の人間が注目する中、侍従が引いた扉から数人の人影が粛々と入場してきた。
オールバックの白髪に豊かな口ひげ。謹厳な表情の皺の深い顔にはモノクルがはまっている。たまにしか来ないが確かにロックフォール侯爵だ。
さらに会った回数が少ないが、ふくよかで柔らかい顔をしている銀髪のご婦人が侯爵夫人。この家の人はそもそも王都にいることが少ない。
そしてその後ろから、問題のセレナ嬢がついて来ている筈。背の高い侯爵の後ろに確かに誰かいるのが見えるが、入口係が驚愕の表情で固まっているから間違いなくセレナだろう。
いや、ここで他の人間の筈は無いのだけれど。
(よし、俺は平常心! どんなのが出てきても大丈夫!)
自分に言い聞かせながら、エドモンドはまったく平然と見えるように玉座の前で待つ。
正直今からのイベントはやりたくないし、そもそも会いたい相手ではないけれど……今ここに至っては、ずっとうわさだけ聞いていた話題のバケモノをみてみたい!
怯えつつも楽しみに決定的瞬間を待つ。侯爵の背が高いおかげで目の前に来るまでなかなか見ることができなかったけど、その時間のおかげで心の準備は万端だ。
しかし。
やっと伯爵の背からセレナ嬢が出てきた時……一瞬でエドモンドの平静は吹っ飛び、彼は入口の侍従と同様に固まって停まった。
胸元を広く開けた最新型のマーメイドラインのドレスに包まれた身体はすらりと細く、出るべきところだけ形良く張り出た理想的なライン。
母譲りの銀髪はそのまま腰まで流されて透けるように光り輝き、雪白の極め細かな肌や深い青のシンプルなドレスに良く映えている。
瓜実型の顎に薄く小さな唇、通った鼻筋に思慮深そうな切れ長の眼。黒目がちの瞳はドレスと同じく宝石のような澄んだ蒼。
静々と伏せ目がちに進んでくる姿は、その容貌と相まって月の女神のようだった。
その姿を見て、みんな思った。
美人やん。
どう見ても美人やん。
ちょっと見当たらないレベルで絶世の美女やん。
……豚のバケモノ、どこ行った?
観衆の心が一つになった。
見世物の期待にざわついていた会場が、セレナの姿を確認した順に静まり返っていく。玉座の前に到着した段階で、会場は葬式を通り越して咳一つ聞こえない無音になった。
そんなおかしな空気の中、たぶん侯爵一家が良く見えていなさそうな位置の侍従が自分の仕事を思い出して叫んだ。
「国王陛下、並びに王妃陛下御入場!」
その声にずっと幕袖で待機していたのだろう父母が入場してきた。そう、侯爵家の入場が終わったらすぐに王が入り、そして開会の辞の前にエドモンドが発言を求める。そういう流れになっていたのを、エドモンドはぼんやり思い出した。
通常なら貴族たちが全員礼をしている中で国王夫妻の入場なのだが、今日は全員固まって動きもしない。それを咎めるべき閣僚や衛士も同様なので、時間が停止したようなおかしな空気を感じながら国王と王妃は玉座に着いた。
「うむ侯爵、足労であるな。ご夫人も久しぶりじゃ。で………………セレナ嬢?」
疑問形になってしまうのは仕方ない。むしろ良く声が出たと国王は褒められてもいい。
声をかけられた令嬢は優雅に腰を折り、綺麗な礼をして頭を下げた。
「お初にお目にかかります。ロックフォール侯爵家が一子、セレナでございます」
外見に負けない、鈴のような美しい声でセレナ嬢は挨拶をして見せた。その典雅な様子と耳に柔らかく響く音色に、エドモンドも思わず止めていた息を感嘆とともに静かに吐いた。
そして思い出した。
いよいよエドモンドの出番だ。
かろうじて自分のセリフを思い出した今日の宴会部長は王に発言の許可を求めた。
「陛下、御前で私より申し上げたいことがございます!」
軽く手を上げ、声を張り上げた王子に、玉座に座った王が許可を出す。
「お、おう。発言を許す」
セレナ嬢を凝視したままだったが。
「陛下?」
「うむ? はよせい」
エドモンドの確認に王は生返事をした……セレナ嬢を凝視したまま。
(まあ、別に父上はどうでもいいか……)
貴族たちにセレナへの婚約破棄宣言を聴かせるのが目的なのだ。国王が聴いているかどうかはこの際どうでもいい。
嫌な感じに血のつながりを見せる父をほっといて、エドモンドはセレナに向き直った。
「ロックフォール侯爵令嬢セレナ殿!」
手を差し伸べたエドモンドの前に、父親の後ろにいたセレナが進み出た。
「……はい」
消え入りそうな声ながら、はっきりと答えてエドモンドの眼を見てくる。その目を見た時、エドモンドは理解した。
(あ、これ誹謗中傷で陥れられたパターンだ)
女遊びがひどい軽い性格の王子と思われがちだが(事実だけど)、実はエドモンドは人を見る目がある。
なにしろ物心つく前から彼に取り入りたい人間、利用したい人間が押し寄せてきていた。どれほど表情を取り繕っていようが演技が上手かろうが、その裏の本心を見透かす力を持っている。
その本能が告げている。セレナは無実だと。
気丈にこちらを見つめて来るセレナは無表情を装っているが……内心の憤激、悲嘆、諦念を示すように、わずかにへの字に歪めた小さな唇が震えている。泣いてはいないが、今にもこぼれそうなほど濡れた瞳が揺れていて……それが演技でないのをエドモンドは確信した。
自分のあずかり知らない所でさまざまに悪評が流され、それを信じた婚約者に捨てられる。しかし反論しようにも社交界には縁遠く、声を上げることもままならない身。親にも従うように説得されて、もうどうしようもないと諦めて断罪を宣告される為だけに黙ってやって来た。そんな無念さが彼女からひしひしと読み取れる。
(しかし……しかしっ、それが今さら判っても……!)
せめて準備段階で一回でも会えておけば!
エドモンドが突発で思い立ったなら、婚約破棄を宣言しないで黙っていればいいだけ。
だけど今日のこれは綿密な計画の上での話。すでに根回しも完璧、セッティングも万事整ったうえでのこの場面だ。
しかも、もう情報が漏れまくって会場中が今から何が起きるか知っている。この後の事態収拾のスケジュールまで細かく組んである。無実が今さら判ったところで、もはや流れはどうしようもなかった。
(あああ、くそっ! セレナ殿には申し訳ない、けど……というかもったいねえ……)
セレナの悲痛もわかるけど、すでに走り出してしまったこの状況。彼女の抜群の美貌に早くも破談をめっちゃ後悔しているエドモンドでも、今さら差し止めなど出来よう筈もない。
「セレナ殿……」
「はい……」
ものっすごく後ろ髪を引かれる思いでもう一回名を呼ぶエドモンドに、もう処刑台に載っている風情のセレナがそれでも目をちゃんと合わせて短く答える。
その時、エドモンドは見てしまった。
胸の前で指を合わせ握りしめた手が震えているのを。
……正しく言うならそのさらに奥を見てしまった。
そう……開いた胸元から見える、脇を締めた時に寄せられた深い胸の谷間の「ぷに」感を。
エドモンドは非常に面食いだが、同時にボインスキーでもあった。
(……ダメだ……)
もう迷いはなかった。
エドモンドはキラキラ光るまっすぐな瞳でセレナを見つめ、思いのたけを言い切った。
「セレナ殿、正妃を前提に俺と結婚してください!」
「……はい?」
唖然としたセレナが美貌に似合わぬ間抜けた声を上げ……ひっくり返った台本に、周囲の観客が全員顎を落とした。
完全に開き直ったエドモンドはサッとセレナに歩み寄り、腰を抱いて手を握りしめる。
「貴方に一目惚れしました! もう貴方しか見えません! 貴方に婚約者がいるとか関係ない! 貴方を俺だけのものにしたいんです!」
「え? いえ、その婚約者が殿下なんですけど……」
「あ、そうでしたっけ? 奇遇だなあハハハ! いや、そんな小さな事は今どうでもいい! 貴方の美しさに俺の心臓は張り裂けそうです! 貴方と出会ったその日から、俺は貴方の笑顔を思うと夜も眠れない!」
「は? でも初めて会ってからまだ五分……」
「だから一睡もしてないんです! 嘘じゃない! どうか貴方を俺のものに!」
「ちょーっと待ったぁぁぁ!」
密着したエドモンドとセレナの間にロックフォール侯爵が無理やり身体をねじ込む。
「殿下のお話承りました! 婚約破棄とは残念ですが仕方ありません! セレナは領地で謹慎させましょう! いや残念ですなハハハ! ではこれで失礼します! お達者で!」
「まだ婚約破棄なんて一言も言ってねえよ!」
邪魔してきた侯爵をエドモンドは足払いで投げ飛ばす。
「セレナ殿! いやもうセレナと呼ばせてくれ! 子供は何人ぐらい欲しい? とりあえず十人ぐらい作ってから考えようか! 新婚旅行の場所なんだけどトレス海岸なんてどうかな? 海に沈む夕日が綺麗でロマンチックなんだよ!」
マシンガントークでセレナを押しまくるエドモンドに、ガバッと起き上がった侯爵が飛びかかる。
「殿下! 婚約破棄した『元』婚約者をあんまりいじるもんではありませんぞ! セレナも混乱しているようです! 失礼があってはいけませんからすぐ退散します! では!」
「だから婚約破棄なんて一言も言っとらんわ!」
飛んできた侯爵を勢いそのままに、飛行機投げで明後日の方向へ投げ飛ばすエドモンド。
「お父様!?」
「侯爵も婚約本決まりで嬉し過ぎて飛び跳ねているみたいだよハハハ! とりあえず結婚生活の練習の為に同棲しないか? なに王城なんて巨大な二世帯住宅さ、義両親がいるなんて気にしない!」
やっと呆然自失から戻ったジョセフが恐る恐る声をかけて来る。
「お、おいエド……もう婚約破棄で段取り組んでるのに今さら何を……」
「見てわからんかジョセフ!」
「わけのわからない顔をしているセレナちゃんを力いっぱい抱きしめているとしか……」
「どこからどう見てもセレナは無実だ。悪質なデマを誰かに流されて嵌められたんだ! 俺は王子として婚約者として、そのような不実を許すことはできない!」
「本音は?」
「散々言い寄られて遊びまくった俺でもお目にかかったことが無いほどの上玉だぞ!? 人生に二度あるかわからないチャンスで手を離せるか!」
「うん、お前のそういう正直なところは良いと思うけどさぁ……」
呆れて口をつぐんだジョセフの代わりに、宰相が慌てて駆け寄ってくる。
「で、殿下!? もう婚約破棄で動いてしまっているのにどうするんですか!?」
「公式には何にも口にしとらん、破棄しなくたって問題ない!」
「記録的にはそうですが……!?」
セレナの後釜を入れる手はずになっていた公爵も加勢してくる。
「殿下! そんなことをおっしゃられたら、うちの末娘はどうなるのですか!?」
「まだ十二歳だろ、今から相手を探しても十分間に合うわ!」
「そんなぁ!?」
「じゃあ、あと五年待つとしてお前の娘はこのレベルになるのか?」
「それは無理っす」
「貴方、何認めちゃってるの! うちのエリカちゃんは世界一可愛いわ!」
奥方に首を絞められている公爵をほっておいて、再度セレナに向き直る……前に侯爵が飛びかかって来た。
「殿下ッ! 早く婚約破棄をーッ!」
「くどいわッ!」
今度は巴投げで三度放り投げられた侯爵だが、根性で這い戻ってエドモンドに縋り付く。
「決まっているんだから早く婚約破棄を! 破棄してーッ!」
「破棄せん! 絶対しない! むしろ今すぐ結婚したい! なんでそんなに破棄したがるんだ!?」」
「そんなっ……約束が違う! 絶対破棄するっていうから連れてきたのに!」
侯爵がさめざめと泣きだした。
「嫌だーッ、クズ王子とセレナたんを結婚させるなんて絶対嫌だぁ……セレナたんはパパとずっと一緒に暮らすんだぁ……」
「テメェ、侯爵だからって口に気をつけろよッ!?」
「嫌だぁぁぁ……天使のようなセレナたんと甲斐性無しの浮気男と釣り合うはずがないんだぁぁ!」
「あ~、それは確かに」
「ジョセフ、貴様!?」
わあわあ言っている横で、いつの間にかケネスがセレナの手を握っている。
「セレナ嬢、俺は貴方にこそ剣を捧げたい。あんな倫理観のないゲス男など放っておいて二人で幸せな家庭を築こう」
「えーと、あの、貴方どなたですか?」
ケネスの首に前後からエドモンドと侯爵のダブルラリアットが決まる。
「テメエ俺の嫁に言い寄んな!」
「雑魚がセレナたんの手を握るな、汚らわしい!」
崩れ落ちるケネスを二人して踏みにじっている間に、ジョセフとその父がセレナをぐいぐい押している。
「エドは悪いヤツじゃないけど頭が軽いからね。間違いなく浮気するね、うん、間違いない。俺にしとくといいよ? 君のためなら頑張って宰相を継いでみせるよ!」
「そんな先の話なんて当てにならないな。なれるかわからない未来の宰相なんかより、今現在宰相をしている私の方が確実だ。私も連れ合いを無くしてはや十年。息子にも母親が欲しい所だ」
「その息子が自分の嫁にって言ってんだよ、控えろ一世代前。コイツカッコよく言ってるけど母上死んでないからね? 仕事ばかりでほっといて愛想つかされただけだから。俺ならそんな寂しい思いをさせないよ?」
「亭主元気で留守がいいと言うだろう。必要な時にだけ居てくれる頼れる大人の男がいいに決まっている。このバカ息子では頼りがいが無さすぎる」
「あの、ですからどちら様でしょうか?」
「俺がよそ見している隙に何口説いてんだ!」
ジョセフの胸にエドモンドの両足飛び蹴りが決まり、小柄な少年が勢いよく吹っ飛ぶ。
「儂と同い年で何血迷っとるんだ、貴様は!」
宰相は侯爵にスリーパーホールドで締め落とされた。
目を血走らせたエドモンドが振り返る。
「えーい、これ以上ヒトのものに手えだそうってバカはいないだろうな……て、うぉ!?」
エドモンドと侯爵がサマーセット伯爵親子を片付けている間に、セレナの周りに人だかりができていた。老いも若いも文字通り独身貴族が群がっている。
「気の多い王子なんかより、ぜひ誠意溢れる僕を!」
「うちの資産はそこらの王族にも負けません! ぜひ私の嫁に!」
「ぼ、僕なら浮気なんて絶対しません! なにしろモテたことが無いから!」
「是非我が元へ来て下され! 側妾とはいえ正妻扱いで迎え入れます!」
「儂は女房と離婚しますぞ! 遺産も全額渡します!」
訂正。独身じゃない貴族も群がっていた。
「き、貴様らッ!? ヒトの女に近寄るんじゃねえ!」
慌てて追い払うエドモンドに、セレナにアピールしていた男どもが反発する。
「王子は散々遊んできたからいいじゃないか!」
「そーだそーだ!」
「どうせ下半身に脳みそついてんだから女なら誰でもいいんだろ!」
「今まで独り占めしてきたんだから一人ぐらいこっちに回せ!」
「やかましいッ! 火事場泥棒どもに渡せるか、散れ!」
シュプレヒコールを上げる有象無象をエドモンドが蹴散らしている間に、今度はセレナの周りにミリア嬢をはじめとする娘たちが押し寄せる。
「ポっと出のくせになんであんたが正妻を射止めるのよ!」
「あたしが先に唾つけたのよ!? 王子を返せ、泥棒猫!」
「ええっ!? 私が悪いの!? というか婚約者を取られてたの私の方じゃない!?」
「貴様ら、セレナたんを虐めるな!」
「うるせえ、過保護なキモオヤジは引っ込んでろ!」
「なんだその汚い言葉遣いは!? セレナたんの教育に悪い、親の顔が見たいわ!」
「そこで王子に蹴飛ばされてるわよッ!」
エドモンドが言い寄る男どもを追い払い、侯爵がセレナを吊るし上げる令嬢たちを引き離そうとする間にも……万が一のチャンスを夢見てさらに多くの貴族が押し寄せる。その一方で自分の旦那や婚約者を人垣から掴み出して詰問する女性陣の姿も増え続け……収拾がつかなくなってきた。
そんな時。
「ええい、ものども鎮まれい!」
王の制止が発せられた。
この世界にはマシンガンも飛行機もありません。念のため。