2/7の恋(From Weekend Magic)
「残念だね。私達は運命の赤い糸で結ばれてないみたい。」
僕、マサトは週末にアミから言われた一言が脳内にこびりついて離れなかった。
ここは運命の赤い糸が実際に見えてしまう街、アカイト。
この小指から垂れ下がっている糸を辿れば生涯の最適な伴侶と巡り会えるとされている。
しかし僕にはそんなこと信じられなかった。
だってこの糸が誰かに繋がっているなんておかしな話だ。
街中の人が小指から糸を垂らして生活していたら当たり前のようにがんじがらめに絡まってしまうし、仮に誰かと繋がっていたとしても解けてしまったらどうするんだろう。
意気揚々と運命の赤い糸を辿っていった先が途切れてしまってた、なんて想像もするだけで怖くなる。
僕はアミが好きだ。
アミもきっと僕が好きだ、と思う。
断言が出来ないのは彼氏ではないからという理由ではない。
赤い糸で結ばれていないからだ。
アミとの出逢いは些細なことだった。
週末、街の本屋に出掛けた日のことだ。
久しぶりに本でも買おうとお金だけを持って街へと繰り出した。
いつも通り、空が青々と広がっている。散り散りになっている雲達は誰かを求めるようにくっついたり離れたりを繰り返していた。
本屋のドアを開けるとキラキラとしたチャイムが鳴り響く。
決して大きくはないが、人間味があって温かいこの本屋が好きだ。
沢山の種類の本が置いてあってそれら全てはレジの前で本を読んでるオーナーが
自ら選んでいるものらしい。
色んなジャンルの本がありながらも、店内に入ってスグ右に並べられている本はオーナーの好きな小説ばかりだ。
その中の1冊に【秘密】と題された本が並べられていた。
懐かしい気持ちになる。その本は僕が生まれて初めて読んだ小説だったからだ。
それは爽やかな別れを描いた物語で、思い出した今でも胸が苦しくなる。
そういやあの本は何処にしまっておいたんだっけ。
不意にその本の行方が気になってしまい、突然になんだか愛おしい気持ちになった。
そんな事を思いながら手に取った【秘密】を置いて、オーナーの偏愛に完全に巻き込まれている本のラインナップを改めて眺めている。
少々身勝手なオーナーを含めて人間味のあるこの本屋が好きだった。
1冊の本が瞳に突然瞳に飛び込んできた。なんとなく手に取って表紙を眺めた。
男女2人が手を重ね合わせてハート型の風船が宙に浮かんでる表紙に惹かれたからだ。
隅々まで良くみてみるとそれはファンタジー小説らしかった。
人々はそれぞれの愛の形を持っていて、
それを実際に目にみて触れて確かめることが出来る島のお話。
その感覚はこの街の赤い糸にも少し似ていて、僕はなんだか可笑しくなって1人でニヤけてしまった。
ドアのチャイムが鳴り響いた。
やはりこの本屋のチャイムはすごく綺麗だ。カランカランというよりも重厚感があり、それでいて水のように透き通っている音がする。
女性が店内に入って来た。
くっきりとした大きな瞳をしていて、茶色の長い髪を揺らし揺らしながら歩いている。
一瞬、目が合った。
僕はなんだか気恥しくなってしまって、手に持っていた本を置いて他にも無いかと店内を物色した。
彼女は一通り、店内を練り歩いたのちに
僕がさっきまで手に取っていた本を持ってレジへと向かっている。
僕はその様子を遠巻きに見ていた。
結局、本を買わずに僕は店内から出てしまった。
さっきと何も変わらず空は清々しいほどに青色をしている。
次の週末、僕はまた本屋へと向かった。
あの本が忘れられなかったからだ。
店内に入ってあの本を手に取る。
予定が詰まっていた僕は本を持ってすぐにレジへと向かった。
支払いを終えてドアを開けようとドアノブに手をかけると、突然ドアが開いた。
「わ…ごめんなさい。気付かなくて。」
彼女だった。
先週ここで、あの本を買っていた彼女。
「いやいや、良いんです。何もありませんでしたから。」
僕は動揺して答えた。彼女の瞳があまりにも美しかったから。
僕はその瞳の引力に逆らうように、キラキラとしたチャイムを耳にして店内を出た。
また次の週末、僕はまたしても本屋さんへと向かった。
今度はあそこに行けば彼女に会えると思ったからだ。
店のチャイムを鳴らす。
彼女は既に店内にいた。
また彼女と目が合った。僕はそれとなく会釈をして店内を歩く。
あの本の並んでいた場所で立ち尽くす。
買いたい本があって店内に来たわけではなかったから。
「この本、とても面白いですよ。よろしければ是非。」
先に声をかけてきたのは彼女だった。
予期せぬ出来事にまたしても僕は動揺した。
「実は僕もこの本買ったんですよ。まだ読み切れて居ないんですけどね。」
僕は照れ笑いをしながら頭をかいて答える。
「そうなんですか。良かったです。周りに本が好きな人があまり居なかったから…つい話しかけてしまいました。」
彼女も照れて笑っていた。眩しかった。
彼女、アミとの出会いはそういった具合だった。
素性は全く分からない。
ただ、会えるのだ。此処に来ると。
約束も予定も全く合わせちゃいない。でも会えるのだ。魔法のようだった。
本屋さんで会って、そのあとはカフェか公園に行くのが僕らの週末の過ごし方だった。
いつの間にか、アミのことが大好きになっていることに気づく。
アミは僕のことをどう思っているんだろうか。
確かめてみたくて、ある昼下がりの公園で僕は彼女に訪ねた。
「ねえ、本当は僕のことをどう思ってる?」
動揺して、途切れ途切れになって話を続けた。
「…どうって?」
アミはアミがつくって来てくれたサンドイッチを頬張りながら答える。
「僕は、アミのことが好きだよ。」
アミは何も言わずサンドイッチを噛んでいた。とても長い時間だったように感じるが、空の雲はほとんど動いていなかった。
「私も、マサトのこと好きだよ。大好き。いつも週末が待ち遠しくて堪らないくらい。」
アミが一呼吸置いて続けた。
「でもね。私達は運命の赤い糸で結ばれていないの。とても残念だけど。」
僕は何も言えなくてアミを見つめた。吸い込まれそうなくらい綺麗な瞳をしている。
「そっか。そうだよね。繋がってないもんね。笑っちゃうくらい分かるのになぁ、なんでこんなこと言っちゃったんだろうなあ。」
僕は慌てて答える。
赤い糸が繋がっていないことなんて、ずっと気付いていた。見なかったフリをしていた。
赤い糸なんて無ければ良かったのに。
ある日の火曜日。
僕は街を歩いていた。
またしても突然の出会いだった。
向こう側から歩いてくる黒い髪の女性。
僕は2度驚いた。
その子が昔好きな人ミユキだったからだ。
まだ幼い時の、愛という言葉も、恋という気持ちも知らなかった頃。
彼女は僕の家の近所に住んでいて、しょっちゅう彼女と遊んでいた。
彼女の手を握った時、僕は生まれて初めて胸が苦しくなったことを覚えている。
あれが恋だったと気付いたのはそれからだいぶ時が経ってからだ。
彼女が引っ越してしまって、僕は毎晩毎晩、飽きもせずに泣いた。
そんなミユキとの突然の出会いに驚いたのと同時に、いやそれ以上に驚いたのは、僕の赤い糸は彼女に繋がっていたからだ。
初めてのこの小指についている糸が、繋がってる先を見た。
顔が火照るように熱い。
なんだか恥ずかしかった。
「あ…」
2人とも、言葉にならない言葉が口から漏れた。
「久しぶり。覚えてる?」
彼女が僕は問いかけた。
「もちろん覚えるよ。君が引っ越して僕は毎晩泣き濡れたんだから」
僕は冗談っぽく笑って答える。
「そっか。あの時はごめん。最近帰って来たんだ。よろしくね。」
ミユキが言う。僕も分かった宜しくと答えた。
繋がってしまっている糸を前にして沈黙が訪れた。
「これ、まさか君と繋がってると思わなかったな。」
僕はミユキを見て照れながら答えた。
「私も。まさかマサト君と繋がってるなんてね。人の出会いって分からないものね。」
それからミユキは良く僕の家に遊びに来るようになった。
引っ越してしまう前のこと、引っ越してからのこと。
彼女は南の方にあるワッカという港町で生活をしていたという。
そこは朗らかで温厚な人達ばかりで笑ってばかりの日々を過ごしていた。そんな時に親の仕事の関係でこの街に帰って来た。
「物心が付いていなかった時は何も感じてなかったんだけど、皆糸を辿るのに夢中でなんだか面白くって。」
ミユキがクスクスとイタズラっぽく笑った。
「そうかい?僕はずっとこの街に居たから全然違和感を感じないや。」
僕も笑って答えた。
「あ、もうこんな時間。そろそろ私帰るね。」
ミユキが壁に掛かってる時計を見て言う。
「うん、分かった。それなら家まで送るよ。」
僕らは夜の街を歩いた。
道端にはガス灯の火が揺らめいている。
僕の家とミユキの家は比較的近くにあった。
僕の家から大通りを真っ直ぐ、そこの角を左、その後の角を右に行った所にあるのがミユキの家だ。
「おやすみ、良い夢を見てね。」
ミユキが手を振って言う。
「そっちもね。おやすみ。」
僕がそう言うとガチャリという音がしてドアが閉まった。
金曜日がもうすぐ終わる。
明日からは週末だ。
ミユキと出会ってから、アミと会うのは初めてになる。
正直に全てを打ち明けたらもう会えなくなってしまうだろうか。
黙っていたら今度はミユキを裏切ってしまうことになるのではないだろうか。
どちらにしても複雑だった。
どうなるかは分からないけど、正直に打ち明けよう。
いつの間にか僕は眠りについていた。
翌朝。
空はいつものように青く広がっていた。
いつもと違うのは雲が一つも見当たらないことだ。
嘘のように消えてしまった雲を見て、僕は何故か寂しくなった。
キラキラ。
本屋のチャイムが鳴り、店内に入る。
アミはまだ居なかった。
僕は立ち読みをして待ち続けていた。
どれだけかは分からないが、長い時間が流れた。
アミは来ないのだろうか。
そもそも約束なんてしていないのだから来なくても不思議ではない。
僕は肩を落とす。僕がアミに感じている好きと、アミが僕に思っている好きは別のものだったのだろう。
チャイムが鳴った。
やはり彼女は来てくれた。
「ごめん、待った?」
アミは呆れているようにも笑っているようにも見えた。
「待ってないよ。ただ1冊本を読み終わっただけ。」
僕は少しだけ皮肉めいて答えた。
僕らはいつものように公園に向かった。
「今日もサンドイッチ作ってきたよ。」
アミがバッグから小さな箱を取り出して言う。
箱の中には色とりどりの具材が挟み込まれたサンドイッチが入っている。
「ありがとう。アミのつくるサンドイッチは美味しいからとても好きなんだ。」
僕はいただきますと言って、それを口に頬張った。
「サンドイッチなんて誰がつくっても変わらないよ。」
アミは笑っている。
誰がつくっても変わらないなんて、自分で言っておきながら彼女は嬉しそうな顔をしている。
たわいの無い話をして笑い合った後、風が吹いた。
僕は言わなきゃいけないことを思い出して、鉄のように重たい口を無理やり開かせた。
「アミ。実はね、僕、運命の人に出会ったんだ。」
アミはこないだと同じように黙ってサンドイッチを頬張っている。
「…そうなんだ。どんな子だったの?」
アミはいつもよりも明るい声で答えた。
「うん、昔近所に住んでた子でね。引っ越してから離れ離れだったんだけど、最近街中でばったり会ったんだよ。」
「へぇー!やっぱり運命の人って凄いね!そんな感じで出会ってしまうものなんだね!」
口角はしっかり上がっているが、少し無理をしているようにも見える。
僕は心が苦しくなった。
「君と運命の人なんて、きっととても可愛い子なんだろうなぁ。」
アミは空を見ながら言う。
「もう会えないの?」
僕はアミに尋ねた。
「そんなことないよ。またいつか会えるよ。」
いつかのいつっていつだろう。
そんなことを思いながらサンドイッチを噛んだ。
これももう食べられなくなってしまうのかと思うと僕の胸は張り裂けそうになった。
「貴方は本当に正直者なんだね。わざわざそんなこと言わなくても良かったのに。真赤な嘘でもついて私を騙し続ければ良かったんだよ。」
「騙すなんて出来なかった。この真赤な糸がアミに繋がれば良いなってずっと思ってたんだ。でも繋がれなかった。アミの糸も誰かと繋がっているのかと思うと僕は悲しい気持ちになる。」
「私も誰かと繋がっているのかなあ…。こんな糸、なければ良かったのにね。」
アミが笑っているのが、辛かった。
きっともう、これが最後なんだろうな。
直感的にそう感じた。
居てもたってもいられず、僕は目をウルウルとさせているアミの唇に近付いた。
自分の心臓の音が凄い早さで動いてるのが分かる。
アミも心臓の音も聞こえたら良いのに。
どう頑張って聞こえないアミの心臓の音を少しでも聞きたくて、僕はアミにキスをした。
音なんて分からなかった。ただ柔らかい感触が僕の中に優しく染み渡っていくような感じがする。
永遠にこの時間が続けば良いのにな。
もし僕が魔法使いだったなら、この瞬間を永遠に繰り返していたのに。
「実はここだけの話、君に魔法をかけた。」
「なに?急にキザなセリフなんてはいて
。どんな魔法を掛けてくれたの?」
アミはクスリと軽く鼻で笑っていた。
「またいつか会える魔法。」
なんだか恥ずかしくなって僕は笑った。アミもつられて笑っている。
目の前の景色が少し滲んだ。
涙が出そうになっている。
慌てて僕は涙が零れ落ちそうになるのを誤魔化そうとして空を見上げた。
清々しいほどに青く光っている。
風が吹いて
キラキラという音がした気がした。
僕は目を閉じて、それらを感じていた。
アミとの思い出が走馬灯のように脳裏に過ぎってゆく。
風が止んで、目を開けてみるとアミは居なくなっていた。
なんでだろうか。
その状況を不思議と驚かなかった。
いつかは居なくなってしまうこと、時間に限りがあることを、なんとなく分かっていたんだ。
またいつかを信じて僕は生きていこう。
僕の横、アミがいた場所には1冊の本が置いてあった。
【秘密】というタイトルが書かれた本だった。
表紙に傷が付いていて、後半のページが涙の後でヨレヨレになってしまっていた本。
見覚えがあった。
まさに僕が持っていたものと全く同じだ。
無くしてしまったと思っていたのに、あっさりと目の前にある本を見て、僕の胸は可笑しさと愛おしさで張り裂けそうになった。
僕は大事にそれを抱えこんだ。
この本は大切にしまっておこう。
また会いたくなった時まで、僕の心にそっとしまっておこう。
寂しくなった時にいつでもアミを思い出せるように。
堪えきれなくなった涙が頬に伝ったままで僕は笑ってみせた。