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【Fabula Fibula】  作者: だいき
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ミュートピアの福音(From MUTOPIA)

ミュートピアの福音(from MUTOPIA)


 あの日、私は結婚式場から逃げだした。

よく晴れた秋の日の事だった。

今頃、周りの人からは女心は秋の空と揶揄されているに違いない。


大勢の人を裏切った。

私の親族、相手方の親族。参列してくれた人々。神父。1人1人数えだして、その方々に菓子折りを持って謝りに行くとしたら私はきっと生活が出来ない程に貧困になるだろう。

生活が出来ない程に貧困なのは今も変わらないのだけれど。

 

白。白。白。

結婚式場は沢山の白で出来上がっている。

まだ何にも染まらず、あたかもここからスタートで、今までの事は全て無かった事にでもするかのように。

それは私自身も同じで、全身に白を身にまとっていた。

 私は純白のドレスを着ているのに、心はまだどっちつかずでグレーな気持ちも捨て切れずにいた。

 

 沢山の白に囲まれて、新郎と私は誓いの言葉を立てようとしていた。

 

 そんな時だった。式場のドアが突然開いたのは。

外からの新鮮で爽やかな空気が式場の中に一気に流れ込んでくるのを感じた。

 その空気と一緒に式場に入って来たのは、着慣れないスーツを着て息を切らして立っている幼馴染みの姿だった。

 

 目が合う。一瞬のような永遠のような。

僅か数秒間だったと思う。時間という概念が私の頭からすっかりと抜け落ちて彼の姿だけが視界に映る。まるで永遠だった。

 

 スーツの彼は真っ直ぐに私だけを見てズンズンと向かってくる。

新郎も、参列者も、私も硬直してしまっていて、この場の主導権は突然現れた彼によって奪われた。一瞬で。

 

 直後、私の腕は突然掴まれて式場から引っ張り出された。

あっという間だった。というか、「あっ」と言う間すら与えられなかったと思う。

 

 ハッとして後ろを振り返ると式場のドアが大袈裟な音を立てて閉まっていて、私は快晴の秋の空の下に立っていた。

 

 真の芸術は破壊する事であり、桜は散るから美しく、時は、人生は、終わりが来るからこそ輝く。

 主人公の失ったこの結婚式は、一体美しいものなのだろうか。

考えるのも恐ろしくなる。

 

 肝心の私は車に乗せられて走り出している。

 どこに向かっているのかすら分からない。

 今、分かることは長いウエディングドレスの裾が車に少し挟まってしまっている事と幼馴染みが運転しているという事だけだ。

 


 「...嫌、だった?」 

幼馴染みの彼がここでようやく口を開く。

 

 「嫌に決まってるでしょ!ぐちゃぐちゃにされたんだよ、一生に一度の結婚式をだよ!」

強い口調で私は声をあげる。

 

 「それでも君は着いてきてくれた。」

彼は力強い口調で答える。

 

 「俺には、君が幸せそうにはとても見えなかった。目の奥に潤った悲しみがあるのが俺には見えた。

とんでもなくワガママで自分勝手な事を言うと、君を幸せに出来るのは俺しか居ないと思ったんだ。」

 

 「だからって...」

私は弱く答える。

だが着いていく事を選択したのは私自身だ。

 

 「君に、誰かの君になって欲しくなかった。世界で一番最初に君の未来を知るのは俺でありたかった。」

彼は真っ直ぐに前を見ながら私に言う。

 

 「私達、どうするの?」

 

「どうしようか。何もないからこそ、何でも始められると思うんだ。俺は。」

 

無責任に彼は笑う。

 

 連れ去られた被害者というよりは共犯者という言葉が今の私達には相応しかった。

私達はたった今、沢山の人の事を裏切って車に乗っているのだから。

そんな私に戻る場所なんて無かった。

 

 「知ってる?この海岸沿いをずっと走った先には"ミュートピア"っていう楽園があるんだって。」

彼は曲がりくねった道をなぞるようにハンドルを切りながら言う。

 

 「楽園か...私達、楽園になんて向かって許されるかな...」

私はやや俯きながら答える。気持ちと反比例するように車内に射し込んでくる陽の光が鬱陶しい。

 

 「とにかく向かってみようよ。楽園が受け入れてくれたら、そこが俺たちの居場所になるかもしれない。下手したら失楽園になってしまうかもしれないけど。

でも俺たちは上手くいくよ。確信は無いけどさ。そう思うんだ。」 


彼は前向きに、笑えないジョークを笑いながら飛ばす。

 

 「本当かなあ...」

私も釣られるようにして笑う。

半分、無理をして。

すると秋の空も心なしか笑っているように見えた。

 

 車を飛ばし、ミュートピアを目指す。

長い間車を走らせ、たまに休み、更には迷い、空には1番星が輝き出した頃の事だった。

 

♪〜♪

 

 何処からか音が聴こえてくる。

とても小さな音ではあるが、確かにこの道の先から聴こえてきている。


 「ねぇ、この先の方から確かに音が聴こえてこない?」

運転の疲れが顔を出して、いや正確には、疲れが顔に出てきている彼を見て私は言った。

 

 「ほらね、間違えてなかったんだ。聴こえるのはミュートピアの福音だよ。」


彼の顔に明るさが戻ってきた。

眩しい程の明るさだ。

 

 「ミュートピアの福音?」


「そう。ミュートピアにはミュージックソムリエって人々が居て、その人達が街の中の至る所で音楽を彩るんだ。

その中でも最も人気があるミュージックソムリエが街の玄関口のBGMを担当する。その音がミュートピアの福音。」

 

 「あら、随分と詳しいのね。」

 

「まあ、齧った程度の知識しか無いけど。で、その仕事は凄く責任が重大なんだ。街の顔になる訳だから。アルバムの一曲みたいな期待を一気に背負い込む訳だからね。」

 

「凄い所なんだね...期待して良いのかなぁ...。」

 

 「いいよ。期待してて。ミュートピアにも、俺にも。」

彼の口が次第に饒舌になってきているのを感じた。

彼は昔からそうだ。すぐに気分に左右される。

 修学旅行の前の日は寝れないタイプだった。

きっと今も高揚してきているのだろう。


 しかし私はまだ式場の事を忘れきれなかった。

 

 その罪悪感が膨らむと共に聴こえてる音は大きくなってきて、楽園がすぐそこまで迫ってるのを感じた。 


 「明かりが見えてきた!」

 

まだBメロにあった彼の興奮もついにサビの部分まで到達し、声のトーンが一段と高くなる。

 

 サーカス劇場のような、お祭り会場のような、賑やかな明かりが目の前に広がった。

 

 更に近付くと街の入口には2つの大きな銅像があり、ギターを携えた男とヴァイオリンを引く女の形をしている。

更に上にはアーチ状のゲートが作られており、そこには

〈welcome to the MUTOPIA〉

と彫られている。

 

 「ついに着いた!」

彼は声を上げ、車から飛び出す。彼の興奮がラストの大サビの部分まで進んでいる。

 ドアを開けた瞬間に、ジューシーなオレンジのように瑞々しいメロディーが聴こえてきた。

 

 その音に釣られて私も車を飛び出した。 

瑞々しいメロディーは一瞬聴いただけでもとてつもない幸福感を私達に与えた。

 

 「凄いな、これは...」

 

 彼は一周まわって驚きを超えて立ち尽くしてしまっている。

私も同じように立ち尽くしていると、街人が私達に声をかけてきた。

 

 「これはこれは、立派なお召し物をなさって...ハネムーンかい?」


 そうか、私達は今そう見えてるのか。音楽に気を取られていて着てる服すらも忘れてしまっていた。

  

 街人はハーモニカを首からぶら下げている。見た目から推定すると、40代男性といった所だ。

 

 「ええと、まあ...そんな感じです。私達、実はうっかりしていて今晩の宿を取り忘れてしまって途方に暮れているのです。今晩泊めて頂ける宿を知りませんか?」

私は少し動揺しながらも今の状況を説明した。彼はまだ心ここに在らず、といった様子で街の音に目を、いや耳を奪われている。

   

 「ハネムーンで宿を取り忘れるなんて、それはそれで一生忘れない日になるね。それもこれもどれも全部良い思い出になるはずだよ、アンタ達。

あと宿なんだが、今晩ならいくらでも空いているはすだぞ。」

 陽気な街人はハーモニカで会話にBGMをつけるかのように会話の節々に音をつける。正直、少し話辛い。

 

「こんなに立派で楽しい観光地なのに宿が空いてるなんて...」

ようやく心が体に戻ってきた彼は言う。

 

「今晩はな。街の広場で夜通し踊る舞踏会があってな。皆きっとそれ目当てで来てる観光客ばかりだろうから、かえって今晩は空いていると思うぞ。」

街人は答える。相変わらずハーモニカを吹きながら。

 

 「それはそれは。楽しそうね。」

ここまで来てしまってはこの状況を前向きに楽しんでいく他は無いと判断した私はそう答えた。

 

 「せっかくだから行ってるか。」

お調子者の彼は言う。

  

 「広場はこの道を真っ直ぐ行った先にあるぞ。もう始まっている頃だから行ってみると良い。」

 

 私達は街人に礼を言い、言われた通りの道を進んだ。


 自分の運命に抗うかのようにギターをかき鳴らす者-。

会話をするかのように楽しそうに弦楽器を演奏するカルテット-。

フライパンや鍋を叩いて楽器にしているコックコートを着た人々-。

 誰彼と無く皆幸せそうに音を奏でている。

 

 至る所で音楽が鳴っていて合わさって雑音になるどころか、それらの一つひとつが絶妙に溶け合ってまるで全員で一曲の音楽を演奏しているかのようだった。

 

 「街の隅から空の果てまで全てが音楽に包まれているのね。本当に素敵な空間。」

 

道行く野良猫でさえこの街では踊るように軽やかなステップを刻んで私達の前を横切る。

 

 「あそこに人集りが見える。多分あそこが広場だろうな。」

 

 人々が一斉に同じ音に揺られている場所が目に映った。

ライトの照明も踊るようにクルクルと色んな表情を見せている。

 

 「さっそく俺たちも混ざろう!」

 

彼が私の手を引いて音の鳴る方へと走っていく。

 

 彼らは様々な動きで音楽を楽しんでいる。ステップを刻む者がいれば、ただ体を揺らす者、阿波踊りのように手のひらをパタパタを織るような者までいる。

 皆ルールや真似事ではなく、自分だけのスタイルを貫いていた。

 それは誰からも文句を言われないし、ましてや間違えなんて存在しない。

 その自由さこそが音楽の魅力の一つだろうなとその光景を眺めて思う。

 

 私達は陽気なそのリズムに乗っかりダンスに参加した。

 久々に彼の瞳をしっかりと見る。

彼の瞳はこんなにも綺麗な色をしていただろうか。 

 甘い時間がゆっくりと流れだしていく。

それはまるで蜂蜜がゆっくりと垂れていく様子にも似ていた。


 うっとりとしながら踊っていると音楽が鳴り止んだ。

 どうしたんだろうか、と様子を伺っているうちに今度は妖艶なベースの音が鳴り出す。

 音楽はスローなジャズへと切り替わり、サックスやトロンボーンを持った人々が広場の真ん中へと集まりだした。

 

 私達はそのリズムに心の赴くまま、体を揺らした。

彼の瞳と目があう。今度は不意に。

彼のうす茶色い瞳の中では笑っている私の顔が見えた。

 私はこのまま彼と幸せになれるんだろうか。

このまま彼と幸せになってしまって良いんだろうか。

 目を開けば彼が居て、目を閉じると別の彼、式場に取り残してしまった彼の姿がある。

どっち付かずの私は未だにグレーなままだ。

 白か、黒か。

このまま、グレーなままでは、幸せになってはいけない。 

この音楽が鳴り止む前に、私の気持ちに白黒を付けなければ。

 

 「...本当はどう思ってるの?」

彼がリズムに揺られながら穏やかな顔付きで私に問う。

 

 昼に見た紳士な顔とは違う、少し不安と苦々しさにまみれた笑顔。

そのほろ苦い笑顔はまるでカフェモカのような、甘さと苦さの入り混じった顔だ。


「どうって...?」

私はグレーな気持ちのまま、白黒つかない発言をした。

  

 「もし本当は嫌なら、今までいた所に送り届けるよ。俺は彼に謝って、君の前から姿を消そう。」

事の重大さに気付いてしまった彼は悲しい顔をして笑っている。無理やり笑ったのが痛い程に伝わってきた。

 

 心の中でサヨナラを告げるように、一旦間を置いて私は口を開いた。  

 「...私は一緒に居たいかな。貴方と居ると思いもよらないような未来を描けて楽しいよ。なんてたって、私一人なら絶対選択しないような答えを貴方は選ぶから。

 私は今まで神様の言う通りに生きてきた。けど今日は違った。神様に逆らったんだよ。私一人ではそんな事出来なかった。貴方と居たからこそ出来たの。神様も言う通りにさせてしまう力が貴方にはある。」

 彼の表情が綻ぶ。まるで固い蕾が春の風を受けて花が開くかのように。

 

 「まだこれから先どうするのかも全く決めていないけどね。ここから新しい人生を君と始められると思うと俺は喜びで胸が張り裂けそうになる。選んでいこう二人で。二人の未来を。」

 


 「もうこれで私達、すっかり共犯者だね。喜びは二倍に。悲しみは半分に。でも、罪悪感は二倍以上感じなきゃいけない時もある。

 だからこそ、それと同じ分、それ以上に幸せを感じる時も多いよきっと。どんな明日が待ち受けていようとも私は貴方との未来に期待をしたい。」


 ダンスは続く。私達はより一層お互いを求め合うかのように手を取り合い、寄り添いあい、音に酔う。


 「ねえ、ここを抜け出してさ、何処かでゆっくり休もうよ。そろそろ踊り疲れた頃じゃない?」 

 

 彼は笑いながら言う。

今度の笑顔には少しだけ悪意の混ざった、ケモノのような顔をして。

 

「それは一体どういう意味で受け取れば良いのかしら?」

 

 私の質問に答えず、彼は私の唇にキスをする。罪の味がする唇に。

彼も同じ味を感じているだろう。二人とも罪人なのだから。

彼は私の手を引き、共に歩く。

 

 何かの間違い、というのそこらじゅうに転がっていて実際に手に取ってみるまで間違いかどうかは分からない。

 

 私達の逃避行は、神様からしたら何か間違いだったのかもしれない。

でも私達の、私の人生は、神様のものじゃない。

自分で選んで、自分で幸せになっていく事も、自分で不幸になっていく事も出来る。

 人生は音楽のように自由だ。

神様になんて兎や角言われる筋合いは無い。

 

 スーツの彼と、ウエディングドレス姿の私は颯爽と夜の街を駆ける。

長かった裾はもうボロボロで輝きを失っていた。


 幸福と音楽が情事のように愛おしく絡み合うこの街で、人々が歌っている声が聴こえる。私は知っているその歌を一緒になって口ずさんだ。

  

《傷なんて舐め合えば朝には消えるだろう》



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