九 クラスメイトに殺されそうになる話
「何してるのです! 豚田を早く殺しなさい!」
逃げる俺の後ろから、男神官の声が聞こえる。
しかし、俺を殺せと命令するだけで氷の刃は飛んでこない。
そういえば男神官には、魔物を攻撃できない呪いがかかっているはずである。
魔王の仲間と思われている俺を傷つけてしまえば、呪いによって死んでしまうと思っているに違いない。
そして俺は全力疾走の末、部屋の外へと繋がる扉に手をかけた。
「くそ、豚田のくせにはええぞ!」
「待てや、賞金首!」
背後から聞こえる不良三人組の声。
「止まらねーと殺すぞ!」
止まっても殺すくせに。
しかし、いつにもまして俺の体はよく動いてくれた。
これが火事場の馬鹿力というやつであろうか。
まあ、どうでもいい、今は逃げるだけだ。
さて、扉の向こうには左右に長々と続く廊下と、ずらりと並んだ窓。
窓からは森林に囲まれた景色が見える。
あと、ここは二階のようだ。
迷ってる暇はない。
俺は左の道を選び、足を激しく動かした。
捕まれば殺される。
そんな恐怖が限界以上の力を発生させ、俺は走って走って走りまくった。
そして、しばらくが過ぎ――。
「ごほぁっ、ぶほっ、ぶほっ!」
――俺はもう限界であった。
く、苦しい。肺と心臓が暴れまわり、俺の呼吸を困難にさせる。
足などは、南極に素っ裸で放り出されたくらいに、プルプルと震えている。
つーか、どうなってんだよこの屋敷。
相当走り回ったのに階段すら見つからないぞ。
「どこいきやがった豚田ぁ!」
曲がり角の向こうから不良三人組の声が聞こえる。
これはマズイ。
俺の体力はリミット一杯であり、ここで見つかったら間違いなく捕まるだろう。
部屋に隠れるか?
いや、よく耳をすませば、不良達の方からドアを開閉する音が聞こえる。
つまり奴らは、部屋を一つ一つ調べながらここまで来たのだ。
これでは、部屋に隠れてもなんの意味もない。
では、窓から飛び降りるか?
いや、それもダメ、俺は高所恐怖症なんだ。二階から飛び降りるなんて、とてもじゃないができそうにない。
しかし、このままでは命が危ない。
どうする、どうする、と気ばかりが焦る。
時間は決して待ってはくれないのだ。
ええい、南無三!
俺は、窓をガラリと開けた。
「おい、この窓空いてるぞ」
「見ろ窓の外に学生服が落ちてやがる」
「あいつ、ここから飛び降りて外に逃げたんじゃ」
やがて現れた不良三人組が、開けられた窓を見て俺が飛び降りたことを知る。
ふふふのふ。
外に飛び降りるわけねーだろ、ヴァーカッ!
俺は今、部屋の一室で息を潜めていた。
全ては俺の策略。
窓を開けてそこに上着を投げ込み、俺が外に逃げたと思わせる作戦であった。
ふふふ、我が策略にはまった愚か者達め。
さあ、さっさと外に探しに行け。
俺は、夜になってからゆっくり外に行くとしよう。
「待ってくれ」
扉の向こうから委員長の声が聞こえた。お前もいたのか。
「豚田の予想外の身軽さには驚いた。あれだけの動きができるのなら、二階から飛び降りるのも可能だろう。下は土だしな」
「だから、早く外に探しにいかねーと」
「――なぜ彼はわざわざ学生服を脱いだんだい?
この一分一秒を争う事態の中で、わざわざ学生服を脱いだ理由は?」
俺の心臓がドキリと跳ねた。
「そりゃあ、あいつ太ってるし、汗かいたから……」
「違うね。彼は窓を開け、わざと学生服だけを外に落としたんだ」
『――なっ!?』
――なっ!?
不良三人組の驚きと俺の驚きがシンクロする。
ば、バレてる!? あわわわわわわ!
「おそらく、彼はこの近くにいる!」
委員長がハッキリと言い切った。
すると、ガチャガチャと扉の取っ手が回される。
ひぃぃ。
「ここは鍵かかってんぞ」
「こっちは開いてる」
「こっちも開いてるぞ」
不良三人組の報告、そして――。
「どうやら間抜けは見つかったようだね」
委員長の勝ち誇ったかのような声がした。
ヤバい。
俺の心臓がどっくんどっくんと、体からどっかいっちゃいそうなくらい飛び跳ねる。
「子豚の三男になれなかった豚田は、その鍵のかかった部屋にいるよ」
委員長の声と共に、どっかんばっかんと鈍い音がドアから聞こえてきた。
俺は急いで部屋の家具で扉が開かないようにする。
「おらぁ! 出てこい豚田!」
「出てこねえと、ぶっ殺すぞ豚!」
「こりゃあ、今日の夕食は豚の丸焼きで決まりかぁー?」
俺は恐怖を耐えながら、扉の後ろに机椅子棚など部屋にあったあらゆる家具を置いた。
これでもう俺にできることはない。後は部屋の隅で震えるだけだ。
しかし、どれだけ経とうとも一向に扉が破られる気配はない。
どうやら、かなり頑丈な扉なようである。
俺は、もしかしたらこのまま助かるかもしれない、と願望にも似た思いを抱いた。
その思いが天にでも届いたのか、扉へ攻撃を加える音が突然なくなり、辺りは静かになった。
「豚田くん」
委員長の声が聞こえる。
「ここを開けてくれないかな。
こちらには君に危害をつもりなんてないんだ。あの僕達を喚び出したっていう人ともう一度話し合おう。
大丈夫、わかってくれるよ。僕達も協力する」
それは優しく語りかけるような声だった。
さらに不良三人組も気持ち悪い猫撫で声で言う。
「豚田、悪かったな。俺達クラスメイトだろ?」
「もう意地悪しねーからさ」
「今度、お前にお似合いのオンナァ紹介してやっからよ。そいつも陰で豚子って呼ばれてるんだぜ?」
こんな簡単な手に騙される馬鹿がいるかよ。
無論、部屋の外に出ていくつもりはない。
「おーい、剣を借りてきたぞ!」
しかし、ここで待ってましたといわんばかりに敵の手には武器。
そして途端に豹変する不良達。
「豚田ぁ! これでテメエも死亡確定だなぁ!」
「よくも手こずらせてくれたな! ただじゃ死なせねぇからな豚野郎!」
「心配すんな、葬儀には出てやるからよ!」
ヤバイヤバイヤバイヤバイ。
これで扉は壊されたも同然。
おまけに、この部屋で武器になりそうなのは、机と椅子くらいしかない。
これで戦う?
そんな馬鹿な。
俺がもし本気で戦った場合、一対一でなら勝つのも容易だろう。
いや、俺のポテンシャルを十全に引き出せば、一対二でも勝てるかもしれない。
だが、相手は声だけで判断するに、五人以上。
俺に戦うという選択肢はなかった。
「くそっ、一対一だったら勝てたのに!」
その無念さを口にしながら、俺は部屋の窓に向かう。
「ヒエッ」
その小さな悲鳴は、窓の下を覗いたことによるものだ。
恐るべき高さ。
二階というものはこれほどまでに高かったのかと、俺は思わず身震いしてしまう。
しかし、後ろではあの悪魔共が俺を殺そうと、剣でドアを破壊している。
ドアが破られるのは時間の問題だ。
もはや一刻の猶予もない。さりとて、ここから飛び降りたら、それこそ死んでしまうかもしれない。
そもそも何故こんなことになったのか。
今俺を殺そうとしているあいつらは憎い。
もちろん男神官も憎い。
だがそれよりも、だ。
こんな状況になった全ての原因は、魔王にあるのではないのか?
魔王さえ、最初に俺を召喚しなければこんなことにならなかったはずだ。
思えば俺がいじめられるされるようになったのも、あの魔王が原因である。
許せない。許せるもんか。
俺の心の中では魔王に対する憎悪の炎が燃え上がった。
「そうじゃない、取っ手の周辺を狙うんだ」
俺を殺すために、的確に指示を出す委員長。こいつも許さん。
「何をしているんですか、貴方達は」
そして登場する男神官。
終わった、万事休す、ジ・エンド。
今、俺の視線の先では、男神官の氷の刃が部屋の扉を砕きに砕きまくっている。
さらに扉の後ろの家具も破壊され、男神官の姿が僅かに見えた。
俺は視線を窓に移す。
……もはやこれしか手はないだろう。
角なる上は――
「すみませんでしたぁぁぁーーー!」
――土下座しかあるまいて。
「全てはあのゴミ屑魔王のせいなのです!
あいつに呪いをかけられて、逆らえなくなくなってしまったのです!」
すぐに部屋へと入ってくるであろう男神官に向けて、俺は頭を床に擦りつけながら、必死になって魔王に全ての責任を被せる。
そもそも、全てあのゴミ糞魔王が悪いのだ。
「魔王は私の家族を捕まえて、命令を聞かねば家族の命はないと脅されて!
あのカス魔王は畜生なのです!
家族が! 父も母も兄も妹も魔王に犯されて! そしてあげくのはてにペットの犬までも犯され――」
「――ほう」
その時、まるで大地を揺らすかのような声が辺りに響いた。
そこで俺は気づく。
先程まで俺が頭を擦りつけていた床からは木目がなくなり、真っ白いつんつるりんになっていることに。
俺は恐る恐る顔を上げる。
数十メートルはありそうな巨大な体躯に特徴的な三つの目に三つの角。
口は頬まで裂け、そこからは鋭い牙が姿を覗かせている。
「誰が誰を犯したのだ? オークよ」
それは魔王様であったのだ。
「すみませんでしたぁぁぁーーーッッ!!」
俺の土下座祭りはまだ終わらない。