五 勇者を論破する話
さて、目の前には……いや距離はかなりあるので目の前というのは正しくないか。
言い直そう。
さて、遥か遠くに見えますは!
勇者に置いてきぼりを食らった男神官でございまーーーーす!
なんと魔王様に対して、ただ一人!
勇者ですら歯が立たなかったのに、最後まで魔物を敵だと言い張った男神官がただ一人!
ブヒヒヒヒ!
笑いが止まらない。
果たして、彼はこれからどんな素晴らしい言い訳をしてくれるのでしょうか。
まっこと、笑いが止まりません!
とりあえず、今までの恨みとしてジャブをいれとこうかな。
「魔王様、魔王様!」
「……なんだ」
反応がいまいち悪いのは、魔王様もこんな状態を予期してなかったからであろう。
「あの男神官を即刻抹殺するべきです!
奴は勇者達と違い、骨の髄まで悪! 生かしておいては、後の禍根となりましょうぞ!」
「なぁっ!?」
これに驚いたのは男神官である。
「ま、待ちなさい! あなたも人間でしょう! なぜ同じ人間を助けようとしないのですか!」
「ブヒヒ? ブヒ! ブヒヒ!」
「ええい! 猿芝居はよしなさい! 先程まで人間の言葉を話していたではありませんか!」
助けを懇願する男神官。
そしてそれを嘲り笑う俺。
そのなんと気持ちがいいことか。
とはいえ、魔王様の御前である。あまりオイタをして魔王様の御機嫌を損ねでもしたらえらいことだ。
俺はゴホンと一つ咳をすると、男神官に言った。
「とりあえず弁明があるのでしたら、魔王様の御前にて語ってはいかがですか!」
男神官とは遠く離れているために大声である。
そういえば、勇者との普通の音量の会話も男神官は拾っていたみたいだけど、そんな魔法でもあるのだろうか。
「世迷い言を! なぜ私がそちらに行かねばならないのです! 貴様が来なさい、オーク!」
なんという無能。
事ここに至っても下手に出ることをしないとは。
おまけに俺をオーク呼ばわり。
こいつは許せんよなぁ。
すると突然、男神官の体が光に包まれた。
その光は、勇者がこの場より去った時の光に似ている。
まさか、勇者が男神官の存在に気がついて喚び戻そうとしているのだろうか。
「おお! 勇者様はやはり私を見捨ててはいなかった!
ざまあみなさい、オーク! そして魔王よ!
いずれ必ず、その命を貰い受けに参りますよ!」
光の中、如何にもな捨て台詞を吐きながら男神官はその場より消え去った。
どうやら本当に勇者が喚び戻したようだ。
――と思ったのも束の間。
「あわわわわわわわ」
魔 王 様 の 前 に 現 れ ま し た 。
プゲラッ!
笑いがっ! 止まらんっ!
「ぶひひひひひ! ぶほ! ごほっごほっ!」
あの光は、勇者ではなく魔王様の魔法であったのだ。
そして産まれたばかりの小鹿のように震える男神官の足。
それはすぐに足としての機能を失い、男神官はヒモの切れたマリオネットのようにその場に崩れ落ちる。
そんな男神官の様子に、俺は気管に唾液が詰まって咳き込んでもなお、愉快であった。
「オークよ、こやつの罪は」
魔王様が俺に尋ねる。
「はっ! おそらくは勇者をたぶらかし、より多くの魔物を殺させていたのかと。
その罪は許しがたく、極刑に処すべきだとここに進言致します!」
俺はすぐさま片膝をつき魔王様に答えた。
どうやら本格的に魔王軍の軍師が板についてきたようである。
「何か申し開きはあるか」
魔王様が今度は男神官に尋ねた。
「あっ、あっ、あっ、あっ――」
無論、男神官には質問に応じる余裕などなかった。
口は、どこかの星と交信でもしているんじゃないかと思うようなリズムを刻み、目もヤバイくらい定まっていない。
すると、男神官がまたもや光に包まれた。
だが、今度はどこかに移動するというわけではないようだ。
「――はっ! あれ? 私は……?」
「正気に戻ったようだな」
なるほど。
先程の光は、魔王様が放った癒しの魔法かなんかだったのだろう。
しかし、万能すぎだろ魔法。
心にまで影響を及ぼせるとか。
この世界には鬱病なんてないんだろうな。
「き、貴様は魔王!」
そこからかよ。
「む、そこの貴方、凄まじい魔力を感じます! 私に力を貸しなさい!」
どうやら病んだ心と共に、記憶もどこかにやってしまったらしい。
それにしても、魔力か……。
「えっと、俺の魔力ってそんなに凄いんですかね?」
相手が男神官であっても、何故か敬語になってしまうこの俺の心の小ささよ。
「ええ、凄いなんてもんじゃありません。間違いなく魔王に匹敵していますよ」
俺は生唾を飲み込んだ。
そんなに凄いのか……。
ってことは、魔力の使い方覚えて元の世界に戻ったら、俺ってヒーローじゃね?
歴史に名を残すんじゃね?
どんな旨いものも食べ放題じゃね?
つまり俺が今とるべき行動。
それは……っ!
「魔王様、この先も変わらぬ忠誠を貴方に」
魔王様の靴を徹底的に舐めること……っ!
俺は魔王様の後方にて再び片膝をついた。
その忠誠を示すために。
「なぁ!?」
男神官が驚いているが知ったことではない。
俺が魔力の扱いを知らない以上、この場において最強は魔王様。
さらに、元の世界に帰る方法を知っていそうなのも魔王様だ。
男神官と魔王様。どちらに付くことに利があるか、その答えは幼子でもわかりそうなものである。
「勇者の仲間だった者よ」
男神官が魔王様のお声にビクリとした。
「今後、貴様が魔族に手を出さぬと言うのならここから帰してやろう」
なんと情け深いお心を持ったお方なのだろうか。
こんな悪の権化たる者にも憐れみをかけるとは。
俺の胸はもう尊敬の念で溢れてしまいそうである。
しかしそんなお優しい魔王様だからこそ、軍師たる俺が正しく導かねばならないのだ。
「魔王様、早まってはなりません!」
俺はその声に魂を乗せるがごとく叫ぶ。
「男神官は魔物の敵にしかならぬ者!
勇者とは違いますぞ! 生かすことは、それすなわち魔物達の災いにしかなりませぬ!
今ここでそやつが何を誓おうとも、それは全て偽り!
今ここで討たねば、また多くの魔物が死に追いやられましょう!
どうか、なにとぞ賢明な裁きを!」
俺は言い切った。男神官は害にしかならないと。
そしてそれに反論しようとする男神官。
「オーク! 貴方は人間の癖に――」
だが、それは魔王様が許さない。
「黙れ」
その言葉は心臓に重りがつけられたのかと錯覚するほどに、心にズシンと響いた。
命令とはこういうものなのかと思わせられる一言である。
そして沈黙が流れた。
魔王様は考えていらっしゃるのだろう。
やがてその口を開く。
「勇者の仲間だった者よ。
もしも貴様が今後魔物に危害を加えぬと言うのなら、我が呪を受けよ。
そしてそれを認めないのならば死、あるのみ。
どうする、勇者の仲間だった者よ」
うーむ、“じゅ”とはなんであろうか。
俺は頭の中でそれを反芻させる。
じゅ、ジュ、寿、呪、チュッ。
最後のは明らかに違うであろう。
おそらくは呪。
呪いや呪縛の“呪”に違いない。
魔王様の命令に背いたら死んでしまうとかそんな感じだろう。
見れば、男神官の顔はムンクも真っ青なほど絶望的なものになっていた。
まさに究極とも言える二択を突きつけられているんだから、当然か。
死か服従か。
ふふふ、この波に乗り遅れるわけにはいきませんなぁ。
「さあどうするのです、男神官殿!
魔王様の温情にすがるのか、さもなくば潔く死を選ぶのか!
さあさあ!」
俺は非常にいい笑顔で言った。
すると男神官はこちらに憎らしげな顔を向けてくる。
うむ、よいぞ。
翼をもがれたお前にはそれしかできまい。
そう考えれば、俺に向けられた悪意はむしろ蜜の味よ。
「ふふふ、さあどうするのですか神官殿?
言っておきますが、私がそちらにつくことは決してありませんよ?」
「な、なぜ!」
ん?
「なぜ貴方は、そこまで魔王の肩を持つのです!
この世界に生きる者ならば魔王は共通の敵のはず!
何故、共に戦おうとしないのですか!」
ふふふ、それはね。
お前が何よりも憎々しいからだよーーーーん!
――と言ってベロベロバーをしてやりたいところではあるが、これまで俺が積み上げてきた威厳や功績を全てなくしてしまいそうなのでやめておく。
代わりに、真実を言ってやった。
「私がこの世界の人間ではないからです!」
ドン! という効果音が後ろで鳴り響きそうな場面。
俺は一歩前に出て男神官に言い放った。
「私は別の世界から魔王様に召喚された身……この世界の常識など通用しません!」
さらにドドン! という効果音を頭の中で打ち鳴らし、俺はもう一歩前に出る。
「そ、そんなことが……」
そしてガクリと手と膝をつく男神官。
勝った……。
まさに完全勝利……。
敗北を知りたい……。
「魔王……貴方の言を受け入れます……呪縛をかけなさい……」
消え入るような声で男神官は言った。
すると黒く澱んだ禍々しい何かが、男神官の胸へと吸い込まれていく。
「ぐっ……がぁっ……!」
俺の目の前で胸をおさえてもがき苦しむ男神官。
いい気味である。
やがて落ち着きを取り戻すと、男神官は光に包まれ消えいった。