二十七 幕間 もう一人の生徒
時は少し遡る。
男神官により見知らぬ異世界へと召喚された豚田のクラスメイト達。
彼らは豚田が逃亡した後、男神官に連れられて大都市ロロリアへと移動した。
これは男神官が、豚田の逃亡を魔王によるものと判断し、その場に留まればどんな反撃があるかわからないと考えたからである。
さらにこの移動の途中、生徒達の魔力が乏しいことも判明。
これでは使い物にならず、男神官にとって生徒達はもはや不要な存在となっていた。
では元の世界に還すのかといえば、それもできなかった。
男神官は送還の魔法を心得ていなかったのだ。
神の信徒である者が、あわれな子羊達を捨て置くわけにもいない。
男神官は、神の慈悲として仕方なく生徒達の面倒を見ることにした。
生徒達はロロリアにある教会に到着すると、そこで使用人見習いとして働かされることになったのである。
ある日のこと。
「なあ、このままずっとこうしているつもりかよ」
教会の一室にて、床を箒で掃いていた茶髪の不良が、窓の拭き掃除を行っている委員長に現状の不満を口にした。
部屋にいるのは不良と委員長の二人のみである。
「……そんなつもりはない。だが今は待て」
茶髪の不良の言葉に、委員長は手を止めることなく答えた。
「けど、俺達のクラスからいなくなったのは、もう三人目だぜ?」
――三人。
遠藤佳代と森下知恵は奴隷商に売られた。
そしてもう一人は豚田……のことでは勿論ない。
彼らにとって、豚田とは既に忘れられた存在である。
つまり、森下知恵の後にもう一人、奴隷商に売られた少女がいるということだ。
「次は俺かもしれねえし、お前かも知れねえんだ。なんか対策を取らねえと……」
「……仕方がないな」
委員長は窓を拭くのをやめると、そのまま部屋の外へ向かった。
「お、おい」
不良が呼び止めるが、委員長も別に部屋から出ていくというわけではない。
委員長は外に人がいないか確認したかっただけである。
扉を開けた廊下には誰もいない。
外に覗かせた上半身を引っ込めてガチャリと扉を閉めると、委員長は不良に向かって右手の人差し指を一本立てた。
するとその指先に、ボッという音と共に火が点る。
「お前、そ、それっ……」
「そう、魔法だ。
まだこの程度しかできないけどね」
今いる教会に移ってすぐのこと、男神官が生徒達の魔法の才を調べたことがあった。
感じられる魔力こそ少なかったが、魔法に対する隠された力があるのではないかと考えたのだ。
男神官は生徒一人一人に魔力を通してみた。
しかし、隠された力どころか、魔法一つろくに使えない始末。
男神官は落胆し、それ以後は生徒達になんの価値も見いださなくなった。
されど、いたのだ。
たった一人。
おぼろげながらも魔力の存在を感じとり、男神官に気づかれることなく魔法の才を発芽させていた生徒が。
それこそが委員長であった。
「おい、俺にも教えてくれよ!」
「いいだろう。
だが他言は無用だ、これは決して男神官に悟られてはならないのだから」
「……マジか」
不良がゴクリと息を飲む。
なぜ男神官に悟られてはならないのか。
その質問を茶髪の不良が口にする必要はなかった。
委員長の顔を見れば、聞かずとも理解できたからである。
「――俺はこの魔法を極めて、いずれ男神官を殺すつもりだ」
なんの感情も映さない能面のような顔、されどその瞳には黒々とした意志が秘められていた。
◇◆
笹川涼子は豚田のクラスメイトである。
身長は165センチ、体重は48キロ。バスケットボール部に所属し、一年生の時に既にレギュラーであったほどの運動神経をしていた。
男勝りな性格で少しがさつなところもあったが、小さい顔にパッチりとしたつり上がりぎみの目と筋の通った高い鼻は、美人と形容するにふさわしいであろう。
また、髪型は後ろで結んだ、いわゆるポニーテールであり、それがよりいっそう涼子の活発さを醸し出していた。
さて、そんな彼女であるが、現在絶賛奴隷生活中であった。
はあ、と涼子の口からため息が漏れる。
それもそのはず、涼子が今いる場所は鉄の格子に囲まれた檻の中。
現在彼女は、商店の入口に並べられて、奴隷として売られ中であった。
「くそっ、あの女……今度会ったらボコボコにしてやる」
涼子の口から、もう何度目になるかわからない恨み言が吐かれる。
あの女とは、涼子が奴隷になる原因となった女子生徒のことだ。
――それは、涼子がまだ教会にいた頃の掃除の時間に起きた。
廊下に響くガシャンという音。
ある女子生徒が、飾ってあった壷を誤って割ってしまったのである。
すぐそばにいた涼子は、その女子生徒の未来を思って悲しい顔をした。
やがて他の生徒達が集まってくる。
すると――。
『さ、笹川さんが、つ、壷を……っ!』
壷を割った女子生徒は、あろうことか自身の失態を涼子のせいにした。
まさかの出来事に、涼子は狼狽する。
そう来るとは思わなかったのだ。
ここで自分のせいにされて、奴隷商に売られてはたまらない。
涼子は顔を青白くさせながらも、違うとハッキリ言った。
――私はやってない、そいつが割ったところを見た、と。
だがしかし、涼子の否定の言葉に対し、女子生徒はポロポロと涙を流して見せた。
『何でそんな嘘をつくの? 何で……何で……』
そんなことを言いながら。
涼子の内心は、ふざけるな! という怒りでいっぱいだった。
なぜ嘘をつくのかという女子生徒の言葉、それはまさに涼子が言うべき台詞だったのだから。
けれど、周りのクラスメイト達はその女子生徒を信じ、涼子を白い目で見つめた。
やがて男神官がやってくると、涼子は壷を割った犯人とされて、奴隷として売られることになったのである。
閑話休題。
「私、嫌われてたのかな……」
そんなつもりはなかった。クラスでは、皆とうまくやれてると思っていた。
けれど、皆が信じたのは涼子ではなくあの女子生徒であったのだ。
そして全ては後の祭り。
「いつっ……!」
昨日店主に蹴られた脇腹がズキンと痛んだ。
涼子は己を買おうとした客の金玉を蹴り上げて、取引をおじゃんにしていた。
その制裁として、店主に「金玉はやめろ、男にとって一番大事なところだから」という説教をされながら、暴力を受けていたのだ。
涼子は冷たい鉄格子を背もたれにして座りながら、はぁ、とまたため息をつく。
そして、なにをするでもなく、道行く人々をボケーと眺めていた。
涼子の目に映る、昨日と変わらない通りの様子。
しかし、そこに「ん?」と思う異物が紛れ込んでいた。
この世界では珍しい、どこか見覚えのある関取すらも凌駕するような丸々と太ったその後ろ姿。
それは異物ならぬ汚物。
そう、豚田であったのだ。
涼子は目を疑った。
豚田は、なにやら剣士然とした金髪の美男子と楽しそうに会話しながら、通りの店を物色しているようである。
着ている物もなかなか立派な鎧をつけており、その羽振りの良さがうかがえる。
これはチャンスだと涼子は思った。
豚田とは話したこともなかったが、なんとか助けてもらおうと考えたのだ。
「おい、豚田!」
涼子は豚田に呼び掛ける。
すると豚田は一瞬ビクリとして、辺りをキョロキョロし始めた。
「豚田、こっちこっち!」
涼子がもう一度呼び掛けると豚田はこちらを向いた。
けれども、こちらを認めてからは一歩も動こうとしない。
涼子はなぜだろうかと首をかしげた。
そして思い至る。
(あ、やっべ。
アイツが私にいい感情持ってるわけないじゃん)
なにせ豚田はクラスメイトからいじめにいじめられて、さらにこの世界に来てからは殺されそうにまでなっていたのだ。
(まあ、私自身はそんなダサいことには参加してなかったけど……)
しかし、たとえいじめに参加していなかったとしても、豚田の心証は良くないだろう。
もし望みがあるとすれば、いじめていた奴らがあまりにもクズ過ぎたために、傍観者に対しては逆にいじめに参加していない善人と思われているかもしれないということ。
だが、それは甘い考えである。
「うわぁ……」
涼子が思わず引いてしまうくらいに、豚田はものすごいどや顔浮かべてノッシノッシと近寄ってきた。
ざまあみろ、と思っているさまがありありと見てとれたのである。
そして、人にぶつかり、ゴロゴロと樽のように転がる豚田。
金髪剣士に助け起こされて、豚田はまたどや顔を浮かべて、ノッシノッシとこっちにやって来る。
「あれー? あれあれあれぇー? どっかで見たことあるなぁキミィ」
豚田は白々しくもそんなことをのたまった。
「また先生のお知り合いですか?」
「いいや、知らんよ。行こうかレオン君」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 同じクラスの笹川! 笹川涼子だって!」
「先生、こう言ってますが」
「うーん。笹川、笹川ね、うーん……」
腕を組み頭を右へ左へ傾けて、いかにも考えています、みたいに装ってる豚田。
「やっぱり知らないなぁ、さあ次に行こう」
そう言って、豚田は涼子に背を向けた。
「ちょっと待ちなよ! なんでそう邪険にするのさ! 私は他の奴みたいにアンタをいじめ――」
――瞬間。
「あーー!! あーー!! あーー!!」
突然、豚田が壊れたサイレンのように叫びだしたのである。
「ど、どうしたんですか先生!?」
金髪剣士も豚田のいきなりの奇行に驚きを隠せない。
「いや、なんでもない。しかし、すぐにこの場から去ろう。ここからはなにやら危ない霊的波動を感じる」
危ないのはお前の頭だ、と涼子は思った。
「だからちょっと待ちなって。私はアンタをいじ――」
「あーー!! あーー!! あーー!!」
そしてまた狂ったように叫びだす豚田。
そこで涼子は、ピカリン! と閃いた。
(ははーん。さては隣の奴に、クラスメイトからいじめられていたことを知られたくないわけか)
金髪剣士は豚田を先生と呼んでいた。
何をどうすれば豚田が先生になるのかは、気になるところであったが、今それはどうでもいい。
重要なのは、豚田が上で金髪剣士が下という二人の関係。
下の立場である金髪剣士が、豚田のいじめられていた過去を知れば、果たしてどうなるか。
情けない過去に失望されてしまうのでは、と考えるのは当然のことだ。
「ふーっ、ふーっ、ふーっ!」
豚田サイレンが漸く鳴り終わり、背を向けていてもわかるほどに息を切らしている豚田。
「ねえ、豚田。わかってるよね?」
涼子がニヤリとした笑みを浮かべながら、豚田の背中に話しかける。
すると、豚田はビクリと体を震わせた。
これぞまさに豚田が涼子の言いたいことをわかっている証拠である。
「バラされたくなかったら……」
「おい」
「えっ? ひっ!」
涼子の首元にはいつの間にか銀色に輝く剣が差し出されていた。
「先生の真名は豚田じゃない。その上、先ほどからの貴様の振る舞い、どうにも鼻につく」
「し、真名?」
涼子には何を言っているかわからなかった。
しかし、この金髪剣士がキレやすい若者ということだけは理解した。
「その素っ首を斬り落とされたくなかったら、地面に手をついて先生に謝れ」
「わ、わかったから、謝るから、だからその剣しまって……」
「ふん」
鼻を鳴らすとイケメンが剣を鞘に収めた。
そこで、涼子は考える。
――これはチャンスである、と。
――まごうことなきチャンスである、と。
金髪剣士は涼子の方を向いて「早く謝れ」と催促している。
涼子はまず膝をつき、そして――
「おらあっ!」
――掛け声と共に、鉄格子の隙間から金髪剣士の金玉目掛けて正拳突きを放ったのだった。
◆◇
股間は主に男性の急所として知られているが、女性にとってもまた急所である。
涼子が放った正拳は見事に金髪剣士レオンの――いやレオティーナの股間に突き刺さった。
しかし、レオンもさるもの。
接触の瞬間、魔力により肉体を強化していた。
これならば、たとえ股間を殴られようとも大した痛みはない。
だが、ダメージはなくとも、股間を触られたという事実は変わらないわけで……。
「きゃっ!」
果たしてそのかわいらしい悲鳴は誰のものであったか。
もちろんレオンの股間に正拳突きを放った涼子のものではない。
そしていじめられていたことがバラされるのを恐れて、今なお後ろを向いてぶるぶる震えている豚田の声でもない。
残るは、現在、右手と左手で股間と口を押さえて恥ずかしそうにしているレオン。
そう、かわいらしい悲鳴を出したのはレオンであったのだ。
そして涼子にはもう一つの疑念があった。それは股間を殴り付けた右拳の感触。
「アンタもしかしておん――」
「あーー! あーー! あーー!」
突如叫びだすレオン。豚田も何事かと愛弟子の方へ振り返る。
これはもしかして……、と涼子は思った。
「ふーん、へー、そう」
「な、なんだ!」
レオンは強気な様子を見せるが、それが張りぼてだということを涼子は既に見切っていた。
「あんた、おん――」
「あーー! あーー! あーー!」
レオンは再び叫び出す。
豚田も弟子の奇行にギョッとしている。
「ふふふ」
涼子の口から思わず笑みがこぼれた。
それは自身の完全勝利を悟ったがゆえ。
二人の秘密を己が握っているという征服感が、自然と頬をつり上げさせたのだ。
その証拠に、涼子の勝ち誇った顔に対し豚田は目をキョロつかせ、レオンは俯いている。
「さて、大勢は決したようね。それじゃあ、アタシはアンタ達に“お願い”するわ」
そして涼子は頭を地につけて言った。
「どうかアタシを助けてください」
そう、まさかの土下座である。
涼子がチラリと二人の様子を窺うと、どちらも口をパクパクしていた。
今二人は驚き戸惑っているのだ。
当然だろう。
なにせ、涼子は二人の弱味を握っていた。
それにもかかわらず、最も屈辱的な姿勢ともいえる土下座でお願いをしたのである。
豚田とレオンにとって、それは夢にも思わぬ事態であった。
しかし、それこそが涼子の策。
現在涼子こそがこの場で最も上位だった、そんな涼子が土下座をしたのだ。
そこに生まれる誠意は、ただの土下座よりも何倍、いや何十倍の力を発揮するに違いない。
強い者からのお願い、それを受けた弱者は大いに自尊心を満たすことだろう。
そしてさらに陶酔するために、その願いを叶えようとするのである。
もし涼子が二人に命令していた場合どうなるか。
それは二つに一つであろう。すなわち生か死か、である。
彼らには涼子の口を封じるという選択肢が加わっていたのだ。
だからこそ涼子はお願いした。
地に頭をつけお願いすることによって、相手には『やれやれしょうがない助けてやるか、一応弱味も握られているし』という逃げの選択を与えたのだ。
かくして涼子は奴隷から解放された。
そして、予想だにしなかったことではあるが、豚田が元の世界に帰る方法を知っており、涼子は無事に日本へ帰ることができたのであった。




