二十二 何人かの生徒に再会する話
それから三日間が過ぎた。
豚田君はあれから見ておらず、私は今日も店頭に並ぶ檻の中で、泣きそうになりながら通りを眺めている。
正直、豚田君のことはもう諦めていた。
――と思ったら、見覚えのある丸い物体がこちらへやって来る。
「あの、ぶ、豚田君……」
私は呼び掛けてみる。
しかし、豚田君は私を素通りして店の中に入り、やがて店から出てきて去っていった。
何をしに来たんだろうか。
やがて夕方になると、店主から声をかけられる。
「お前を買ってくれるお客様が決まったぞ」
え、と私は思った。
それはまさか……。
「あの、その人ってもしかして豚田という名前ですか?」
そう、今日彼はやって来ていた。これは偶然ではないはずだ。
なんだかんだ言いつつも、やはりクラスメイトの私を見過ごせなかったのだろう。
しかし――。
「豚田って誰だ? お前を買うのは娼館の大旦那だぞ?」
え?
「しょ、娼館って……!?」
「あん? 男のシモの世話をするところに決まってるだろ。
受け渡しは四日後だ。精々、覚悟を決めとくんだな」
愕然とした。
頭の理解が追い付かない。
いや違う。
理解したくなかったのだ。
ただ涙だけがポロポロと頬からこぼれ落ちる。
もう涙を堪えようなんていう考えは、私にはなかった。
次の日、また豚田君は店にやってきた。
そして例のごとく、また私を素通りして店に入っていく。
どうやら奥で店主と話しているようだ。
しかし、私には話しかける気力はもうなかった。
その次の日も、またまた豚田君はやって来た。
そしていつものように、私を素通りして店の奥へと入っていく。
少し気になって耳をそばだてるが、話の内容は聞き取れない。
でも、豚田君がなにか頼み込んでいるような雰囲気だった気がする。
そしてさらに次の日、豚田君は再びやって来た。
今日はなぜか、いつものように鎧は着ておらず、町人と変わらない姿だ。
「豚田君」
私はその名を呼んだ。
明日、私は売春宿に売られる。
目を閉じると自分の不幸な未来が見えるのだ。
とてもやっていけるとは思えない。
恐らく私は……。
だから最後に八つ当たりを――思いの丈をぶちまけようと豚田君を呼び止めた。
けれど、それは思いもよらぬことにより中止される。
「死ねぇぇぇっ!!」
私の方を向いていた豚田君に、通りを歩いていた人が突然、叫び声を上げながら走り込んできたのだ。
豚田君は振り向いて、直後、男とぶつかった。
「ざまあみやがれ、この糞ったれが!」
男は汚い言葉を吐き捨てて走り去っていく。
一体何が起きたのか。
こちらからでは豚田君の背中しか見えず、何があったのかわからない。
「キャアアアアア!」
通りにいた女性が悲鳴が上げる。
それだけで、ただ事ではないことがわかった。
すると、豚田君がよたよたと、足元が覚束ない様子でこちらを振り向いた。
「え……?」
豚田君の胸元にはナイフが刺さっていたのである。
「イヤアアアアアァァァァァァッッ!!」
私は頭が真っ白になって、思わず悲鳴を上げた。
「ぐっ……」
豚田君は小さなうめき声を口にしつつガクリと膝をつき、しかし、上半身は保ったまま胸元のナイフに手をやった。
抜こうというのだろうか。
私は血が噴き出るのを予想し、思わず目を背ける。
「ちょっと、大丈夫ですかい?」
何事かとやって来た店主が、豚田君に問いかけた。
けれど、その質問は馬鹿げているとしか思えない。
ナイフを刺されて無事な者がいるものか。
「大丈夫だ、なんともない」
だが、豚田君の声は平然としていた。
えっ、と思い、豚田君を見る。
……ナイフはその手にあり、胸からは血すら出ていなかった。
「な、なんで……?」
さっきは確かにナイフが刺さっていたはずだ。
「これのお陰だ」
豚田君が胸元から、ネックレスにつけられた銀色に輝く指輪を取り出す。
……そういうことか。
ナイフはちょうどあの指輪のわっかに刺さったのだろう。
もはや奇跡としか言い様のない出来事だ。
「――ッ!? その指輪はエルザさんのッ!?」
店主が目を見開いて、驚いたように言う。
エルザって誰だろうか。
「エルザが……エルザが守ってくれたんだ……」
豚田君は涙を流していた。
――いとおしそうに指輪を抱いて。
「そうか……エルザさんは天国に行ってもアンタのことを、見守っていてくれてるんだな」
店主がとても優しい顔をしていた。
天国……指輪はエルザさんという人の形見ということだろうか。
おそらくエルザさんは、この世界で会った豚田君の大切な人なのだろう。
すると、豚田君はネックレスを首から外し、さらにネックレスから指輪を外した。
そして、その大事なはずの指輪を店主に差し出してこう言ったのだ。
――これで、そこの女性を解放してほしい、と。
私は耳を疑った。当たり前だ。
かけがえのない大切な人の形見の指輪、そんな大事なものをなぜ……?
「そんな、それはエルザさんの……ッ!」
店主も同じ気持ちだったようで、戸惑いの声を上げた。
それに対し、豚田君は静かに首を横に振った。
「彼女は俺の知り合いなんです。
それに今日は元々そのつもりできました。
足りない金をこの指輪で、って。
もし、エルザが生きていたら、きっと笑って褒めてくれるはずですよ」
慈愛に満ちた顔で、それでいてどこかを見つめるように、豚田君は言った。
おそらく彼の目には、エルザさんが映っていたのだろう。
店主は「わかりました」とだけ答え、指輪を受け取り、私が入れられている檻の鍵を開ける。
「私……出ていいの……?」
私が信じられないように尋ねると、店主は言った。
「この方がお前をお買いになられた。娼館の大旦那には俺から謝っておく」
私は豚田君の方を見ると、豚田君は小さく頷いた。
「この方は、お前を買う金を作るために、賞金首と戦って――」
「店主」
「おっと、言わない約束でしたね」
店主の会話を遮った豚田君。
賞金首と戦っていた?
あのクラスでいじめられていた豚田君が?
何のために?
『この方は、お前を買う金を作るために――』
私の……ため……?
理解が追い付かない。私はただただ呆然としていた。
なら、彼が店に通っていたのは、私を売らないように頼み込んでいたから……?
「お前を元の世界に返してやる」
豚田君はそう言って右手を出し、私は恐る恐るその手を握った。
すると景色が変わる。
辺りは通りの景色から真っ白い空間になっていた。
目の前にはとてつもなく大きい化け物。
「ひっ……」
私は思わず尻餅をついた。
「よろしくお願いします」
豚田君がそんなことを化け物に言った。
何をよろしくすると言うのだ。
ああ、そうか私は騙されていたのだ。まさか、豚田君が私を助けてくれるわけがない。
私は餌。
目の前の化け物の餌であったのだ。
化け物の額の目が光る。
それと共に私も光に包まれ、私はそのあまりの眩しさに目をつぶってしまう。
そして目を開けた時、そこは学校の教室――私達の教室だった。
「……教……室……?」
教室には誰もいない。辺りにはロープが張り巡らされていた。
私は頬をつねった。
痛みがある。
これは夢じゃない。
私は帰ってきたのだ。
自然と、涙が溢れた。
私はそれを拭うこともせず、泣きながら教室の外に出る。
すると、すぐ隣の教室の窓を覗く男子生徒と目があった。
その男子生徒はギョッとしていた。
私が話しかけようとすると、それよりも早く彼は口を開く。
「先生、帰ってきた! 豚田、遠藤に続いて三人目が帰ってきた!」
――豚田。
私はその名前に反応した。
違った。彼は違ったのだ。
三日前、私は彼に言った。
――立場が逆ならば、いじめられている私を貴方は助けたか、と。
その答えは出た。
彼は自分の大切な人の形見を失ってまで、私を助けたのだ……っ!
もし豚田君と私の立場が逆で、私がいじめられていたら……っ!
彼はその身を犠牲にしてでも、助けるに決まっているのだ……っ!
ああ……。
私はなんて愚かだったのだろう……。
なぜ、彼がいじめられているのを平気な顔で見ていたのか……。
なんて醜いんだ、私は……。
「豚田君……」
彼は向こうの世界で、また誰かを救うのだろう。
なぜなら、彼は誰よりも優しいから。
私は豚田君の優しさを胸に、わんわんと赤子のように泣いた。
◇◆
大都市ロロリアの高級住宅街の一角にある屋敷。
それは俺が新しく買ったものである。
そして現在俺は、森下を魔王の下に送り届けたその帰り。
魔王の魔法によって、屋敷の庭に大金塊と共にワープしてきたところだ。
「ブヒーヒヒヒッッッ!!!」
屋敷の庭に着くと同時に俺は笑った。
何もかも俺の思い通りにいったことに、とにかく笑いが止まらなかった。
――少し話を戻そう。
それは、俺がこの大都市ロロリアにやって来た日、今よりおおよそ十日ほど前のことである。
レオン君と大通りを歩いていた俺は、かつてのクラスメイト――遠藤佳代と再会した。
男神官の下にいるはずの女。
しかし意外や意外、なんと遠藤は奴隷として檻に閉じ込められ、奴隷商店の店頭に並んでいたのであった。
最初は驚いた。
クラスメイトが奴隷に落ちていたことに。
しかし、驚きはすぐに優越感へと変わる。
同じ日本という出自、さらに同じクラスの生徒でありながら、互いの地位にある大きな隔たり、大きな差。
それは甘美で豊潤な美酒である。
その優越感という美酒は俺を大いに酔わせ、とてつもない快感――エクスタシーを俺に与えた。
俺は奴隷に落ちた遠藤を前にして、頬が緩むのを抑えることすらできなかったのだ。
遠藤は俺に助けてくれと言う。
まあ、魔王から金塊を貰うためにも、助けるのはやぶさかではない。
そして俺は一計を案じた。
それは、この機を最大限に活かす策。
ただ助けるのではない、遠藤が心の底から俺に恩を感じるよう仕組んだのだ。
そう、全ては演技。
脚本、俺。
監督、俺。
キャスト、俺と奴隷商の店主。
――による、映画や演劇さながらの本格芝居。
まず俺は魔王のところに行き、遠藤が奴隷にされていたことを伝えて金塊を得た。
それを金貨に換えて屋敷を買い、余った金で店主を買収する。
そして遠藤の前で、トマトジュースを使い、傷つき倒れそうになる振りをした。
遠藤を助けるため、命を懸けて魔物と戦い、金を稼いでいた――という演技をしたのだ。
これぞ計画通り。まさに手のひらの上で踊る馬鹿のごとし。
さらにその三日後にはまたもやクラスメイトが奴隷として現れる。
森下とかいう、副委員長だった糞女。
正直なところ、こいつには遠藤よりも思うところがあった。
だが、俺の宇宙よりも広い寛大な心と、ブラックホールよりも深い慈悲の心をもって、その罪を許しこそしないが、地球には還してやった。
当然、一芝居をうって。
エルザ? 誰だよ、それ。
そして、俺より大恩を授かった小娘達は、あちらの世界で俺の素晴らしさをこれでもかと喧伝することであろう。
それは俺が日本に帰る際に必ず役に立つはずだ。
かつては、ずっとここにいてもいいかなと思っていた俺も、最近は望郷の念に駆られることが度々あった。
やはり食事に関しては日本の方が洗練されており、何より米やスナック菓子が俺は恋しいのだ。
いずれ帰る時のために、今のうちに準備をしておかなくてはならない。
準備とは、召喚された奴等の支持を集めることである。
俺が死ぬ思いで救ってやったと知れば、あんなバカな奴等でも俺に恩義を感じることだろう。
そして奴等を利用し、俺のあちらでの地位を確立させるのだ。
「ふふふ、無事帰ったら、自伝でも出すかな」
夢が広がるぜえ。
俺は森下の代価に貰った大金塊をゴロゴロと転がしながら、屋敷に入った。
「わっ!? また、金塊をもらってきたんですか?」
屋敷の中にいたレオン君が俺の転がす大金塊を見て驚く。
うんうん、そりゃ驚くよね。
「レオン君よ、今日はごちそうだぞ?」
かわいい弟子には、金銭面においてもたっぷりと俺の威光をみせつけないとな。




