二十一 何人かの生徒に再会する話
豚田のクラスに森下知恵という生徒がいた。
髪型は黒のストレートで、身長は百六十センチ、体重は四十八キロ。
成績優秀でクラスの副委員長を務めている才女。
しかし、見た目こそしっかりしているものの、その内面はかなりのビビりである。
さてそんな彼女であるが、現在絶賛奴隷生活中であった。
◆◇
うっ、ぐすっ。
涙を堪えようとしても、何故か全然止まらない。
でも、これは仕方がない。
だって私がいる場所は檻の中、そして私は店頭に並べられて、現在奴隷として売られ中なのだから。
「何でこんなことになったんだろう……」
私は、体育座りをしながらぼそりと呟いた。
別に悪いことをしたわけではない。
ただ掃除の時間に、お喋りしながら手を動かしていなかった二人の女子生徒を注意しただけ。
そう、サボっていたら遠藤さんのように奴隷にされてしまうと考え、だからよかれと思って注意したのに……っ!
今でも思い出す。
『男神官様〜! 森下さんが掃除サボってました〜!』
――あの時のことを。
私は勿論違うといった。
サボっていたのは二人の方だと。
しかし、相手は二人でこちらは一人。
男神官がどちらを信じるかは明白だったのだ。
「いたっ……!」
昨日奴隷商人に蹴られた脇腹がズキンと痛む。
泣いてたらメソメソするなと言われて、暴力を振るわれた。
その痛みで全力で泣いたら、もう暴力は振るわれなかったけど。
そもそも、ここの世界の人間はみんな美人ばかりで、私みたいなガリ勉女が売れるわけない。
うっ、ぐす。
あ、だめだ。また泣きそう。
それから店主の「もっと愛想を振り撒け!」という叱咤され、せめていい人に買われたいと思い、通る人々を観察した。
そこにあるのは、昨日と変わらない大通りの様子。
けれど、そこに「あれ?」と思う異物が紛れ込んでいた。
この世界では珍しい、どこか見覚えのある関取すらも凌駕するような丸々と太ったその後ろ姿。
それは異物ならぬ汚物。
そう、豚田君であったのだ。
「え、なんで豚田君が?」
似合わない鎧を身に付けているその丸い物体。
間違いない。
鎧に収まらず、肉がはみ出してるあのだらしのない体は、まぎれもない豚田君である。
好機だと私は思った。
豚田君とは必要最低限の会話以外したこともないけれど、なんとか助けてもらおう。
私は涙を拭いて、今一度副委員長の仮面を被った。
「あの、豚田君!」
私は豚田君に呼び掛ける。
すると豚田君は一瞬ビクリとして、辺りをキョロキョロし始める。
「豚田君、こっちよ!」
私がもう一度呼び掛けると豚田君はこちらを向いた。
しかし、彼はこちらを向いて動こうとしない。
なぜだろうと思い、そして私は気づいた。
豚田君が私に対し、いい感情持っていないということに。
なぜなら豚田君がクラスでいじめられている時に、私は何もしなかったから。
副委員長の役職に就いているにもかかわらず、私はいじめられる側にも責任があると自分に言い訳し、見て見ぬふりをしていたのだ。
最初に喚ばれた屋敷で豚田君が殺されかけていた時もそう。
豚田君の犠牲で皆が助かるなら……。
そんなことを私は考えていた。
『皆』が助かれば?
『皆』じゃなくて『私』だろう。
卑しくて弱い存在。
その癖、プライドだけは高い。
それが私なのだ。
でも、それでいいと思う。
完璧な人間なんていやしない。私は自分で自分を見つめ直せるだけまだマシだ。
マシ?
本当に?
それも自分への言い訳なんじゃないの?
頭の中でもう一人の私がそう囁いた気がした。
そして、こちらを嘲笑うように口許を醜く歪めた豚田君。
明らかに私に含むところがある顔だ。
豚田君がノッシノッシと近寄ってくる。
あ、子供にぶつかった。
すると凄い剣幕で子供に怒る豚田君。
子供は泣き出して、走って逃げていった
なんという大人げなさなんだろう。
そしてまた、あげつらう笑みを浮かべてノッシノッシとこっちにやって来る。
「あれー? あれあれあれ? どっかで見たことあるなぁキミィ」
豚田君が皮肉るように私に話しかける。
「久しぶりね豚田君」
私は弱さを見せないよう、気丈に振る舞った。
……涙の痕バレてないかしら。
「いや、やっぱ知らないわ」
豚田君はクルリと回れ右して、去ろうとする。
これはマズイわ。
「待って! 同じクラスの森下! 副委員長をやってた森下よ!」
「うーん。森下、森下ね、うーん……」
頭を右へ左へ傾け、熟考しているように装う豚田君。
しかし、「やっぱり知らないなぁ」と言って、豚田君は私に背を向けた。
「ちょっと待って、豚田君! クラスメイトがこんな目に遭ってるのよ? 可哀想だとか、助けなくちゃとか思わないの!?」
ピタリと豚田君の足が止まった。
そして再びこちらを向く。
「もし、お前が本当にクラスで副委員長をやっていた森下だというなら、俺がお前を助ける義理が全くないということがわかるはずなんだがな」
その豚田君の発言に、私は、うっ……と言葉が詰まった。
そう、その通り。耳が痛いほどに至極もっともな意見だ。
「……あなたがいじめられていた際、確かに私は副委員長として何もしなかったわ。
それは、ごめんなさい」
私が謝ると、豚田君はチッと舌打ちをして、「開き直りかよ」と吐き捨てるように言った。
けれど、私はそれを否定しない。
そうだ、これは開き直りなのだ。
今、私が何よりも優先すべきは、奴隷として売られているこの状況を脱することなのだから。
だからこそ、私は豚田君に問いかける。
「でも、逆の立場だったらどう?」
私の質問に、ん? と豚田君が片眉を上げた。
「もし私がいじめられてたら、貴方は私を助けてくれた?」
「そ、そりゃあ、助けたさ」
「自分がいじめられるかもしれないリスクを冒して、貴方は私を助けてくれたって言うの?」
「う、うむ」
「今、私を助けてくれようともしない貴方が?」
「むぅ……」
理路整然と私の口から放たれた正論が、豚田君の心に突き刺さる。
人間は弱い。誰もが自分を一番かわいく思っている。
もし豚田君と私の立場が逆で、私がクラスでいじめられていたら、豚田君は決して私を助けなかっただろう。
「いいえ、この際仮定の話はどうでもいいのよ。そんなことを今さら論じても無意味なことだわ」
楔は打った。
後は真摯の心をもってお願いするだけだ。
「お願いします。私を助けてください」
私は目を閉じて頭を下げた。
誠意を込めて。
クラスメイトという縁を信じたのだ。
「――ところでさ、俺の名前って何かな?」
「え? 豚田君は豚田君でしょ?」
豚田君は有無も言わずにこの場から立ち去った。




