十八 弟子をとる話
借りてきた幌無し馬車の御者を務めるレオン君と、荷台でゴロリとする俺。
やがて馬車は目的地にたどり着く。
そこは町の南にある鬱蒼と繁る林。
そして、その中に巨大な屋敷はあった。
「オラァ!」
俺は屋敷の扉を蹴り飛ばす。
扉が吹っ飛んだと同時に、俺も後ろにゴロゴロと転がった。
「先生!」
「大事ない」
俺はどっこいしょと立ち上がり、屋敷の中に侵入する。
「やはり、ここはあの時の屋敷か……」
屋敷の内装、それは俺が男神官に召喚された時のものと同じであった。
「おい、男神官! てめえをぶっ飛ばしに来たぞ!」
レオン君がおろおろとしている中、俺は大声で叫んだ。
しかし、俺の声が響くばかりで、屋敷からは物音一つしない。
「誰もいないのか!」
そう叫んでみたものの、やはり返事はない。
どうやら誰もいないようである。
まあ、ここまでは予定通りだ。
「ふむ……よし、レオン君」
「は、はい」
「金目のものを運び出すぞ」
「ええ!?」
驚きの声を発するレオン君。
そりゃそうだ。
泥棒をするなんて犯罪行為許されるわけがない。
だが、ここはまごう事なき男神官の屋敷。
なにをやったって許されるのである。
「さあ、早くしろ。相手は悪魔のような男、何を戸惑うことがある」
「うぅ……」
俺の命令に、渋々といった様子で近くに掛かっていた絵画に手を伸ばすレオン君。
さて、こちらも始めるとしますかね。
俺はお宝を求めて一番近くの部屋に入っていく。
「さーて何がいいかな」
ごそごそと棚の中を漁る。
すると、部屋の外からレオン君の声が聞こえてきた。
「だ、駄目です! 結界です! 屋敷の外に持ち運べません!」
「なに?」
俺はすぐさま部屋の外に出てそれを確認する。
入り口では、レオン君が絵画を外に出そうと必死になっていた。
しかし、絵画は見えない壁に阻まれ、その様はまるでパントマイムのようである。
「ふむ、貸してみろ」
レオン君より絵画を受け取り試してみるが、やはり無理。
俺はこのまま外に出すのを諦めて、絵画に不審な点がないかを調べ、そして見つけた。
「こ、これは……」
絵画の裏には何やら文字が書いてある。
何やら怪しげであったので、脳内の魔法知識で検索をかけた。
「……これは印字だ」
印字とは、魔力が込められた印によって、結界の外に持ち出せないようにする術である。
おそらくは、この屋敷の物全てに印字がなされているのだろう。
男神官……恐ろしい奴。
「これじゃあ、泥棒なんてできませんね!」
レオン君が晴れやかな顔で言った。
その通り、確かに泥棒はできない。
だがね――。
「……燃やせ」
俺はできるだけ低く抑揚のない声で言った。
「え?」
レオン君が耳を疑うように、聞き返す。
「燃やせ」
恐らく俺の顔は、何の感情も映さない能面のようになっていることだろう。
レオン君は固まっていた。
それが俺の言葉によるものか、俺の顔を見たせいかはわからない。
「燃やせ」
俺はだめ押しとばかりに、冷徹に告げた。
「こ、この絵画をですか……?」
震える声でレオン君は尋ねる。
それは願望。
燃やすのは絵画であってほしいという願いであった。
しかし、俺を首を横に振る。
「燃やせ」
何を、とは言わない。
そしてそれは最後通告であった。
――その日、南の森からは真っ黒な煙が立ち上ぼり、町では何事かと一時騒ぎになったという。
さて、男神官の屋敷をレオン君の炎魔法で燃やし尽くし、俺達は町に帰って来ていた。
なにやらレオン君はどんよりとしているが、俺はとても清々しい気持ちである。
しかし、気分よくしているのも束の間。
店に入って食事をし、お金を払おうとした時、俺は懐の寒さに再び気づいてしまった。
金貨があと数枚しかなかったのである。
これはまずい。
何とかして、男神官からクラスのアホを一人でも拐かして、魔王から大金塊をせしめなければならない。
「レオン君!」
「は、はい!」
店を出ると俺はレオン君に声をかけた。
レオン君はいきなり大きな声で名前を呼ばれ、ビックリした様子である。
「男神官はもうここには戻ってこない! すぐに男神官の行き先を探すんだ!」
「え……?」
その反応に、おや? と俺は思った。
「まだ、男神官様に何かするんですか……?」
ああ、そういうこと。
レオン君はまだ男神官が極悪人であると信じきれていないのだ。
加えて、男神官は一応は勇者の仲間であったわけだし、その立場も確かなものであろう。
そんな相手を敵に回せば、どんな不利益があるかはわからない。
――だがそれは凡人の理論だ。
「男神官は悪であり、悪は滅ぼさねばならぬ」
俺は男神官をぶっ潰すと断言した。
なぜならば、俺こそが正義であるのだから。
すると、何を思ったか目を閉じるレオン君。
何か自分なりに考えているのだろう。
――ところで。
話は変わるが、今いる場所は天下の大通りである。
そして男と男が向かい合い、片方は目を閉じているという状況だ。
これはマズイ。非常にマズイ。
というか、既に道行く人が足を止めてざわめき始めた。
「ちょっとあれ見てよ」
「ええ? 嘘、男同士よ」
「美女と野獣ならぬ、美男子とオークね」
ゴシップ好きな大衆共が好き勝手に俺達のことを言い始める。
「ちょっ……、レオン君、レオン君」
俺は小声でレオン君に呼び掛ける。
だがレオン君は、まるで聞こえていないかのように俺を無視する始末ばかり。
そして、周囲から「キース! キース!」などというコールが始まった頃、レオン君は漸く刮目する。
その顔にはもうなんの憂いも見られなかった。
「わかりました。私も覚悟を決めます」
どんな葛藤があったのか知らないが、どうやら悪を倒すことへの迷いを断ち切ったようである。
だが、その犠牲はとてつもなく大きい。
俺達は、この時にはもう町一番の同性カップルとして一躍有名となってしまったのだ。
こうして俺達は、顔を真っ赤にしながら町で男神官の情報を集めた。
そして、男神官が南にある大都市ロロリアにいることを突き止めると、逃げるようにそこへ向かったのである。
――長い旅だった。
馬車に揺られて四日間、俺達は漸く大都市ロロリアに到着した。
わいわいガヤガヤとした騒がしい人々の声がする。
真ん中を貫く幅の広い道には溢れんばかりの人が行き交い、その左右には隙間に敷き詰めるが如く立ち並ぶ無数の店々。
湯気が立ちそうなほどの熱気を感じるくらい、ロロリアの街は大いに賑わっていた。
俺は、人混みのなかに紛れゴクリと喉を鳴らす。
なんというか、凄く……大きいです……。
その都市の巨大さに俺は圧倒されていたのだ。
レオン君いわく、ロロリアの人口は周囲の村落も合わせると四十万を軽く超えるという。
ううむ、凄い。
島根県を射程に捉えている人の多さだ。
これならば、うまい食事も期待できるだろう。
「よし、まずは腹ごしらえだ!」
「はい!」
俺は早速、レオン君と共にうまい飯屋を探して街を散策することにした。
だが、そこで俺はとても懐かしい顔に出会うことになる。
◆◇
【レオン編その後】
レオティーユは長い髪を切り、馬上服に着替え、その上から鎧をつけて、腰に剣を差した。
顔こそ類い稀な美貌を持つレオティーユであったが、生憎と胸元は慎ましやか。
短髪に加え、鎧さえつけてしまえば男でも十分に通用する。
魔法学院を脱し、王都を出て、目指すは南。
勇者の仲間であった男神官の下へ。
旅は苦難の連続であった。
なにせ、籠の中で育てられたようなボンボン娘である。
たとえば、乗り合い馬車に乗れば、御者を含め客の半分が盗賊だったとか。
たとえば、宿が安いよと若い女に声をかけられてついていけば、実は売春宿のポン引きだったとか。
たとえば、宿が安いよと声をかけられて、「女には興味ないぞ」と前置きしてついていけば、今度はたくましい男性に囲まれて後ろの貞操が危なくなるとか。
そんな数限りない困難がレオティーユを襲った。
しかしレオティーユは、持ち前の頭脳とお転婆だった頃に身に付けた剣術、また貴族の指輪印章により、それらを退ける。
そしてやっと次の町に男神官の屋敷があることを知り、レオティーユは期待に胸を膨らませて、旅路を急ぐのであった。
――その途中のこと。
遥か遠くに、汚ならしい色の光をレオティーユは見た。
「魔力の光……? 凄い……あんなの見たことがない……」
色こそ茶色であったが、その輝きは太陽に勝るとも劣らないものであった。
レオティーユは走った。
あれだけの魔力の光、ただ者ではないはずである。
なればこそ、それが男神官によるものではないかと思ったのだ。
そしてたどり着いた先にいた者は、倒れ伏す巨大な豚――ではなく、素っ裸の丸々太った豚のような人間の男であった。
「もしもし、大丈夫ですか?」
レオティーユはその豚人間に声をかける。
いくら男が嫌いだといっても、困っている者を放って置ける性格ではない。
レオティーユは何度も何度も優しく呼び掛けた。
やがて豚人間は目を覚ましたが、その容体は息も絶え絶えで、半死半生といった有り様であった。
「か、かいふく、まほうを……」
豚人間は、力ない声で治癒魔法をかけてくれとレオティーユに頼む。
しかし、レオティーユには魔法は使えない。
だから彼女は恥じるように言った。
魔法を使えない、と。
目の前に死にかけた者がいるのに、治癒魔法の一つすら使えない己の無能さ。
優しいレオティーユは申し訳ない気持ちで一杯だった。
助けられない、ごめんなさい、と心の中で懺悔したのである。
しかし、話は終わらない。
豚人間がぶつぶつと喋り出したのだ。
死に際の言葉である。
レオティーユは一言一句漏らさずに聞き取ろうとした。
だが、どうも遺言の類いではないようである。
よくよく聞いてみれば、その内容は魔法についてのことだった。
レオティーユはすぐに理解した。
豚人間はこの場でレオティーユに治癒魔法を教え、それで治させようという心づもりだったのである。
何をバカな、と思った。
そんなに簡単に魔法が使えるようになるのなら苦労はしない。
それは何よりも、魔法を全く使えないレオティーユが一番知っていることなのだから。
だが、豚人間の口から放たれたのは、全く違った切り口からの魔法の使い方であった。
レオティーユはもしかしたらと思い、それを実践する。
――世界が変わった。
今まで見えていなかったものが、見えたような気持ちであった。
魔力の温もりを確かに感じることができたのである。
レオティーユは感動した。心を震わせた。
そして、これまでのことが嘘のように、レオティーユは魔法を己のものとしていく。
それはまるで乾地が雨を吸い込むがごとき早さであった。
やがて豚人間は、レオティーユの魔法によって体調を回復させる。
そこで、レオティーユはこの方が男神官なのではと思った。
だが、すぐにそれを否定する。
かの本、『天才男神官の魔法学! 【著】男神官』に書かれていた男神官の容姿と何もかもが違いすぎるからだ。
しかし、その理論は本物。
あの本が子供の落書きに思えるほど、確かなものであった。
こうしてレオティーユは男神官ではなく、豚人間に弟子入りする。
もちろん、師弟の関係を口実にエロエロされては堪らないので、己を男と偽って。
そして一週間。
レオティーユは、師匠となった者がどれだけ偉大であるかを実感した。
その手からは、火を出し、水を出し、さらに土人形まで作れるようになっていたのだ。
「すごい……」
そこは町の外の草むら。
レオティーユは己の生み出した土の人形を動かしながら、感嘆としていた。
まだまだ小さく不格好ながらも、魔力の糸を通して自在に動く土人形。
少し前ならば考えられなかった芸当である。
「先生……」
レオティーユは人形を土に変えると、隣にごろりと眠る豚人間を見つめた。
一つ魔法が上達する度に、レオティーユの中では、豚人間への崇拝にも似た尊敬がまた一つ高くなっていく。
人は誰しも救いを求めている。
一生の内にあるあらゆる困難からの救いを求めて、人は自分に都合のよい全知全能の神を妄想し、信仰するのだ。
三年という屈辱の日々。
それはまさに決して這い上がれない、ただ溺れゆくだけの泥沼であった。
しかし、レオティーユは救われた。
今後、生涯付き合っていくかもしれぬ困難より救われたのである。
ならば豚人間は、レオティーユにとって果たして何者であるのか。
それはレオティーユにしかわからない。




