十七 弟子をとる話
「勇者が死んだって!?」
まさか勇者が死んでいたとは。
なんという驚愕の事実であろうか。
楽しみにしていた昼の弁当が、白米オンリーだった時並みの衝撃だ。
とにかく俺は驚きの声を上げた。
はっきりいって信じられなかったのだ。
仮にも勇者、人類でも最強であろう。
それがなぜ……。
魔王以外に倒せる奴なんているのか? という気持ちだ。
「それで? なんで死んだんだ?」
「はい、なんでも魔物を庇って、教会の者に……」
あ、あいつ……、無茶しやがって……。
最期の最期まで自分を貫き通したというわけか。
というか、なんか俺にも間接的に責任があるみたいで嫌だな。
あの時、調子こいて『魔物の善を知れ!』なんて恥ずかしいこと勇者に言っちゃったし。
しかし、人間の勇者が人間に殺される。
なんということであろうか。
「そうか……死んだのか……」
ほんの少しの縁であるが、勇者が死んだと聞いて俺は悲しかった。
思い起こされるのは、あいつの笑顔。
『俺がオークを殺る!』
『騙したな、オーク!』
『死ねぇ、オーク!』
笑顔……?
あ、やっぱりあんまり悲しくないわ。
俺は別に気持ちを沈ませることなく、再び町への道を歩き出した。
やがて、俺達の視線の先に町が見えてくる。
俺は先ほど貰った袋から金貨を一枚取り出して言う。
「レオン君、これで服を買ってきてくれ。あ、安いのでいいから」
レオン君は金貨を受け取り「わかりました!」と元気のいい返事をして、町の中に走っていった。
うむうむ、いいパシりっぷりだ。
俺は走るレオン君の背に満足すると、その場にごろりと転がった。
空は青い。ブルーハワイのように甘い……じゃなくて、青い。
そんな空に一つ浮かぶ、茹でた卵の黄身のような太陽。
今更ながらに、日本とあまり変わらない空だな、と俺は思った。
……そういえば、日本はどうなっただろうか。
ちゃんと俺の手紙は効果を発揮し、多くの人間を不幸にしているだろうか。
いずれ魔王に頼んで、日本に様子を見に行くのもいいかもな。
俺ははるか日本を思いつつ、レオン君を待った。
「買ってきました先生!」
しばらくして、尻尾を振る犬のようにレオン君が駆けてくる。
ちらりと目を移せば、その手には服が握られていた。
「どうぞ!」
「うむ、ご苦労」
俺はレオン君から服を受け取り着替える。
暴れん坊の下半身を持つレオン君は、男の裸は苦手らしく慌てて後ろを向いた。
それにしても野暮ったい、如何にも平民といった感じの服だな。おまけにピチピチだ。まあ、いいけど。
俺が「もういいよ」と言うと、レオン君がこちらを向いて手を差し出した。
その手の上には銀貨や銅貨がある。
「これ、お釣りです」
「とっておきなさい」
「あ、ありがとうございます!」
元はキミのお金なんだけどね。
なんかそんなに喜んでもらうと、後ろめたい気がするな。
「さて、服も着たことだし、町に行こうか」
「はい!」
俺は、町にいったら何を食べようかなと胸を踊らせながら歩いた。
その足取りは軽く、弾むようであった。
◇◆
レオン――もとい、レオティーユ・マスカロイドは劣等生である。
マスカロイド伯爵家の長女として産まれたレオティーユ。
幼い頃よりその端正な顔立ちは人々の目に留まり、将来は絶世の美女になるのではないかと嘯かれていた。
その通り、十代も半ばとなる頃には、レオティーユは見事な美女に成長していた。
雪のように白い肌と艶やかな黄金の髪。長いまつげに、青い海を思わせるような瞳、鼻は高さも形も申し分ない。
それは女ならば誰もが羨み、男ならば誰もが惹かれる美貌であった。
――しかし、天はレオティーユに二物を与えなかった。
王都魔法学院。
その名の通り王都にて魔法を学ぶ場所であり、貴族ならばとりあえずは入学するのが慣例となっている。
レオティーユもその例に倣い学院に通っていた。
王都魔法学院は、三年制の教育課程を設けており、十三才より入学し十六才で卒業というのが一般的である。
されどレオティーユはなんと十六才でいまだ一年生。
つまり二度の留年を経験していたのだ。
その理由は、彼女はとてつもなく魔法が不得手であったからである。
「はぁ、なんで私には魔法が使えないんだろう……」
学生寮の一室。
レオティーユは窓の側に立ち、憂いをもった瞳で外を眺めていた。
魔法なんてものは、誰かが外から魔力を体に通してしまえば、その者の魔力は活発化する。
あとはその活発化した魔力を、自分なりの方法で修練していくものだ。
特別な基礎理論というものは一切ないのである。
教師達は言う。
『ボワワーと燃え上がるような感じを持ちなさい』
『こう、ドカンと内にあるものを爆発させるのです。ドガガガガーンでもいいですぞ』
レオティーユは教師達が何を言っているのか理解できなかった。
基本的に学院は魔法を教えるというよりも、魔法を安全に使う場を提供するといった観念が強い。
教師達の監視の下で、各々が思い思いの魔法の力を振るうのだ。
勿論、それ以外にも魔法に関する法律や常識、その他礼儀作法や国の歴史などを学ぶ場でもあるが、それは今は関係ないので置いておく。
――とどのつまり、魔法は感覚的に使うものであって、基礎理論は皆無。
人間世界では宙空に浮かぶ魔素の存在すら知られていなかった。
「今年も留年かな……」
レオティーユは人知れず涙を流した。
同期だった者は今年で卒業していく。
そして己はまた一年生から新入生と共にやり直し。
初めは敬いの心を持つ新入生も、魔法を使えない無能だとわかるとすぐに馬鹿にし始めるだろう。
両親からはさっさと自主退学して、結婚しろと再三に渡り手紙を貰っていた。
「無理よ……」
結婚なんて考えたくもない。
学院に来て、男というものが、どんなに汚らわしいものかレオティーユは知ってしまったのだ。
女子生徒はレオティーユを必要以上に馬鹿にする。それはレオティーユの美しさに対する嫉妬によるところが大きい。
レオティーユは聡明である。
女子生徒の感情を理解し、そしてそれが仕方がないことだと納得していた。
しかし、男は違う。
魔法を使えないレオティーユに対し、魔力を通してあげると優しく近づき、そしてあわよくばレオティーユの美しい肢体を堪能しようというのだ。
裸の方が魔力を通しやすいからなどと言って、服を脱ぐことを強要してきた教師もいた。
挙げ句、性交をすることで秘部より魔力を吸収できるんだぞ、と謎の理論を述べながら裸で迫ってきた男もいる。
おぞましい、とレオティーユは思った。
男達の変態っぷりは、レオティーユの理解できる範囲を越えていたのだ。
無論のこと、男が全員変態だとは思っていない。
しかしレオティーユは、正直結婚したくないと考えるくらいには男という存在に嫌気が差していたのである。
「どうしようかな……」
このままここにいても魔法を使える見込みはない、でも退学すれば結婚。
どうしようもないほどに板挟みの状況であった。
やはり、なんとかして魔法を使えるようになるしかない。
そう結論づけ、レオティーユは机に座り、図書室で借りてきた魔法の本の中から一冊を手にとって読み始めた。
それからレオティーユは、ふむふむと夜通しその本を読みふけった。
本の内容の大部分が著者の自慢話であったが、その端々で出てくる魔法理論には目を見張るものがあったのである。
太陽が青白い光を照らし、鶏が朝を知らせる頃、レオティーユは漸くその本を読み終わった。
そして本を閉じその表紙を今一度見る。
そこには、『天才男神官の魔法学! 【著】男神官』と書かれていた。
レオティーユは目を閉じた。
一睡もせずに朝を迎えたというのに眠気はない。
ただ、希望だけが瞼の裏に映っていた。
その日、レオティーユは寮から姿を消した。
残されたのは、ゴミ箱の中にある乱雑に切られた金色の髪の束と、机の上に置かれた一枚の手紙。
その手紙には、魔法を習いに男神官の下へ行く旨が書かれていた。
◆◇
レオン君を弟子にしてから一週間が過ぎた。
俺は現在、町の高級宿に泊まって、食っちゃ寝を繰り返しつつ、レオン君に魔法を教授している。
まあ、教授しているといっても、一気に全部教えるなんて馬鹿な真似はしない。
それでは俺の価値が下がることになってしまう。
だから、俺は魔法の知恵をちょっとずつ小出しに教えて反復演練させていた。
しかし、一つ心配事がある。
この一週間、豪遊が過ぎたせいか、懐が怪しくなってきたのだ。
「うーん、どうするべきか」
俺は、こっそりパンをくれた優しいおっちゃんの店で、ご飯を食べながら考える。
ゴールデン角兎を倒しに行こうとも思ったが、既に討伐済みの貼り紙がなされていた。
うーん、うーんと頭を捻るも、いいアイデアは浮かばない。
するとそこにレオン君が現れる。
「ここにいらっしゃいましたか先生」
「お、レオン君か。君もどうだ、食べていかないか?」
「いえ、私は……その、お金が……」
レオン君の表情が陰る。
彼は財産のほとんどを俺に渡しており、今彼が泊まっているのも安宿という貧民っぷり。
とても贅沢な食事をできる身分ではないのである。
「なんだ、そんなことか。今日は俺が奢るから、目一杯食べてくれ」
「は、はい、ありがとうございます!」
顔を輝かせて俺に礼を言うレオン君。
俺はうんうんと頷いた。
まあ、そもそもキミの金なんだけどね。
レオン君が席につき、おっちゃんにレオン君の食事と、俺のおかわりを頼む。
そして料理が来るのを待っている間、俺はレオン君に尋ねた。
「そういえばさ」
「はい」
「レオン君って何の目的で旅してたの?」
身の上話は極力聞かないようにしていたが、旅の目的くらいは聞いてもいいだろう。
レオン君は、「あ、そういえば話していませんでしたね」と気軽な口調で話し始める。
「私は先生と出会うまで、魔法が全然使えなくてですね」
ふむふむ。
「それで魔法を教えてもらいに、この町の南の森に住んでいる有名な神官様を訪ねるところだったんですよ」
「へえ、その神官はそんなに有名なんだ」
こりゃあ、その有名人とちょっと手合わせをして、俺の偉大さを世に知らしめてやるかな。
ポキリポキリと拳を鳴らそうとするが、なかなか鳴らなかった。
「はい、それはもう。
なにせその方は、勇者様の仲間だったらしいので」
――うん?
あれ、勇者の仲間?
俺は先程のレオン君の言葉を思い出す。
たしか彼は、有名な神官様と言っていた。
神官……。
まさか……。
「その名前はなんというのかな?」
「はい、男神官様と……って先生、どうしたんですか!? 顔が凄いことになってますよ!?」
凄いことになってる?
ふふふ、それも当然だろう。
仇敵の名前を聞いちゃあな。
今日までのあまりの快楽に、その存在を忘れていたよ。
「いいか、レオン君。そいつは極悪人だ」
「ええっ!?」
驚くレオン君。
そりゃそうだ。勇者の仲間が極悪人と聞かされちゃあ、誰だって驚くだろう。
「そもそも、男神官は勇者の仲間じゃないからね?
元仲間だったけど、その後、勇者からは絶縁されてるから」
「そうなんですか!?」
いや知らんけどね。
「いいか、あいつの悪行は数知れない。たとえば――」
俺はレオン君に男神官が行った悪事の数々を話した。
殺人、強姦、強盗、人身売買。
ありとあらゆる犯罪を行う、血も涙もない極悪人――それが男神官である、と。
「そ、そんな……」
「恐らくは勇者を殺したのも男神官だろう」
知らんけどね。
「よし、その南の森にあるという屋敷に攻め込むぞ!」
「ええ!? 相手は元とはいえ勇者様の仲間だったんですよ!?」
なに心配いらん。俺は男神官よりも強いし。
それに、屋敷に男神官がいないことは既に承知済みだ。
俺の目的は、奴の屋敷から金目のものを盗み出すことよ。
「ふん、俺を誰だと思っている」
「えっと……?」
わかるぞ。
誰だよ、って思っているな。
「いい機会だ、俺が何者であるかを、その目をもって知るがいい!」
それだけ言い切ると、俺は新たにやって来た料理をムシャムシャと食べ始めた。




