十一 一人だけ日本に帰る話
男神官の下へ送ってくれと、魔王に頼んだ俺。
しかし――。
「無理だ」
え? 聞き間違えかな?
「既に結界が張られておる」
「はあそうですか」
口惜しいがまあ、仕方ない。
魔王が無理だと言うんだから、無理なのだろう。
それは俺がどうこう言っても、どうにもならないことだ。
そんなことを思いつつ、俺は片膝をついた状態から立ち上がる。
「……」
「……」
そして、沈黙が流れた。
久しぶりの再会だというのに、魔王とはもう話すことがなくなったのである。
「……では、そろそろおいとまさせていただきたいと思います。
つきましては、お手数ではありますが、どうか転移魔法にて元の世界に戻していただきたいのですが」
男神官やクラスの奴等をボコボコにできないなら、こんなところにいてもしょうがない。
さっさと元の世界に帰って、今日の弁当に思いを馳せていた方がマシだ。
「……仲間はどうするのだ」
「いえ、その、殺されそうになった相手を仲間と呼ぶのはいかがなものかと」
ふざけるな、あいつらを還しちゃったらまた地獄の日々が始まっちゃうだろ。
「では、仲間はこのままにするつもりか」
はい、そうですが。
――と、言いたいところではある。
おそらく魔王は俺にクラスの奴等の救出を期待しているのだろう。
しかし、ここで助けにいくという選択肢はない。
俺の今後の学校ライフのためにも。
とはいえ、はっきり助けにいかないと言うと、魔王の俺に対する心証はかなり悪くなりそうだ。
最悪、俺を元の世界に還さないとか言い出しかねない。
うーん。
何かいい断り文句はないものか。
俺は一千億個のニュートロンをフルに活動させて、うーんうーんと考え込む。
「……よ」
あれもダメ、これもダメ。
「……ークよ」
いや、まて。
そもそも俺が何かしなくても、神官の目的を考えたら、そのうちにここにやってくるんじゃねえの?
勇者がどうたらとか言ってたし。
「オークよ」
「――はっ!?」
この世の全ての不快な音が混ざったような声が、辺りに響いた。
勿論、それは魔王の声だ。
「な、なんでございましょうか!」
俺は咄嗟に跪く。
くそ、もしかしてずっと呼びかけていたのか?
俺の集中力の高さも考えものだな。
「何故、仲間を助けてやろうとせんのだ」
「はあ? いや、えっと、助けなくても男神官の目的を考えたら、そのうちにここに来るんじゃありませんか?
だって私達のこと、勇者とか言ってましたよ?」
というか、元を正せば全ての責任はお前にあるんだけどな、魔王。
てめえの責任を俺に押し付けんなよ、お前は悪徳政治家かなんかかよ。
「いや、それはない。
お前の力はあくまで、我が力によるものだ。
他の者の召喚では高が知れている」
プーッ! クスクス!
じゃあ、あいつらなんで喚ばれたんだよ!
喚ばれ損じゃねえか!
俺は内心でクラスの奴等の不幸を爆笑する。
もしかしたら、あまりに弱すぎてもう神官に殺されてるんじゃねえの?
『よくも勇者だと騙したな!』
『え? 僕達そんなこと一言も』
『うるさい、死ね!』
『ギャー』
――みたいな感じで。
「そうですか。
うーん、でも、やっぱり殺されかけた相手のために、私が動くというのは、いささかおかしいのではないかと……」
「怪しいな。何を隠している」
ギクリ。俺の心臓がギュッと縮こまった。
「い、いえ、そんな滅相もない! 私が魔王様に隠し事をするなどあり得ぬことです!」
俺は、必死に弁明する。
しかし、魔王の目は明らかに俺を疑っていた。
「貴様は当初、男神官の討伐に息巻いておったではないか。あれは仲間を助けるためではないのか?」
「あ、あれは、私達のような召喚被害者をこれ以上出さぬようにと……」
「では、仲間のことはどうでもいいと申すか」
ギロリと睨み付けられる俺。
うぜぇーーっ! この魔王、超うぜぇ!
そうだよ! どうでもいいんだよ!
それどころか、こっちの世界にずっといてくれた方が俺としては嬉しいんだよ!
……しかし、それを声に出すわけにはいかない。
「いえ、誰もそのようなことは……」
「ふむ」
すると、魔王はなにやら一人で納得した様子。
なんだろう、嫌な予感しかしないんだが……。
そして、やっぱりともいうべきか、魔王の第三の目から黒く澱んだ禍々しい何かが放たれた。
それは、かつて神官を呪ったものであり、俺に魔力の知識を与えたものでもある。
では、今回はどんな魔法か。
考えるまでもない。
これまでの話からすれば、間違いなく俺をクラスの馬鹿共の救出に行かせるための魔法だろう。
野球ボールより少し大きめの黒い何かが、ふよふよと俺に向かって飛んでくる。
どうする、どうすればいい。
まだ、到達までには時間がある。落ち着いて考えるんだ。
すると、突然黒い何かは物凄い速度になった。
「んな!?」
俺は驚きながらも、しかし咄嗟に体は動いた。
二本の足をしかと大地につけ、体を大きく後ろに反らし、両腕を背泳ぎをするかのように大きく回転させる。
魔力による身体能力の向上により、こんな映画のような回避行動を可能にさせたのだ。
前回までの俺とは思うなよ!
と俺は魔王に向かって叫ぶ。
勿論、心の中で。
――そして黒い何かは、俺の突き出た腹にぶち当たった。
「し、しまった……っ!」
どうやら、俺は魔力による肉体強化によって調子に乗りすぎてしまったようだ。
俺は上体を起こし、揉み手をしながらへりくだるように魔王に尋ねる。
「あのぉ〜、今のはなんの魔法だったんでしょうか?」
「今のはお前の心を覗く魔法だ」
「……え?」
予想外でいて、最も恐ろしい答え。
そのあまりの衝撃により、まるで時が止まったかのように、俺の思考が停止した。
「オークよ、何故仲間を助けたくないのか。その心を覗かせてもらうぞ」
仲間を助けたくない理由を覗く?
それはつまり、俺がいじめられていた事実を――。
「あっ……あぁっ……」
言葉がうまく出ない。
ただ俺の中で、あの地獄の日々が思い出された。
『あれ〜? なんか臭くねえ?』
『先生〜、なんか豚田君の方から変な臭いがしまーす』
『違っ、俺じゃない!』
『おいおい豚田。
頼むから、先生の授業でストリップショーしながら脱糞するのだけは勘弁してくれよ』
そして教室は、アハハハハ! と笑い声に包まれる。
「や、やめ、見ないで、見ないで!」
知られたくない。この俺が、こんな情けない目に遭っているなど知られたくない。
思えば俺は、魔王の前ではいつも勇ましくあった。
勇者や男神官を退けたのも俺の知勇によるものだ。
そんな俺が、学校では豚田と呼ばれ、ウンコマンと呼ばれ、臭い臭いと罵られている。
頭には、奴等が投げつけた紙屑や消しカスが常に刺さっているのだ。
見ないでくれ……ッ!
後生だから……ッ!
俺は、ただ懇願した。
しかし、既に事は終わっていたのである。
「……すまなかったな」
魔王はただ一言謝った。
――同情。
魔王は俺を可哀想だと哀れんだのである。
「……すまなかった」
そしてもう一度、まるで俺を覗き込むようにして謝る魔王。
違う、覗き込んでいるんじゃない。
それは、まさかまさかの頭下げ。
あの魔王が俺に頭を下げているのだ。
ああ……そこまで俺は情けなかったのか……。
俺は心の中で涙を流した。
あまりにも不憫で、哀れで、情けない俺の学校生活。
だというのに、魔王の前ではまるで英雄のように俺は振る舞っていた。
知られたくなかった。この世界の者には、特に魔王には。
それは羞恥。
裸よりも恥ずかしい剥き出しの心を覗かれた俺は、ただただ恥ずかしかった。
「もう何も言わん。お前を元の世界に帰そう」
「……はい……」
俺はただ魂の抜けた人形のように、弱々しい返事をした。
「だがもし、お前の仲……知り合いを助けたくなった時は、私を呼べ。
向こうでも連絡がつくようこれを渡しておく」
魔王の第三の目から、また黒い何かが現れる。
それは黒い玉となって俺の学生服の胸ポケットに入った。
「さあ、もういいだろう」
その言葉と共に、俺は光に包まれた。




