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クリスマスはお酒に酔って(前)

歩き慣れた駅までの道が、先々週から華やかなものになっている。近くには桜並木もあり、そちらはここよりも飾り立てられ、見物客で溢れ返っているはずだ。


なんと言っても明日はクリスマスイブ。


元々は海外の文化ではあるが、今や日本では恋人たちの日になっている。

本来なら私も今年は恋人と過ごすはずだった。4歳下の誠実で不器用な男の子。それが私の彼氏。今年の8月に付き合い始めた。…たぶん今現在も付き合っている、はず。

「はぁぁ…」

吐いた息が視界を一瞬だけ白く澱ませ、そして消えていった。

周りの浮かれた空気は、今の私には少々重い。煌びやかなイルミネーションが目の端に入る度、ちくちくと胃が痛む。


どうして、あんなこと言っちゃったんだろう…


先週末の彼との会話が思い起こされる。


『どうして、そんなことしたのよ…』

『僕は後悔してません』

『自分で自分の将来を潰すことをする晋介君なんて、嫌い!』

『玖美花さん、わかって』

『もう会わない!!さよなら』


あの時私は感情に任せて、彼を置き去りにした。冷静になって考えれば別の言い方もあったと思う。彼の気持ちだって分かる。

けれど、私とのことがきっかけで自分の人生を、可能性を狭めてしまった。それが耐えられなかった。

彼は優秀な学生だ。というのは先週、彼の友人に偶然出会った時に聞いて知った話だ。

『晋介は研究者として将来を有望視されていて、本当は大学のドクターコースに進み、最終的には大手企業の研究者か大学の教授になるような人材です。

なのに、すぐに就職をしたいって。しかも企業じゃなく公務員。高校教員になるなんて誰も思ってなかった。本当にもったいないです。ゼミの教授が嘆いてましたよ。でもそこまでするほど、アイツは貴女のことが好きなんだと思い知らされました。だから、今アイツが貴女と付き合っていると知った時、嬉しかったです』

どうか晋介をよろしくお願いします、友人は人の好さそうな容貌を緩ませた。

私は笑顔で受け答えしながら、ショックを隠せずにいた。友人の話が本当なら、彼は私のせいで進路を狭めてしまったことになる。



足元がぐらぐらと揺れる。



その友人はきっと晋介君の優秀さを伝えたかっただけだ。その口調と表情には羨望と僅かばかりの嫉妬、そして純粋に友達の恋の行方を憂う気持ちが滲み出ていた。

わかってはいたけれど、お腹の底に消化しきれない何かが溜まっていくのを感じた。



そして私は週末、晋介君に会うなり詰め寄った。どうして、何も教えてくれなかったのかと。

彼は困ったように、玖美花さんが気にすることではないですよ、と笑った。僕が玖美花さんと付き合う前に勝手に決めたことです、と。

その言葉に、私の中の何かが切れた気がした。

『どうして?大学に残る道も、企業の研究室への道だってあったって聞いたわ』

『貴女の隣に立てる人間に早くなりたかったんです。あと何年も学生してたら、玖美花さんは誰かと結婚してしまうかもしれない。でも僕を欲しいと言ってくれた企業は県外にしか支社がないし、本社は海外なんです。そしたら会えなくなるじゃないですか。…今思うと、片想いの状態でよくもまぁ勝手な妄想をしていたなぁとは思います』

『…なんで、自分の将来を潰すようなこと、したの』

口の中がからからに渇く。彼は私をじっと見つめ、そしてふわりと微笑んだ。まるで愛おしくて仕方ないという風に。

『僕は、自分で将来を決めたんです。不確定で不安定な道じゃなく、貴女の傍にいられる可能性を選んだんです。それに僕、人に物を教えるのが好きですから』

だから、玖美花さん。そんな顔しないでください。

彼の言葉が何度も、耳で響いている。目頭が熱い。胸が焼け付きそうだ。

そこまで想われてたなんて、知らなかった。

直向きな心が堪らなく愛おしい。愛おしくて、涙が溢れそう。

でも同時に怖くなった。


このまま一緒にいたら、この人はこれからも自分の可能性を潰していくんじゃないか。


私は、彼の未来を、壊したくない。


好きだから、大切だからこそ。

誰よりも輝いてほしい。


そして先程思い出した会話に戻る。一方的にさよならを告げた私は、まだ何か言いたそうにしていた彼を放置して逃げた。あれからコンビニにも彼の下宿先にも行ってない。スマホのメッセージもすべて拒否してある。


呆気に取られたように薄く唇を開いた、彼の顔がちらつく。


きっと、彼を傷つけた。


「ごめんね…いつも傷つけてばかり」

鮮やかな色が歪んでいく。手の甲で拭うが溢れてきた感情の波を抑えることはできない。

「晋介君…」

泣きながら、私は何度も何度も彼の名前を呼んでいた。





クリスマスイブ。職場の同僚たちが帰宅を急ぐ中、私は残業を決め込んでいた。家に帰ったとしても鬱々とするだけだ。無理矢理仕事を作って動いていた方がいい。

「吉居先輩、残業ですか?」

呼び掛けられて顔を上げれば、今年入社した新人の町村泰斗まちむらたいとがいた。何故だか分からないが、いつになく真剣な表情だ。

「うん。急ぎの仕事あるし」

私は平然と言ってのけた。

本当は急ぎの仕事は全くないけど、と心の中で付け加える。

町村君は尚も険しい目をして、私を見据えている。

「…先輩。最近、鏡で自分の顔を見ましたか?」

「鏡?」

「ひどい顔してます。目の下の隈が濃いし、白目も充血してます。頬もげっそり痩けて」

私は手鏡を取り出し、自分の顔を見た。

「あ〜…」

そこには血色が悪く、酷い形相の私がいる。

「今日は帰りましょう。仕事ができる先輩が残業しなきゃいけないほどの案件は無いはずです」

「でも、帰ったって仕方ないもの」

家にいたって晋介君を思い出して辛くなるだけだから。

「じゃあ、俺と飲みに行きますか?」

「……は?」

「今から俺と飲みに行くなら、良いですよね」

邪気のない笑顔に私は閉口する。それを了承と受け取ったのか、町村君はスマホを取り出し電話をかけ始めた。

「もしもし、俺。今から飲みに行くから、席は2つ空けといて。…え?どうせ毎年イブやクリスマスはお前の店、がらがらじゃん。…うん、あぁ、はい。じゃよろしく」

「あの、さ。私、行くとは言ってないし、町村君は彼女…」

「彼女は今いないです。片想いの相手はフランスに留学中なんで、会ってもくれないし。だから問題無いですよ」

町村君はあっけらかんとしているが、声が少し震えてる。

私はため息を吐くと立ち上がった。ここで押し問答していても埒があかないし、たまには後輩と飲みに行くのも悪くはない。

「…良いよ。飲みに行こうか」

「はい!」

底抜けに明るい町村君といたら、少しは気も紛れるかもしれない。仕方ないなぁ、そうぼやきながら私は小さく微笑んだのだった。





町村君が予約した店は入り口に暖簾のかかる居酒屋だった。扉を開ければサラリーマンのおじさんたちの喧騒が耳を突く。

「こんばんは〜!」

町村君が明るく言うとおじさんたちの声が輪唱する。

「よお、町村!いいのかぁ?クリスマスにこんなとこに彼女とデートかぁ?」

「残念ながら彼女じゃないんですよ。こんな美人さんが俺と付き合ってくれるわけないじゃないですか」

「なんだよぉ、意気地がねぇなぁ」

「ははは、日下さんみたいに女の子をうまく口説けないんですよ。今度極意を教えてください」

町村君は軽口を叩きながら、私を奥の席へとエスコートした。カウンター前の隅の席で、思ったよりも広い。

私は席に座りながら、周りを見回した。店内にはお品書きが所狭しと貼られており、そのどれもが脂っこい物か酒のつまみだ。カウンターの中にいる店員はいかつい感じのお兄さんで、ワイルドに捲り上げたTシャツがパツパツになっている。

「吉居先輩、こんなとこですみません。ここ、中学の同級生の店で融通が利くから」

「最初びっくりしたけど良いお店だね。私、上品な店は正直得意じゃないから」

そう言うと町村君は明らかにほっとしたという風に頬を弛めた。

「良かった。…それで他の女性社員とあんまり飲みに行かないんですか?」

「だって…オシャレなバーでちまちまお酒飲むのって性に合わないもの」

カクテルが嫌いな訳ではないし、たまにはそういうのも悪くはない。ただ、あの静かな空間で飲むのはどうにも苦手だ。背中がむずむずする。ストレス発散にぱっとやりたいのにできないから余計にストレスが溜まるのだ。

先輩って見た目や仕草は可愛いのにそういうとこは男前ですもんね、と町村君は妙に納得をして、カウンターに注文を叫んだ。生中に軟骨、串カツ。美味しそう。

「先輩は生中にしますか?それとも日本酒?焼酎?」

「初めはビールが良い。あと、だし巻き玉子食べたい」

「分かりました。(よう)!生中とだし巻き玉子追加!!」

「あいよ!」

威勢の良い掛け声。

ビールと料理を頼み終えると、町村君は席を立ちお冷とおしぼりを持ってきてくれた。

「ありがとう」

「どういたしまして。洋は中学の同級生でここの店主。洋の親父さんが急逝して引き継いだばかりです。いつもこんな感じなんですよ」

「そうなんだ。洋さんと仲良いのね」

「お互いに遠慮がないだけですよ。…で、先輩。最近どうしたんですか。話、聞きます」

町村君の言葉に私は暫し逡巡する。ここに連れてこられた以上はそうなることは分かっていたけど、後輩に赤裸々な話をしても良いのだろうか。

黙りこくる私に、町村君が困ったように笑った。

「俺、生き生きと仕事をする先輩に憧れてます。いつも、その姿を見て俺も頑張ろうって気合い入れてるんです。だから、最近元気がないのが心配で。俺も元気が出ないです」

恥ずかしげもなく告げられて、私は赤面する。


今の若い子って皆、こんな感じなの?


晋介君といい町村君といい、ストレート過ぎでしょ。そう思って、私はまた晋介君を思い出している自分に気づく。

「…もしかして、彼氏絡みですか?」

ぽつりと呟かれた問いに私はギクリとした。思わず目を見開いて町村君を凝視してしまう。町村君は町村君でマジですか?と驚いた表情を見せた。どうやら勘で言ったらしく、当たるとは思ってなかったみたいだ。

「吉居先輩、ここ数ヶ月で一気に綺麗になったから彼氏できたのかなぁと思ってましたけど…。職場内ですか?」

私は首を横に振る。

「職場内じゃないよ。…隠してたわけではなかったんだけど、年下で大学院生の子」

「学生、なんですか。まぁ年下と付き合ってること自体は驚かないですが、学生…」

その後は続かない。

私たちは暫く沈黙する。やがて注文をアルバイトらしき子が持ってきて、とりあえずビールで乾杯するとそれを勢いよく飲んだ。ジョッキの半分まで一気に飲むと食道から胃までアルコールが通り抜けて苦味を残すのを感じた。

黙々と軟骨とだし巻き玉子を食べ、ビールを飲み干した。

「ペース早いですよ」

気遣わしげな町村君。

「全然。私、お酒強いの」

「けど」

「今日は飲む。飲みたい」

3杯目に入ったところでやっと肩の力が抜けてきて、私は自分の口の滑りが良くなるのを感じた。

「彼は私がよく行くコンビニでアルバイトしてるの。それで告白されて、8月頃から付き合ってる。だから4ヶ月目かな」

「まだ付き合いたてですね。ラブラブな時期じゃないですか」

「そうなんだけどね。…私、彼に嫌いって、さよならって言っちゃったから」

「はい?また何で」

私はビールを飲み干す。

「すみません、黒糖梅酒をストレートで。あとロングアイランド・アイスティーください!

え〜と、理由?簡単よ。私のせいで自分の可能性を潰しちゃうからよ」

程よい目眩。いつもよりペースが早いからか酔いの回りも早い気がする。

「どういうことですか?」

町村君の眉根が寄る。

「晋介君はね、優秀な学生さんなの。将来有望な人で博士課程に進んで学者様になる道も、企業の研究室に入って研究者として歩む道もあるの。企業から指名も来てるみたい。なのにさ、それをすべて蹴って高校の先生よ。理由を聞けば、私が原因っていうし」

私はアルバイトの子から梅酒とカクテルを受け取ると、梅酒を一気に飲んだ。

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