【刀剣乱舞】 太郎太刀夜話 【短編】
ブラウザゲーム刀剣乱舞の短編二次創作です。読んでいただけると嬉しいです。
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登場人物
真柄直隆…直基の父。太郎太刀を扱う
真柄直基・・・直隆の息子。次郎太刀を扱う
匂坂六郎…徳川の士
宮簀姫…熱田神宮を創始した伝承を持つ女性にして祭神。草薙の剣を遺して帰らぬ人となった日本武尊の妻。
太郎太刀…付喪神。熱田神宮宝物館に坐す
熱田の杜は静けさの中にある。
男は夜空を見上げていた。
長躯である。
涼しげで切れ長な目には優しげな光りが宿る。
月光の強い夜だ。雲が鈍く輝いている。
木々の隙間に切り取られた夜空が見える。
ふと気配を感じた。
振りかえると女が立っている。
人ではない、とすぐに分かった。
「今宵は冷えますね」
女はコンクリート造りの階段に腰をかけた。
「そうですね」
男は再び空を見上げた。
「また昔の事を思い出しているのですか」
上空の風は強いらしい。
雲間から大きな満月が姿を現し二人を照らした。
元亀元年六月二十八日(グレゴリオ暦1570年8月9日)。
四万の殺意が空を揺るがし、低い唸りを持って戦場を包んでいた。
卯刻(午前5時から7時)より始まった合戦は一つの転機を迎えていた。
数で勝る朝倉軍は徳川軍を圧倒していた。
一陣は朝倉景紀、二陣は前波新八郎、三陣は朝倉景健が率いる。
朝倉の兵数には諸説ある。
勝った方の記述はいささか過剰な数が残るからだ。
そのため負けた側の『朝倉家記』の記述をとり一万とするのが定説である。
一方の家康は五千。
一陣より酒井忠次、二陣に小笠原長忠、三陣に石川数正。もちろん本陣は徳川家康である。
まず東三河の兵が動いた。酒井、小笠原の二千余騎にて突っかけたのだ。
実はこの年の四月、朝倉の手筒山城攻めで南大手口を破り、一番乗りを果たしたのも東三河の兵である。
きっかけは織田信長の侵攻であるが双方少なからぬ因縁がある。
平地での戦いは兵数が物を言う。
劣勢の中、三河武士は一歩も引かなかった。
今でも名が残る血の川橋、血原。
姉川はたちまち朱に染まったという。
「父上。左翼の浅井勢は織田の二陣を突破する勢いです。尾張の兵は弱い。噂通りだ。それに比べて三河の奴らは本当に忍耐強い」
真柄十郎三郎直基は父に言った。
「お前らしからぬこと。風聞など気にかけるとは。戦場では意味を成さぬ。目前の敵を切り払うのみ」
父は真柄十郎左衛門直隆という。朝倉義景に仕える土豪である。
この親子、筋骨逞しく巨躯。得物はこれまた常軌を逸していた。
『四戦紀聞』によれば太郎太刀は七尺八寸(一云五尺三寸)。次郎太刀は六尺五寸(一云四尺三寸)と記されている。
越前の刀工千代鶴が有国兼則と相議して造った逸品である。
太刀持ちが四人がかり。抜き放たれた刀身は日の光を浴びて輝いた。
絵巻には鑓代わりとばかりに馬上にて使用する姿も伝わる。
鑓は鎌倉時代に薙刀にとって代られるが、穂先を短くした鑓が再び戦国時代には主流となっていた。
なお絵巻きには薙刀を使用する武士の姿が描かれていることもあるため、実際は武人の好みによるのだろう。
いずれにせよ、力の象徴たる巨大武器は威信財としての意味もあるだろう。
その姿が戦場にあるだけで集団の士気が跳ね上がるのである。
「まだまだ暴れ足りぬ。そうだろう太郎太刀よ」
太郎太刀を真っ向に指しかざし、四方八面切りまわる。屈強な三河兵といえどもこの巨漢に適う者など居ない。
『四戦紀聞』はその時の様子を「四、五十間四方はただ小田を返したるが如くにぞ成りける」と記している。
朝倉景紀隊の圧は凄まじく姉川を渡河すると一気呵成に攻め立てた。
それでも数の上では劣勢である酒井隊は怯まなかった。
下流にて徳川が崩れれば上流の織田勢も敗北は必至である。
退くわけにはいかない。
直基が言ったようにすでに織田は坂井政尚、池田恒興の陣が崩壊している。第三陣にて木下秀吉が必死に持ちこたえていたのである。
「妙だな…?」
直隆ははたと気付き、立ち止まった。
太郎太刀にて押し押せる三河兵を斃すほどに違和感。
命をかけて無言で交わす刃は時に雄弁である。
「こ奴らは耐えている。何に」
馬手に太郎太刀の発する微かな震えを感じ取ったような気がした。
胸騒ぎがする。
「ひょっとして囮か」
姉川の下流へ目を凝らす。
立ち止まり振り向く父の姿を遠目に確認した直基は、何かの合図かと手勢と共に駆け寄ってきた。
父の目線は息子の背後、さらに先にある。
次の瞬間、最右翼より喊声が上がった。
この戦の趨勢を決した榊原康政の側面攻撃隊であった。
姉川下流より迂回したのである。
朝倉の兵は口々に叫んだ。
「横鑓だ!怯むな!」
たちまち朝倉勢は浮足立った。
戦の潮目とはこのことであろう。
「お前は殿をお守りせよ。すぐに追いつくわ」
ここぞとばかりに押し出してくる兵を薙ぎながら父は叫んだ。
「私は最期まで父と共に」
「縁起でもないことを言うな。行け。父の命が聞けぬか」
直基は次郎太刀を高々と上げると未練を断ち切るように部下に転進を命じた。
攻撃を防ぎながらの後退は容易ではない。
じりじりと親子は離れていく。
「必ず、必ずです。父上」
味方の屍を乗り越えて直隆達に三河兵が殺到してくる。
まさに戮力協心。
死をも畏れぬその姿に敵ながら感動すら覚えていた。
(ここまで忠義を集める人なのか。三河の主は)
「音に聞こえし真柄殿。参り合わん!」
その者は手鑓を引っ提げ、力の限りに付きかかってきた。
直隆は苦笑した。
「誰だお前は。名乗らぬとは」
太郎太刀が一閃。
男の兜の吹き返しは砕け散り、鑓も叩き落とされた。
その危機に駆け付けたのは弟だった。
「兄者!加勢致す。我は匂坂五郎次郎なり!」
「はは。すると先ほどの慌て者は匂坂と申すのか」
すかさず拝み切り。
この時、匂坂五郎の太刀は鎺元より切り落とされたと云う。
匂坂三兄弟、最後の兵は「匂坂六郎政吉!」と叫ぶと郎従の山田宗六と共に打ちかかった。
山田宗六は真柄太刀渾身の唐竹割にて血しぶきを上げたが犬死では無かった。
匂坂六郎は雷光が如く繰り出した十文字で真柄の巨体を引き掛けると、兄弟全員で飛びかかり小刀を突き立てた。
「ついに仕留めた!仕留めた!」
周囲に歓声が上がる。
「父上!」
異変を察知した息子は引き返そうとするが青木所衛門とその郎党が立ち塞がった。
「どこへ引き返す。逃げずに勝負あれ!」
燃えるような殺気が真柄直基の身から吹きだした。
史書にはこの時の言葉がこう記されている。
「『引く』だと。悪い男の詞よ。目にもの見せてくれるわ」
次郎太刀がギラリと光った。
「父に劣りし太刀なれど、受けて見よ」
青木の郎党は身体を盾にして立ち塞がり束になってかかった。
彼らの細首が次々と宙に舞う。
だが多勢に無勢。
最期には青木の鎌鑓にて直基の肘は切られ、首を落された。
太郎太刀の主は未だ絶命せず。
三兄弟が縋りついた巨体は力任せに立ちあがった。
跳び退った兄弟は恐怖した。すでに小刀を幾度も突き立てたはずだ。
真柄はゆるりと太郎太刀を放り投げた。
「俺が戦場で無様に臥して死ぬものか」
腹からは鮮血が滴る。
男は自らの首をとんとんと叩いて言った。
「今は是迄。真柄が頸取りて武士の誉れとせよ」
匂坂六郎に微笑んだ。
「さあ。首取りたまえ」
認められた匂坂六郎は身の震えを押さえつけるように叫んだ。
走り掛かって首を打ち落としたと伝えられている。
血で染まった原を見渡した匂坂六郎は肩で息をしながら吐き出すように言った。
「なんという男だ。まさに暴風がごとし」
半日の出来事であった。
その後、右翼朝倉が壊走した事で家康は反転。劣勢の織田に突きかかる左翼浅井勢を一蹴した。形勢逆転である。
ここに世に名高い姉川の戦いは織田徳川連合軍の勝利に終わった。
意地と意地のぶつかり合いであった。
のちに信長は書簡でこの戦いを「野も田畠も死骸ばかりに候」と記している。
死して燦然と名を輝かせた豪勇二人の大太刀は戦いから日をおかず地元の社に奉納された。
なお孫の真柄權太夫も黒田長政に従い朝鮮出兵にて武勲をあげた猛者であったと伝えられている。
神気が熱田の杜に涼やかな風を運んだ。
女は伸びをした。
放し飼いの矮鶏が羽ばたいた。
夜の静寂に矮鶏が水を舐める音が微かに聞こえる。
「付喪神たる貴方でも、こんなに平和だと退屈ではありませんか」
男は優しげに笑った。
「まさか。弟にも似たようなことを聞かれましたが。むしろ私が戦場にあったことを信じられぬ方が増えていることは喜ばしいことでしょう。私はここでずっと平和を祈っていたいのです」
「男はみな、戦がお好きなものとばかり」
「貴方の旦那様のことですか。いつかお会いして古の戦話をお聞きしたいものです」
「ふふ」
女は袖で顔を覆うと闇に溶けるように消えた。
ひとり残された男は飽くことなく満月を見つめ続けていた。 (了)