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6.随伴現象星

「な、なんだ!?」


 怒鳴り声をあげなければまともに声も聞こえない状況に、きみは道具袋を抱えて天を見上げる。空いている手は、左香の手を握っていた。

 樹冠の隙間から空を見上げた。まるでジェット機が突き抜けてゆくように、ふたつの光点が青空を裂いていたのだった。早くもどこかで戦いが巻き起こっているのだろうか。


「な、なんでしょうか!」


 間もなく音は止み、代わりに明滅する光が高く高く空へと登ってゆく。赤や青、金色など様々な光を発しながら激突を繰り返していた。


「ぼくの勝手な推測だけど、あれは、安瀬倉のような気がするな」

「えっ、あ、安瀬倉ちゃん? じゃあもしかして、おねーちゃんたちを探しているんでしょうか……?」


 きみは砂を噛むような顔で、戸惑う左香に続ける。


「いや、それはどうかな……もし探しているんだったら、一瞬で見つけられそうだし……」


 きっと安瀬倉は何者かと戦っているのだ。それは冥王星や魔王や、あるいは初かもしれない。


「……ま、それでも、とりあえずこの場から移動しようか。巻き込まれて死ぬなんて、たまったもんじゃないし。ちょっと急ごう」

「う、うん……おねーちゃんは、きーちゃんの言う通りにします、ね」


 左香はいつになく従順だった。突入前の『迷惑』という言葉がよっぽど堪えているのかもしれない。それでも今はその態度をきみは利用することにした。


「ごめん。悪いけれど、それが賢明だと思う」


 左香は部室での無害な姦神しか見たことがないから、その非情さを知らないのだ。だからどうしても甘えが残る。

 安瀬倉――と仮定した光源――から離れるためだけに歩き出す。それは行く宛のない旅のようで足取りは重かった。


「あ、そういえばきーちゃん。三枚目の説明書には、地図が書いてあったみたいですよ」

「え? そうなんだ。それはまだ見てなかったや。ありがとうね、さーちゃん」

「え、えへへ」


 左香から手を離して、きみはポケットから説明書を取り出してめくる。そこにはきみたちのいる世界の概要がおおまかに記載されていた。地図と呼べるような代物ではなかったが、それでも指針にはなるだろう。


「エリアは大きくわけて五つ……異世界の森、市街(日常)、天界、魔界、近未来……」


 例によって姦神の注釈付きであったが、それはこの際読み飛ばす。五つの世界は不思議な力によって繋がっていて、互いに行き来ができるようだ。


「じゃあここは、異世界の森、かな。見たこともない植物が生えているのは、外国の亜熱帯雨林だからだと思っていたけど」

「でも、虫一匹いないなんて、おかしいですよね。お、おねーちゃんは嬉しいですけど」

「文字通り、生き物は参加者以外はいないんだろうね。姦神さんは“フェア”だとか、そういう言葉が好きだから……」

「……この状況、公平ですか?」


 上目遣いに左香。きみは首を振る。きみたちがどう思っているかなど、きっと関係ないのだ。


「少なくとも、姦神さんはそう考えているんだろうね。どこか安全なところにひとまず避難したいけれど、ここはどうなのかな」


 と、きみは実用的な方向に話を変える。辺りは隠れる場所だらけのようでもあり、森に詳しいものにとっては庭であるような気もする。


「できることなら、やっぱり土地勘がほしいな。ぼくたちの住んでいた世界――市街を目指してみよう。ここはちょっと条件が良くないな。視界が悪くて方向感覚が掴めない」


 喋りながらきみは考えをまとめてゆく。


「そうだな、ひとまずは落ち着こう。どのアイテムを誰にどう有効活用するかっていうのも、時間をかけて考えなきゃいけないからね。さーちゃん行こう」

「あ、はい」


 道具袋を肩に背負い、早足で先へ進むきみの後を、左香がトタトタと小走りで着いてくる。


「いいかいさーちゃん。これはね、アクションじゃないんだ。ぼくやきみが格闘技で虎や軍人をぶっ飛ばすことなんて、まず無理なんだからね。どんなに危機が迫っても、それだけはやらないようにしよう」


 きみはまるで自分に言い聞かせるように、これからの心がけを述べる。


「わ、わかりました」

「きみはずいぶん緊張しているみたいだけど、ぼくだってきっとすぐに冷静ではいられなくなるだろうからね。だから、思考を止めちゃいけないって話だよ。やけっぱちとか、こうなったら一か八かだ! とか、絶対にダメだからね」


 つる植物に足を取られそうになり、つんのめる。振り返れば、左香はこちらを見つめていた。


「こんなときに、こんなこと言うのも変かもしれませんけど……」


 左香はきみの服の裾を掴む。


「きーちゃん、なんだかかっこいいですね」

「ほんとに、場違いだな」

「えへへ……ごめんなさい。でも、そう思っちゃいましたから」


 きみは呆れた顔を作る。左香の声には、いたわりの色が滲んでいる。


「おねーちゃんの知らないところで、いろんなことをしてたんですものね」

「……」


 きみは無言で先に進む。左香の囁きがそれを追う。


「……きーちゃんが大変で、もうやめたいって思ったときには、わたしが代わりますからね。あんまり頑張り過ぎなくても、いいんですからね」

「そんなことにはならないよ」


 柔らかく明確に否定をする。左香の心遣いは甘すぎる。

 そこで、きみはふと足を止めた。


「……今、なんか聞こえなかった?」

「え? お空のですか?」

「違くて……今度は、なんかに見られているような気が……」


 嫌な予感に関しては、きみはかなりの的中率を誇る。命の危険を幾度となく乗り越えた上で身につけた感覚であったが――それは灼きつくような視線だった。

 きみと左香は今度ははっきりと、“獣の唸り声”を聞いた。錯覚であってほしかったが、密林の木々の向こうに一瞬だけちらりと、縞々の黄色と黒の模様が見えた気がした。


「……ね、ねえ、きーちゃん……」

「……わかっているよ、さーちゃん……」


 勘違いでは済まされない。識別に過ちは許されない。

 ジャングルはまさに“彼”のスタート地点に相応しいだろう。ふたりの間に戦慄が走る。視線を固定しながら、足並み揃えて後退りする。


 ――次の瞬間だ。左手の茂みからタイガーストライプの巨体が飛び出してきたのは。


「ひっ」


 パニックを起こすなという方が無理な話であったが、きみの判断は迅速だった。血を凍らせて固まる左香の手を取って、即座に転進したのだ。


「なんでこんなに早くエンカウントするんだよぉ!」


 きみは転びそうになりながら、重荷を引いて駆ける。


「逃げろ、逃げろ、逃げろ!」


 振り向くのがとても怖い。後ろから獰猛な唸り声や、草を踏みつぶし、土を蹴り上げる幻聴が耳の後ろに張り付いているようだった。

 脳から送られた激しいSOSの信号に伴ない、きみの血流速度が急上昇する。全身の隅々まで酸素が行き渡り、途端に呼吸は苦しくなった。


「も、物知りきーちゃん! 虎って振り切れるものなんですかあ!」

「縄張りは数キロにも及ぶらしいから、まず無理じゃないかな! ネコ科の肉食動物はスタミナがないと言われているけど、ぼくたち人間に比べたら鉄人クラスだよ!」

「じゃ、じゃあ逃げ切れないじゃないですか! ど、どうして今走っているんですか!」

「一か八か、逃げ切れる可能性があるかもしれないだろう!」

「そういうのやんないってさっき言いませんでした!?」

「ちくしょう! 現実はいつだってうまくいった試しがないんだ!」


 きみが左香の手を強く引っ張ると、生暖かい風が後ろから漂ってきた。今度は錯覚ではなかったのだ。きみと左香は、同時にひどく無様に転んでしまった。

 痛めた節々の悲鳴を無視して身を起こしたきみが見たものは、先ほどまで左香の立っていた位置、斜め前5メートルほどの位置にいる猛虎だった。

 檻に入っていない虎を間近で見るのは初めてだ。自動車よりも巨大に見える。ぎょろりと油断なく動く眼は、それだけで人の心臓を貫いてしまえそうだった。


 きみと左香を、虎は交互に睨んでいる。彼の視線はまるで狙われたが最後、必ず殺されてしまう魔槍のようだった。

 道具袋を手繰り寄せようとしても、それは転んだ拍子に落としてしまったようだ。最悪だ。もしかしたら袋に入ったままでは、スペア命も機能しないかもしれないのだ。

 刹那、虎が狙いを定めて、腰を落としたのをきみは見た。

 目標はきみではない。左香だった。


「さーちゃん!」


 きみの体は自然と動いた。膝に力を込めて、左香を突き飛ばそうと駆け出す。虎の俊敏さに勝るとは思っていなかったろうが、このとききみの思考は完全に停止していた。


「だめですよ! きーちゃん! こっちに逃げてきちゃ!」

 きみが突き飛ばそうとしたその瞬間。目をつむった左香が、きみをさらに押し返す。きみはちょうど、虎の方向に跳ね返される形となり――

「え――」


 次の瞬間、きみの意識はブラックアウトする――


「きーちゃんだめ――!」


 太い縄がちぎれるような、ぶっつりとした音が、耳の奥で弾けた。


 

 ――接続が復旧。肉体は機能を取り戻し、生命は活動を開始する。化学シナプスに神経伝達物質が走った。スタンバイ。OK。

 リ・スタートである。

 きみの視界のシアターがゆっくりと開ける。そこに映るのは、虎がなにかを喰い破っている光景だった。手や足らしき部位が辺りに転がっていて、きみはそれが自分のものなのではないかと疑った。


「え? あ……?」


 なぜなら、虎がばりばりとむさぼっているそのヒトガタの胸には、こう書いてあったからだ。


『ぼくきゆうくん』


 どうやら幽霊となったわけではないようだ。スペア命が役目を果たしたのだ。虎に襲われたきみはあのビニール人形とすり代わり、こうしてアーティファクトを消費して致命傷を逃れたらしい。事態を把握した次の瞬間、きみの背筋から恐怖が湧き上がった。


「も、もう使っちゃったのか……!」


 次のスペア命が葬り去られるのは、数秒後のことかもしれないのだ。危機が去ったわけでもなく後悔をしている場合ではないときみが目を向けると、左香が真っ赤な目をしていた。


「よくもきーちゃんを! 離せー!」


 道具袋は彼女の手の中にあった。左香は精一杯の威嚇をしながら、周りにあるものを何でも投げつけるような態度で、袋に手を入れた。出てきたのは巨大な槍。彼女が柄を握ると、槍はその意思を感じ取ったのか、黄金色に輝いた――から、きみは焦慮に駆られた。


「その槍はっ!」

「え?」


 まるで時が止まったようだ。左香は惚けたようにこちらを見た。


「どうして、きーちゃん」

「よく見なさい! スペア命!」

「えっ、あっ――そ、そうなんですか!」


 見開いた左香の瞳から、じわりと涙がにじみ出る。どうやらほっとしてくれたようで、槍を握り締めたまま彼女は笑顔を覗かせた。


「もしきーちゃんがいなくなったら、おねえちゃん、おねえちゃん……」

「そ、それはいいから、ね……さーちゃん、ちょっと、その、槍は……あっ!」


 大声に釣られて左香が振り返ると、そこには新たな獲物を求めて眼光をギラつかせた虎が、今にも飛びかかってきそうな態勢を取っていて――


「きゃ、きゃああ!」

「左香――!」


 驚いた左香の手のひらから槍が落ちる様を、きみはまるでスローモーションのように見ていた。左香の指を離れた神殺しの滅槍は、まるで誘導弾のように回転しながら虎に向かって自律飛翔する。間髪入れず着弾した。槍は光の粒と化し、虎の全身を包み込む。光珠は宙に浮かび、凄まじい光を放つ。いくつもの輪が弾けては消えてゆく。死と破壊の輝きだ。


 左香は自らが引き起こした惨事に唖然としていた。

 子宮のような光から目を離し、左香はゆっくりと振り返ってくる。怯えや恐れ、安心と後悔がないまぜになったような複雑な表情で、目に涙を溜めていた。


「きーちゃん……わたし……」


 左香がしゃくりあげる。声にならない声。唇が「ごめんなさい」と動いた。

 残光までも消えたあとには、そこにはもうなにもなかった。ただ破壊の余波により、黒く焼けた地面が残るだけだった。

 きみは猛烈な疲労感を覚えながら、左香を軽く抱きしめた。


「……いいよ、さーちゃん……」


 果たして彼女の謝罪は、きみに向けられたものなのか、あるいは何の罪もない虎に向けられたものなのか。わからずにきみは、ただ左香のうわべを撫でる。


「……ぼくも、きみも生きていたんだ……とりあえずは、それで……」


 きみのその声には力がなく、左香の悲観を取り除くことができないとわかっていても、きみに今できるのはそれくらいだったのだろう。

 左香の頭を撫で、しばらくぐずり続ける彼女をあやしながら、きみは無意識にため息をついた。


 善意で行動した左香を責められず――かといって褒めることもできず――ただ絶望的な未来を思ってきみは表情を暗くしていた。

 開始からわずか五分。一匹の参加者が亡くなり、きみはふたつのアーティファクトを失った。


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