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4.ビュリダンのロバ

 彼女らを姦神はまるで初対面のように紹介をした。


「“天使”の安瀬倉くん、そして、“超越者”の初くんだ」


 誕生日のサプライズなら良かったのに。姦神は決して冗談を言うような人物ではない。それでもきみは、尋ねずにはいられなかった。


「ど、どういう意味……ですか……?」


 その質問に対する答えには、慈悲も手加減もない。


「言葉通りだ。安瀬倉くんや初くんは、本来ならばきみと同じ世界の住人ではないのだよ。初くんにしてみれば生きる次元すら違う。3次元空間に適応させるのは非常に苦労したものだ」


 その言葉がもう、意味がわからない。


「で、でも、ふたりともずっと一緒に過ごしてきました。わたしの大切なお友達です」


 黙すきみに代わって、左香が抗弁した。彼女はきっと姦神の言葉をネガティブな意味で捉えたのだろう。姦神は軽く手をあげて、取り合わない。


「初ちゃん、ちょっと姦神さんの言葉に突っ込んでくれよ」


 きみは視線を立ちすくむ初に移した。初は俯いたまま、きみを見ようとはしない。


「安瀬倉、天使ってどういう冗談……」


 青い瞳がきみを睨んだ。


「……冗談なんかじゃないわよ」


 鼻白む。それはきみが今まで聞いたこともなかったような、安瀬倉の負の感情が滲み出た声だった。


「今までワタシがどれほど我慢してきたか、アナタのオツムじゃとてもじゃないけど想像できないでしょうね……」


 ぞっとしただろう。彼女の目はそれほどまでに、きみを突き放していた。虫を見るような視線であった。

 安瀬倉が右手で肩を掴んで制服を破る。部屋の視線が安瀬倉に集まった。彼女はこの世のなにもかもを憎んでいるような顔で、ブラウスを引きちぎる。真っ白な肌と水色のブラジャーをさらけ出した安瀬倉の背中からは、幻想世界の住人の証が飛び出た。


 光り輝く四枚の羽根。まるでステンドグラスのような絢爛で硬質な翼は、とてもこの世のものとは思えないほどの美しさを誇っていた。

 安瀬倉が羽根を羽ばたかせると、下着が弾け飛び、室内に風が巻き起こった。机の上の雑誌やプリントが舞い上がる。上半身の裸体をさらけ出しながらも、安瀬倉は口の端を吊り上げて笑う。


「ようやく、この日が来たのよ……ねえ、開放してもらえるんでしょう! 姦神サマ!」

「もちろんだ。生き残ることができたのならね」

「やっと取り戻せるのね……ゾクゾクするわ……!」


 安瀬倉のあんなに綺麗だった瞳が、濁ってゆくようだった。だがそれはあくまでもきみの思い込みであり、彼女は本来の姿に変わろうとしているだけの話なのだ。

 安瀬倉は喜悦。初は無言。きみは怯懦。そして左香は、困惑していた。


「ジゼルちゃん、どうしてそんなに怖い顔しているんですか……」


 左香は自ら蜂の巣をつつく。やめろ、聞いちゃいけない。きみは胸の中でつぶやいた。


「ここに来たときから、ずっとうんざりしていたのよ。人間同士の馴れ合いに、どうしてあたしが付き合わなきゃいけないの。ずっと、ずっと、嫌だったのよ」

「安瀬倉!」


 きみは左香をかばうように立ちあがった。


「それ以上言うなよ。きみにとってどうだったかは知らないが、左香はきみのことをずっと友達だと思っているんだ」

「アナタがパネルをめくったその瞬間から、ワタシには一切関係ないことよ」


 この空間はもう壊れてしまったのだ。

 ふたりの争いを仲介しようなどという意図はないだろうが、姦神が笑いながら告げてくる。


「どうでもいいけれどもね、安瀬倉。きみの今のその姿は、毅右くんにはいささか刺激が強いのではないかな」

「……」


 正直、同級生の乳房にも構っている余裕はきみにはなかったが、安瀬倉の気勢は削がれたようだ。彼女は突然興味を失ったように、羽根を折りたたんで椅子に座り直す。瞬きをしたその間に、安瀬倉は純白のローブへと着替え終わっていた。現実味がなさすぎて、まるで手品のようだときみは思った。

 姦神はホワイトボードを親指で差し、ふふふと笑う。


「ここに書かれている皆を殲滅し、きみの可能性をわたしに見せてほしいものだね」


 鈍い痛みが首の後ろからズキズキと沸き上がってくるようだった。姦神が笑顔でいられるのが、信じられない。

 きみはこめかみを押さえて思考する。とっくにキャパシティはオーバーしていたが、それでもこのままなし崩し的に放り込まれるわけにはいけないのだ。

 確認することがある。


「……“殲滅”するってことは、倒す、ってことですよね……ぼくが、中学生のぼくが?」

「そういうことになるね」

「格闘技をやっているわけでもなく、特別な力があるわけでもないぼくが、ですよ」

「だからやってみようと言うんじゃないか。人間の可能性をわたしに見せておくれ」


 姦神は本当にわかっているのだろうか。いや、きっと彼女はそんな次元で話をしてはいない。この方向ではだめだ。

 きみはホワイトボードに連なる名を指す。


「……この中で、真ん中の強さっていうのは、誰なんですか」

「そうだね、しいて言えば『怪物』かな」


 質問内容が目的や思想といった曖昧なものではない限り、姦神は素直に答えてくれる。今はそれだけが救いだったのだが、それもすぐに絶望へと成り下がる。


「『怪物』は体長5メートル。巨大なビルさえも噛み砕き、爆炎、雷撃、氷結のブレスを吐き散らかす能力がある。52口径の主砲の直撃を受けてもビクともせず、動作は至って機敏だ。それでもこのメンバーでは、中の中といった位置づけだろう」

「勝てると思ってんですか」


 無理難題どころではない。不可能だ。


「だがわたしも、素手で戦えと言っているわけではないよ。初くん、あれを持ってきたまえ」

「はい」


 沈黙を保っていた初がようやく声を発し、隣の部屋に向かった。今さら銃器の類を預けられても、到底生き延びられるとは思わなかっただろうが、初が運んできたのはただの箱だった。


「きみにはいくつかのアイテムをプレゼントしよう」


 初が箱を持ってくる際に、その中からガラガラと多くのものが擦り合わされる音が響いてくる。首を伸ばせば、中には多くのボールが詰め込まれているように見えた。


「わたしはね、そもそもこういうのを作り出すのが得意でね」


 姦神がモノを作っている光景は、部室でも何度か見たことがある。空を飛ぶ折り紙の鶴や、非常に精巧なジオラマなど、実現可能なものから不可能なものまで。


「この世界の物質と区別するために、“魔神基アーティファクト”とわたしは呼ぶことにしている」

「……アーティファクト?」

「そう、モノづくりこそわたしの本職と呼んでもらって差し支えないだろう。この部屋のあらゆるものもわたしの作ったアーティファクトだ」


 自動的にひっくり返るホワイトボード。次元の狭間に存在する部室。回転する壁。そういった道具を差しているのだろう。やはり姦神は超常の存在だったのだ。

 今さら八年来の謎が解けたところで、感動もないが。


「そういうのがあれば、勝ち残れるんですかね……」


 きみは半信半疑だ。これから先、自分を襲うあらゆる惨事を疑う以外に、生きる道はないかのように。


「きみの使い方次第と言えるだろうね。八の魔神基を手に、戦場を生き延びておくれ」


 どんなものがもらえるのかは本番になってから、というわけなのだろう。

 きみはじっとホワイトボードを眺めていた。これから命を奪い合う相手の名を。

 初や安瀬倉と本気で殺し合うことなど、できるわけがない。安瀬倉はやる気だろうが、そんなことはまともな神経のままでは無理だ。

 きみはどうだろう。きみはホワイトボードに空いた不自然な空白に気づいてしまった。それから、参加者の名前が11名しか記入されていないことに。


「……まさか、これって……?」


 これまで、きみに任せられた“活動”のほとんどは、きみひとりで行なう類のものばかりだった。だが、いつまでもそれが続くなどと、誰が保証してくれていただろう。

 初と安瀬倉が参戦させられて、ひとりだけが無事でいられるはずがないのだ。

 きみは愕然と、左香を見つめていた。


「ねえ、姦神さん……もしかして、この部屋の参加者は、ぼくと初ちゃん、安瀬倉、それに、もうひとりいますか……?」

「おや。よく気づいたね。それは軽い驚きだよ」

「どうして」


 それはきみの中では禁忌だったのだ。


「なんで、さーちゃんが、左香が巻き込まれなきゃいけないんですか!」

「きみの戦いには、彼女は必要だと思うがね」


 動じない姦神にはうんざりする。


「そんなわけがないじゃないですか……!」


 渦中の左香本人は事態が飲み込めず、姦神ときみの顔を交互に見やっている。


「左香は……姉は、こんな荒事に耐えられるような強い人間じゃない……!」

「どうかな。それはきみが決めることではないよ」

「ぼくはさーちゃんの弟だ! ずっと一緒にいたんだ、知っているに決まっている!」


 怒気を隠そうともせず、きみは姦神に歯向かった。それはとても珍しいことだった。


「き、きーちゃん……わたしだったら、きーちゃんのお役に立てると思いますけど……」


 左香はきみに向かって、手を伸ばす。


「きーちゃんがいつも辛い思いをしているの、知っています。そんなときに、きーちゃんのそばにいられたらな、っていつも思ってたんです。だから、わたしも」

「だめだよそんなの!」


 きみは左香の思いを振り払う。そして、叫んだ。


「そうだよ、姦神さん! ぼくひとりだったら生き残られるようなところでも、左香がいるからだめになることだってあるかもしれないじゃないですか! 余計な足手まといをつけないでくださいよ!」


 その言葉はもちろん左香を守るためのものであり、何としてでも左香を敵地から遠ざけようとするきみの決死の説得だった。

 そんなことは左香にもわかっている。彼女は自分がなにをすべきか、ようやく察知した。


「……きーちゃんがそう言っても、でも、わたしも一緒に行きたいです」

「なんでだよ!」

「だって、わたしはきーちゃんのおねーちゃんなんですから!」

「だから、だからこそだろう!」


 息が切れる。きみは自分が死ぬだろうと思っていた。破れかぶれにもなる。それは確信めいた予感だった。だからもうなにもかも終わりだ。毅右研究部は廃部だ。

 これから左香はひとりで生きてゆく。わずかな貯金を手に、彼女はこれからの人生を歩む。そんな道程に、“もしかしたら今度は左香が自分の身代わりになるのかもしれない”などといった可能性を残してなどいられない。


「ねえ、姦神さん! ぼくと左香はまったく違う人間なんだ! だから、こんなのってないでしょう!」

「わたしにだって、できることがあるかもしれないです!」

「それが――迷惑なんだって言っているだろうが!」


 怒鳴ってから、きみは気づいた。左香はきみの言葉にショックを受けていた。

 主張がまったくのでまかせならば、長い付き合いの左香は気にも止めないだろう。だが、真実は含まれていた。そもそも同い年の少女と24時間生活を共にしてまったく邪魔だと思わない人間が稀有なのだ。

 左香は伸ばしかけた手を胸元に引いて、視線を左右にさまよわせる。


「きーちゃん……でも、わたし……」


 頭の中が凍りついたように、きみは冷静さを取り戻す。だが、きみがなにか口を開くのを許さずに、左香はバツが悪そうに笑ってみせた。


「……ごめんなさい、だめなおねーちゃんで」

「左香……さーちゃん」

「もっともっといろんなことができたら、きーちゃんを助けられたんですけど……」


 それまでずっと黙っていた初が、小さく告げた。


「左香ちゃんは、ダメなヒトなんかじゃないよ」


 それは本来ならば、きみが言うべき言葉だったろうに。

 だが、きみにはできなかった。そう思ってしまったことは事実であり、これから自分が挑む困難を前に、心の余裕など有りはしなかったのだ。

 安瀬倉がため息をついた。


「人間同士の茶番なんて、どうでもいいわよ……」


 本性を隠そうともせずにつぶやく。

 これが本当の毅右研究部の姿だったのだろうか、ときみはなぜだか悔しくなった。こんなものを心の拠り所にして過ごしてきたのか、自分は。

 もう終わりだ。なにもかもが。与えられて、救われたと思っていた仮初の命も、ここで幕を閉じるのだ。

 だからきみは、姦神を促す。


「始めましょう」


 難易度【10】の、最難関試練。

 姦神はきみの開き直りを覚悟と見た。


「たったひとつ“生き残るため”に、尽力してくれたまえ」


 その一言を最後に、部室はまばゆい光に包まれる。きみの意識もまた、深い闇に包まれて落ちてゆくのであった。

 

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