3.善なる神
授業が終わると、きみは左香とともに教室を出る。クラスメイトに誘われることもなくはないが、きみたちは部活を口実に断ってきた。彼らが『一体何の部活に入っているのか』を言及してきたことは一度もない。もう少し幼い頃はそれを好都合だと思っていたが、今では不気味で仕方ない。まるで疑うこと自体を、何者かに禁じられているかのようだった。
左香は、きみの横に並んで心配そうに、
「きょう、初ちゃんもジゼルちゃんも、お休みでしたね」
「そうだね。きっと姦神さんのお手伝いをしているんじゃないかな。正直、あのふたりが風邪引く姿っていうのは想像できない」
「それはそれですごい認識ですね」
左香は苦笑する。暗い顔はきみが引き継いだ。
「てか、さーちゃんは人の心配よりもぼくの心配をするべきだと思う……」
「え? なにがですか?」
「きょうは朝からずっと嫌な予感が止まらないんだ」
この手のカンには、きみは少し自信があった。あるいは年中不幸があり、年中悪寒がしているだけなのかもしれないが。
左香はきみの手を取って、包み込むように握ってきた。
「大丈夫ですよ、きーちゃん。おねーちゃんがついてます」
「さーちゃんがいたってね……」
きみが左香に期待することは、ほぼ皆無だ。
左香のスペックは極めて低い。運動は苦手。勉強は頑張っても並。子供の頃から身体は弱く、すぐに熱を出す。時々予想だにしないドジを見せる。大切な家族だが、小さく畳んで押入れにしまっていたくなる日も少なくはない。
それでも実際にそうしなかったのは、彼女の性格によるものだろう。こんなときに「よしよし」と、きみの頭を撫でることも厭わない素直さだとか。
「や、やめろってば」
きみは手をはねのける。左香は一歩引いて微笑む。
「大丈夫ですよ。誰も見てません」
「人が来るかもしれないだろ」
「おねーちゃんは別に、見られても構いませんしー」
余裕ありげな左香に、きみは閉口した。胸の奥が熱くなってゆくのを感じた。
結局は、こういうところなのだろう、ときみは思う。そんなものでは生きていけない。しかし生き続けるためには、必要不可欠なものだ。
きみはため息をつく。彼女はニコニコと微笑んでいて、きみの小さな虚勢など見通してしまうようだったが、実際そんなことは幻想だときみは知っている。
「ああもう。さーちゃんは余計な心配しなくていいんだよ。あそこは『毅右研究部』なの。だから“活動”はぼくの仕事なの」
「でもさっき、きーちゃんが『ぼくの心配をして』って言いましたよ」
「あれはただの冗談だから。それくらいわかってよ」
「いじっぱりです」
聞こえないフリをして、きみは左香を先に行かせる。女子トイレに誰もいないことを確認してから手招きしてくる左香に従って、トイレの個室へと入った。
それはいつもと同じ習慣であり、きみにとっての日常でしかない光景だ。
しかしこのときのきみが放課後に待ち受けている運命を知っていたら、どうしていただろうか。きみたちは間もなくそれを思い知ることになる。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
お誕生日おめでとう、と。
部室に入った途端、クラッカーと祝福の声がきみたちを迎えた。
姦神が両手を広げて歓迎の意を示している。彼女の両端に立っているのは、クラッカーを持った上無初と安瀬倉ジゼル(あんせら じぜる)だ。
初は小走りできみたちのものにやってきて、その場でくるりと回ってみせた。栗色のセミロングヘアーが羽ばたくように揺れる。快活な印象を人に与えるポニーのような少女だった。
「お誕生日おめでとう、ふたりとも!」
改めて笑顔を見せる彼女に、左香もはしゃぎながら抱きつく。
「ありがとうございます、初ちゃーん!」
「きゃー、左香ちゃんー、きゃー」
手と手を絡ませてその場で自転する少女たち。その嬌声に、きみはなんとも言えない心地を味わう。安瀬倉が近づいてきて、ぽつりと漏らす。
「……女子中学生のああいうの、すっごく頭悪そうだからやめてほしいわよね」
「言い過ぎ言い過ぎ」
「なんでふたり揃うとああなっちゃうのかしら。近づこうとしたら反発し合えばいいのに。磁石みたいに。あの星の向こう側まで」
「まあいいじゃないか……しばらく我慢してればそのうち終わるんだし……」
クラッカーをポイとゴミ箱に放り投げて、安瀬倉は長い金髪を邪魔そうに払った。
「それはいいとして。ほらキユウ、ワタシたちが貴重な時間を削ってまで準備してやったんだから、せいぜい喜びなさいよ」
びしりと指さされて、とりあえずきみは「わぁい」と無表情でつぶやいてみた。
部屋の中はあちこちが紙テープで飾りつけされており、幼稚園の遊戯会のようなチープな手作り感を醸し出していた。ホワイトボードには『おめでとう、毅右&左香』と書かれていて、その横にはふたりの似顔絵のようなものもあった。派手ではないが、心温かさを感じられる作りだ。
と、見回してから言い直す。
「うん、ありがとう、安瀬倉」
きみの感謝の言葉を、安瀬倉は腕を組んだまま完全無視した。ありえない。
安瀬倉ジゼルは、日本人とフランス人のハーフということになっている。詳しくは知らないが、そういう設定なのだと姦神から聞いたことがある。長い金髪と透き通る海のような青い瞳、人形のような真っ白な肌と狩猟犬のような激しい気性を併せ持つ。
その棘のある性格からか、容姿の割にはクラスの輪から遠ざけれているものの、きみは安瀬倉のことが嫌いではなかった。彼女は人付き合いを好まず、話す相手を選ぶ。その中に自分が入っているということを、きみは少しだけ光栄に思っている。
左香、初、安瀬倉、それにきみを含めた四人が、毅右研究部のメンバーであった。
「ねえねえ。あとでトランプやろうよ、左香ちゃん、毅右くん! うふっ、今夜は寝かせないぞっ!」
「きゃー初ちゃんってばー、もー! でも、初ちゃんならわたしも……って、えへへっ!」
「さ、左香ちゃん……! 幸せに、するからっねっ!」
頬を染めて、まるで抱き合うように指を絡ませ合う初と左香を横目に、安瀬倉。
「ああうざい。やばい。憎い」
かなり本気のやつだ。あまり意味はないだろうが一応、まあまあ、と声をかける。矛先がこちらに向かない程度に。
効果はあったのかなかったのか。とりあえずひとしきりスキンシップを交わして満足したのか――人の目がなければ、このふたりはいつまでもやっているのだが――初はきみに指を突きつけてくる。唐突に。
「あはっ、それにきょうはね! 私がふたりのためにケーキだって作ったんだからね!」
初の言葉に、きみたち双子は目を輝かせた。
「け、ケーキだって!?」
「何年ぶりでしょう! 嬉しいです! きゃっほーい!」
左香が今度はきみとハイタッチを交わす。安瀬倉が目をつむりこめかみを抑えながら「やばい。うざやば憎い」とつぶやいた。巻き込まれてしまった上に、怒りも増している気がする。
初は安瀬倉とは反比例。ますます楽しそうだ。
「準備室に置いてあるから、今食べるなら、取ってくるけどー?」
「その前にみんな、席についてもらえるかな」
姦神の言葉は穏やかだったが、風鈴のように響いた。
四つの返事が重なり、四人はテキパキと姦神の前の席に座る。ただ左香はまだにやにやしていたし、初はときおりクスクス笑い、安瀬倉は仏頂面だった。
一方、きみは姦神の顔色を伺っていた。なにやら上機嫌に見える。きみの誕生日だからといって、浮かれているはずがないだろうが。
「先に“活動”をしようじゃないか。ケーキはそのあとでも構わないだろう」
なぜ姦神は御機嫌なのか。それはもしかしたら、きみが嫌な予感を抱いているのと同じ――ある意味では正反対の――ことなのか。
ぞくっとしてしまった。今はこんなに楽しい会のはずなのに。
みんなの視線を重力のように集めながら、笑う姦神。
「なんだかきょうは良い札が出る気がするよ」
姦神の言葉を聞いて、きみは「だといいんですが」と冷えた声で答えた。
昨日のように、再び壁という壁から無数のパネルが出現する。部活動のメンバーはもう慣れているため、特に驚きはしない。左香などは無意味に手を叩いたりもするが。
きみはパネルのひとつを無作為に選ぶ。
きみが掴んだパネルは――どう表現したところで――破滅だった。象徴化された終焉は、日常を粉々に砕くほどの破壊力を持って、きみの前にその姿を現す。
『難易度――10(MAX) “毅右くんは一体どこまで生き残ることができるのか”』
場の空気が凍りつく。きみは自分の目を疑った。
「……え?」
耳で聞いてから、自分が妙な声をあげたのだと気づいた。
目の前が白んでゆく。
過去、きみが挑戦した難易度の最高記録は【7】だった。それは『毅右くんは砂浜から落ちた一粒の砂金を探すことができるのか』という内容であった。姦神によって海に連れていかれたきみは、気が遠くなるほどに長い時間ひとりきりで過ごした。飲み物もなく、食べ物もなく、熱の照りつける真夏の海辺で奴隷のように挑戦を強いられたときのきみは、わずか十一才、小学五年生だった。結局砂金は見つからず、餓死しかけたきみは生死の境をさまよった。あの一件以来きみは、姦神を化物としか見ることができなくなったのだ。
だからきみは、ついに来たのか、と思った。動悸が収まらなかった。
「へえ、難易度【10】か。1500回程度で引き当てるとはね。やはりきみは別格だ」
姦神の表情に変化はなかった。やはり、彼女はこのことを予期していたのではないだろうか。人の自由意志をも見通す『ラプラスの魔』だ。
「……」
あまりの恐怖から、きみの思考は乱れた。【7】で死にかけたのだ。【10】は一体どんなことをさせられてしまうのか。
姦神は人差し指を立てる。そこにバスケットボール大の球体が出現した。腕を軽く動かすと、ボールはそのまま宙に浮かんだ。部屋を照らすミラーボールのようだ。
「さて、これから始めることについて、いくつか説明しなければならないね」
「はい……」
そこできみはようやく他の部員の反応を見れた。余裕ができたわけではない。これから行なうことへのプレッシャーから、少しでも目を背けたかったのだ。
初は姦神をじっと見つめながら、なにかを言いたそうな表情をしていた。彼女なりに思うところがあるのだろうが、それでも初はきみを助けてはくれない。なぜなら彼女もまた、姦神の下僕であるからだ。
安瀬倉は平然を装いながらも、動揺しているのが傍目からもわかった。震える足を抑えつけている。【活動】に挑むのは基本的には新垣毅右ただひとりであるはずなのに、ときみはわずかに疑問を覚えた。
そして、左香はきみをただ心配そうに見守っていた。
「きーちゃん……顔色が……」
手を掲げて、きみはその厚意を遮る。
「……大丈夫。さーちゃん。これは、自分で選んだことだから」
強がりだ。しかし、難易度【7】を終えた時点で、姦神の元から去ることもできたのだ。それでも残ることを選んだのはきみ自身だ。
姦神が指を鳴らすと、いつものようにホワイトボードが回る。誕生日を祝う宝石のような文字が隠れ、代わりに現れるのは禍々しき異称の数々。
「まずはきみに、こたびの参加者を披露しよう」
14才の誕生日。きみにプレゼントを贈るように、姦神は腕を広げた。
『最後に生き残っているものは誰だ選手権』
――参加者――
獣♂ 天使♀ 魔王♂ 超越者♀
アンドロイド♀ 獣人♀ 魔法使い♂ エスパー♂
星♀ 怪物♂ 人間
「総勢、12名だ」
静まり返った部屋の中、姦神の宣言が響く。
きみはうまく働かない頭で必死に疑問を整理する。公式を知らずに方程式に挑むようなものだ。手を掲げる。
「ちょっと……あの、待ってもらってもいいですか」
「どうしたんだい」
聞きたいことは泉のように湧き出てきた。しかし、それら全てに姦神は構ってはくれないだろう。端的に核心を突かなければならない。そのためにきみは問いを研ぐ。
「参加者、って……なんですか? それに、この名前? みたいなものは」
「それはだね、きみの“対戦相手”だよ」
「なんですか、それ……なんなんですか……」
姦神の笑顔が歪んで見える。それは自分の視界がおかしくなっているからだと、きみは気づいたろうか。
「生き残ったものが勝ち、というのだから、もうわかっているはずだろう?」
きみは理解していた。だが、認めたくなかったのだ。
自分が誰かを○し、さらに○されるかもしれない、などということを。
きみの懊悩を置き去りにし、姦神は手のひらできみの向こう側を示す。
「改めて紹介しよう。彼女らは今回きみの相手をしてくれるメンバーのふたりだ」
椅子を引いて立ち上がったふたりを、きみは愕然と見ていた。
初。そして、安瀬倉。
きみは日常と呼んでいたはずの幻が儚くも崩れ去ってゆく音を聞いた。