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My Ending

 二話同時更新(後編)

 目が覚めた時には、ぼくは準備室の床に寝転んでいた。体の節々が痛く、体は冷え切っていた。起き上がろうとして手をついたところで、猛烈な違和感に襲われた。唐突に気づく。


「……あれ、これは……ぼく、か?」


 自らの両手を見下ろす。鏡はなかったが、すぐにわかった。この体は人間だ。不自由で不合理なぼくの――14才の、新垣毅右の体だ。


「なんとかね。難しいオペだったけれども、わたしはやり遂げてみせたよ。今は清々しい気分でいっぱいさ」


 声に反応し、勢い良く振り返る。窓のそばには、満足気な表情を浮かべたスーツ姿の女性――姦神洵子が立っていた。


「どうして、ここに!」


 思わず声を張り上げて、ぼくはむせた。口の中がカラカラに乾いている。薄暗い室内で辺りを見回すが、左香の姿はどこにもなかった。

 八年ぶりの洵子との再会に、ぼくは危機感を覚えた。いや、本当ならわかっていた。姉をそそのかしたのは他ならぬ彼女だ。彼女以外に【左香】の能力を知るものはいないのだから。

 洵子はぼくの動揺がおかしいのか、口調を弾ませた。


「『きみが深遠を覗くとき、深淵もきみを見ている』だったかな。つまりはね、きみが“観測者”だからといっても、きみ自身が観測されていないということにはならないのだよ」


 洵子はどこまで知っているのだろうか。ぼくは黙考したが、人間となったぼくではその答えはわからなかった。


「ぼくの体を戻したのも、あなたの仕業……なんですよね」

「そうさ。きみはアイデンティティを取り戻したことによって、不安定な状態にあった。あのままでは自我崩壊を起こす可能性があったからね。悪いけれど、勝手にやらせてもらったよ」

「さーちゃんをぼくにけしかけたくせに、よく言いますよ」


 ぼくの辛辣な言葉にも、洵子は肩を竦めるだけだった。


「あれも必要なことだよ。このままでは手遅れになりかねなかったのさ。わたしとしては、八年間どころではなく、きみの“生”を永遠に見ていたかったのが本音だが、きみの存在が消散してしまっては元も子もないからね。相当警戒されてしまっているようだけれど。まあ、無理もないかな。別世界のわたしは、それだけのことをきみにしていたようだからね」

「それは……」

「といっても、同一人物とも言えるのかな。この辺りは正直、わたしにもよくわからないのだよ。きみも体感した通り、【姦神】は複数の世界にまたがって存在することができるからさ。あれはわたしが考えてやったことだったのかな。まあそれはいいだろう」


 そんなことはどうでもいいとばかりに、洵子は戸惑うぼくを労う。


「まずはこの八年間、ご苦労様だったね。きょうはきみに“お礼”を言いにやってきたんだ」

「……お礼?」

「そうさ。思うに、生きるというのは困難な局面を迎えながらも、最悪の結末を回避するためにもあがくさまを言うのではないだろうか。きみは精一杯生きて、ここまで生き延びた。それはとても素晴らしいことだ。そのおかげで、わたしにも希望が生まれたのだから」


 洵子の言葉は相変わらず婉曲的だ。といっても、ぼくもほんの少し前までは姦神だった身だ。心当たりがあった。


「それはもしかして、ぼくのせいで……?」

「まさか。きみのおかげさ」


 姦神は大げさに両手を開いてみせた。どうやらぼくの予想は遠からずだったようだ。


「きみは【人姦神】の新たな進化を示したんだよ。それは全姦神の願いそのものだ。きみという姦神の亜種の出現を認識することによって、わたしたちにも精神を持つ可能性が生まれたのだ。まるで胸が躍るようだ。きっとこれが“楽しみ”という感覚に違いない」

「……ぼくが、可能性を……」

「ああ、そうさ。この八年間、確かに人の心を持つ姦神は存在していたのだ。わかるかい? きみの存在は、赤い部屋に閉じこもるしかないわたしたちの壁を破ったのだよ」


 ということは、救えた、ということなのだろうか。ぼくは、姦神洵子さんのことも?

 なんといって良いのかわからず、ぼくは埃を払って立ち上がる。


「……それならいいですが。またぼくたちに襲いかかってきたりしないでくださいね」

「そんなことをするはずがないよ。“心”は尊いものだ。だってきみたち人間には、こんな宝石のような心が備わっているのだろう? 無碍にできるはずがないよ」


 どの口が言うのか。ぼくは呆れる。だが、すぐに笑ってしまった。


「姦神さんがそんな、子供のようにはしゃいでいるだなんて、なんだかくすぐったいです」

「くすぐったい、か。それはまだわたしには芽生えていない感情だね」


 真面目に首をひねる彼女の姿は、なぜかとても子供じみて見えた。生まれかけた自我に、大人の姿が似合っていないのだ。


「さて、念願の哲学的ゾンビからの脱却を果たした今、わたしにはもっとふさわしい姿があるだろう。どうやらきみもそのように思っているようだしね」

「え?」


 そう言うと、まるで脱皮するように洵子は自らの服を剥ぎ取った。思わず目を閉じる。しかし、そこにいたのは水鏡中学の制服を着た一回り小さな姦神洵子だった。それも、今のぼくと同じ、14才の少女だ。向かい合うと、ぼくより少しだけ背が低い。


「えっと……」

「まだ未熟なのだ。この恰好は確かに生活するに当たって合理的ではないのかもしれない。だけれどね、合理的ではないことが必ずしも不合理とは呼べないのだよ、きみ」


 一オクターブも高い声で偉そうに告げる洵子は、どことなく安瀬倉に似ている気がした。


「そういうものですか?」

「そういうものさ」


 彼女の不器用な笑顔はもはや、初めて恋の味を知った少女のようだった。


「世界はこんなにも色に満ちているのだね」


 マリーは色を知った。同様に洵子は心を知ったのだ。



 

 どうやら彼女の用は終わったらしいと知り、ぼくは改めて長いため息をついた。


「どうかしたのかい?」


 もはやショートカットの美少女にしか見えない洵子が、ぼくの顔を覗きこんでくる。好奇心に彩られた黄金の瞳は、控えめに言っても非常に魅力的だった。ぼくは苦笑を浮かべる。


「いや、どうってわけじゃないんですけど……」

「ふむ」


 よくわからないといった風の洵子の前で、ぼくは回顧する。


「長い戦いだったな、って思いまして」


 今頃きみは、左香を荷台に載せて必死に自転車を漕いでいるだろうか。もう人間のぼくには見えないが。明日の誕生日に備えて、嫌な予感を覚えているに違いない。

 あれは確かにぼくだった。でも、もう今はきみでしかない。そのことが寂しく、だがそれ以上に誇らしかった。ぼくは泣いて、笑って、それだけではとても耐えられないような戦いを乗り越えてここまで来たのだ。ぼくはどうにかたどり着いた。だから、ぼくはきみの旅路を祈る。


 この世界のきみたちは、いつまでも幸せに過ごしてください、と。


 さて、窓の外はもう真っ暗だ。急激に空腹を覚えて、ぼくはお腹を抑えた。左香と会ったのはつい先ほどのことに思えるが、どれくらいの間倒れていたのだろう。


「姦神さん、ぼくはさーちゃんと再会してから、どれくらい時間が経ったんですか」


 なにも見ずに、金髪の少女は空で答えてくる。


「そうだね。約26時間かな」

「ぶっ」


 吹き出した。さすがに丸一日以上とは思わなかった。どうりでお腹も減っているわけだ。部室から差し込む光によると、もしかしたらまだ誰かが部屋に残っているのかもしれない。もしかしたら、誕生会がまだ続いているのだろうか。時折話し声が聞こえてきたりもする。

 だけど、ぼくは準備室に閉じこもったまま、後頭部に手を当てる。


「えーと……そういえば姦神さん。これってどうなるんですかね」

「どう、とは?」

「だって、この世界にはもう新垣姉弟がいるわけじゃないですか。ぼくはどこにいけばいいんでしょうか」


 さすがに『毅右研究部』に閉じこもって洵子の玩具にされ続けるのは、あまりにも主体性がないと言わざるをえないだろう。


「わたしがそのことを考慮していないとでも思っているのかね」


 逆に聞き返されて、ぼくは口をつぐんだ。洵子が同年代の女の子の姿をしていると、普通にツッコミを入れてしまいそうになるから困る。

 洵子はぼくの前を通り過ぎ、準備室のドアのそばに立つ。


「わたしが“活動”を行なっていなかった世界は、新たなひとつの観測地として残しておくことにしよう。だからきみには、きみの家へと戻ってもらうよ」

「それじゃあ……」


 ある程度覚悟していたことだったが、ぼくは奥歯を噛み締めた。

 左香も、初も、安瀬倉もいないあの世界にぼくは帰るのだろう。それが本来の運命だ。ぼくは“きみたち”を救ったという思い出を胸に、これからひとりで生きていかなければならない。


「……そっか。そうですよね……」


 だが、それが本来のあるべき姿なのだ。

 それでも、姦神洵子だけはきっとこれからもそばにいてくれる。ぼくは満足するべきなのだ。

 自らの心を律し切れずにいるぼくの前で、洵子は優しく微笑んでいる。


「きみは『難易度10』の勝者だ。胸を張って出てゆくといいよ」


 まるでぼくをエスコートするように、洵子はゆっくりとドアを開いた。


 

 万雷の拍手が、ドアから出たぼくを迎えた。


 

 部室の中には、十数名の男女がいた。一斉にぼくたちのほうを向いて、手を叩いている。そのうちの何人かは見覚えがある。ぼくは呆気に取られて立ち尽くす。


「すっかりやられちゃったなあ。まさかあそこから逆転するなんて」


 先頭に立って拍手していたのは初だ。彼女は愛嬌のある苦笑を浮かべている。


「あんなのズルい。初の力を使って本気で来られたら勝てるわけない。うざズルい」


 安瀬倉が腕を組んで、ふくれっ面をしていた。ただひとりだけ拍手に参加していなかったのも、彼女らしいというかなんというか。

 ぼくと左香の誕生日を祝う飾り付けはそのままに、机の上には大小様々な札、色とりどりのダイスが散乱していた。その中央に巨大なジオラマがあり、そこにはぼくたちを形取ったと思しきコマが並べられていた。

 振り返る。洵子は自慢げにうなずいていた。


 ここは本当にぼくのいた世界なのだろうか。


 これも洵子の計らいなのか、あるいは何らかのアーティファクトの効果なのかは知らないが――ぼくたちは“殺し合っていない”ことになっているのか?

 青い髪の少女は、首をひねりながら何度も十面ダイスを転がしていた。


「あーあ、“極王”を呼び出せたときには、燐の時代がやってきたと思ったんだけどなー」  


 燐は口を尖らせて、椅子にもたれかかる。


「残念だけど、僕たちを上回る頭脳……見事だったと言わざるをえないね」

「真っ先に脱落したくせに、偉そうにするんじゃないよもう」


 すかした少年の後頭部を、ロサエッテが張り倒した。


「ったく……今度は負けねぇぞ。安瀬倉ジゼル、次こそ決着つけてやっかんな!」

「……」


 黒い肌をした燕尾服の少年の横で、ゴシックロリータの衣装に身を包む少女がコクコクとうなずいていた。

 椅子の上に体育座りをして縮こまる男の子は、札をじっと睨んでいるようだ。タンクトップを着た大柄な少年は悔しそうな表情を浮かべながら、うーうーと獣じみた唸り声をあげていた。


「……絶対、俺の勝ちだったのに」


 犬耳の少年は、窓の外の暗闇を見つめながら、そんなことを無表情でぼそっとつぶやいた。

 洵子がぼくの横に立ち、労うように肩に手を置いてきた。


「白熱した遊戯だったね。見ているわたしも何度もハラハラしていたさ」

「姦神さん、これは……」

「さ、みんな。きょうの“活動”はこれでお開きだよ。次回こそは毅右くんを打ち倒し、見事優勝できるように頑張っておくれ」


 洵子が手を叩く。するとみんなは思い思いの返事をして立ち上がり、ドアへと向かってゆく。そこに凄惨さや禍根は微塵も残っていない。ただ、祭りの後のような寂寥感が漂っていた。誰もが後ろ髪を引かれているように見えるのは、ぼくの気のせいだろうか。

 通り過ぎながら、燐がきみにウィンクを送ってくる。


「えへへ、毅右くん。改めて、優勝おめでとーね」

「う、うん」


 やはり燐の明るさは嫌いじゃない。ぼくはぎこちなくうなずく。と、背中を張られた。


「いたっ」

「まったく。大した男だよ、あんたはさ!」


 ロサエッテは怒ったような顔をして、笑っていた。ぼくは魔界の夜、彼女に迫られたことを思い出し、赤くなってしまった。

 初や安瀬倉、それに他の参加者たちもぼくに手を振って、きっと自分たちの世界に帰ってゆくのだろう。部室はあっという間にぼくと洵子だけになり、急に閑散としてしまった。


 ――いや、まだひとり残っていた。皆がいなくなるまで気づかなかった。窓側の後ろから二番目の席。長い黒髪の少女が机に突っ伏している。ぼくはゆっくりと近づいてゆく。

 その細い背中に手を当てて、優しく揺り起こす。その名を囁く。


「さーちゃん」


 彼女は小さく震えた。それから顔をあげる。寝ぼけているのか、その視点は定まっていない。


「ふぇ。きーちゃん?」

「終わったよ。さーちゃん。帰ろう」

「……ふぁぁ……」


 左香は大きく伸びをする。その頬には制服の袖のボタンのあとがくっきりとついていた。ずいぶん待たせてしまったのかもしれない。涙目を拭いながら、左香はぼくを見つめる。


「終わったんですかぁ……?」

「うん」


 ぼくはもう一度、力強くうなずいた。


「全部、終わった」


 左香の頭を撫でる。すると彼女は嬉しそうに目を細めた。紛れもない、ぼくの姉だ。大事な大事な、たったひとりの家族だ。立ち上がった彼女の手を取る。一緒に帰ろう、さーちゃん。

 出口に向かおうとしていた途中、洵子に呼び止められた。


「忘れ物だよ」


 わぁ、と左香が感嘆の声を漏らす。

 洵子はカラフルなリボンで彩られたケーキボックスを掲げて、ぼくたちに手渡してくれる。それから綺麗というよりは可愛らしい笑みを浮かべて、小さく拍手してくれた。


「誕生日おめでとう。毅右くん。左香くん」


 ぼくと左香は顔を見合わせる。それから同時に相好を崩した。ぼくはケーキを大切そうに抱えたまま頭を下げる。


「ありがとうございます、姦神さん」 


 洵子のはにかむような拙い笑顔を見て、思う。

 ぼくは姦神洵子のことを好きになれたのかもしれない。そんなことを。


 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 

 真っ暗な部室で、ひとりの姦神が鼻歌を歌いながらホワイトボードにペンを走らせていた。しばらく経ち、彼女はようやく自らの文章の出来栄えに満足すると、軽い足取りで部屋を出る。

 誰もいない部室で、ひとりでにホワイトボードが回った。

 

『おしまい!』

 

 ボードには、13名の参加者が全員集合して手を繋いでいる賑やかな絵が描かれていた。 


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