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My Endymion

 二話同時更新(前編)

 

 姦神の能力はアーティファクトを作ることに特化していた。“超越者”である初のように万能な能力を持っているわけではないが、アーティファクトはそれを可能とした。


 ぼくは変身の種のデメリットを解除し、恒常的に姦神の姿で居続けるための道具を作った。初に変身したときの“イメージが力になる”経験が活きたのか、それは簡単だった――それでも、その時点で時計の残り時間は5万秒を切っていたが。


 それからぼくは目的の“時を遡るための魔人基”の制作に着手した。姦神洵子が同様のアーティファクトを持っていたのなら都合が良かったのだが、その望みは薄いと思っていた。姦神は時間軸を移動する必要がないからだ。同時に複数の平行世界を観測しながらも、その全てを網羅していたのだろう。案の定、洵子は時を操る仕掛けにはあまり興味がないようだった。ぼくはゼロからアーティファクトを作らなければならなかった。難航した。


 様々な可能性と時間遡行における問題点を認識してしまうと、結局ぼくが時間内に完成させられたのは、制限のついた道具だった。使用回数は一度きり。遡れるのは記憶の範囲に限る。つまりは、両親が死んで姦神と初めて出会った時間まで。


 この辺りがぼくの限界なのだろう。自分にしては上出来だ。


 永遠に続く姦神の体と、時を遡ることのできる小さな羅針盤。このふたつがあれば恐らくもう、ぼくは失敗しない。

 デジタルの数字が少しずつ減ってゆく。残り二桁になったところで、ぼくは椅子を立たせて深々と腰を下ろした。こうしていると、否応もなく洵子のことを思い出した。


 洵子が存在する限り“活動”が行われなければならないのなら、ぼくは彼女が現れる前に戻り、きみたちを庇護すればいい。

 洵子の代わりに愛を与え、孤独を埋め、共に笑い合おうと思う。パネルの代わりに、一揃えのトランプを渡してあげよう。


 そうだ、幸せになるのはぼくじゃない。

 きみでいい。


 停止した時間が動き出すその瞬間まで、ぼくは椅子に座っていた。目をつむる。熱いコーヒーが飲みたいなと思ったのは、洵子の真似事だろうか。


 カウントダウンが、0秒を示す。


 色と音と匂いが、世界に戻ってくる。きみがつぶやいた言葉が今更になって聞こえてきた。


「さようなら、初ちゃん」


 初はぼくを見て驚いたようだ。今のぼくの姿は姦神洵子に酷似していて、きっと彼女にも見分けはつかないだろう。そういう風に装ったのだから。


「姦神さま――」


 疾呼する初に、ぼくは片手を挙げて応じる。だが、それだけだ。

 一方で、廊下を走ってくる少女にもぼくは気づいていた。左香だ。いよいよ痺れを切らしてこの部室に向かってきているのだ。顔を合わせたらきっと、決意したはずの自分のなにかが崩壊してしまいそうな気がして、ぼくはアーティファクトを使用した。


 長い、長い、時の旅だ。


 頭のてっぺんと足元が、それぞれ何者かに強い力で引かれているように思える。身体はちぎれてしまいそうになり、ぼくは歯を食いしばった。

 羅針盤がめちゃくちゃに針を動かす。ぼくは3次元の空間から解き放たれ、時間軸を転移する。アーティファクトの効果を保証してくれるものはどこにもいない。視界は真っ暗で、何の音も聞こえない虚無の世界で、ぼくはきみのことを思っていた。


 信じよう。ぼくはきっとたどり着けるのだと。

 あの、雨の朝に――

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 そこには、きみがいた。火葬場の玄関で、まるで迎えを待つように空を見上げるきみだ。

 傘を持つぼくは、きみのそばに寄り添う。幼いきみは透明な瞳にぼくを映していた。


 これから様々な困難がきみを待つだろう。それでも、ぼくはきみのそばにいよう。生きていくことを諦めないでおくれ、きみよ。あの姦神のように、死を享受してはならない。

 きみはぼくに手を伸ばした。

 ぼくもまた、きみの小さな手を握る。


「たいせつな“きみ”よ」


 きみときみの世界は、ぼくが必ず守り続けると誓おう。


「これから、よろしくだ」


 だが、それだけでは済まされなかった。

 ぼくは知らなかったのだ。【姦神】でいることが、どんな意味を持つかということを。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 ぼくは崩れかけた家の前にいた。

 どこかで見た覚えのある小さな平屋だ。

 ぼくの隣には、直立不動して動かないひとりの少女がいた。その顔には表情がなく、まるでマネキンのようである。


「……ここが、燐の家ですか?」


 彼女に見つめられて、ぼくはたじろいだ。そうだ、ここは破壊された文明の世界だ。燐を拾った直後にやってきた場所だ。

 燐の容姿は会ったときと変わらなかったものの、感情表現に乏しく、言葉遣いもたどたどしかった。まるで子供だ。ぼくはこれから、燐を幸せにしなければならない。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 ぼくは森の中にもいた。

 身の丈に合っていない大きな剣を持った小さな子供が、ぼくに牙を剥いている。


「あたしは、もう誰にも負けないって、決めたんだ――」


 獣の耳を生やした少女ロサエッテはぼくに向かって切りかかってくる。

 ぼくはその刃を片手で受け止めた。そう、ぼくはこれから彼女を拾い、世界を担う剣士として育て上げることになるのだ。まるでぼくは、それを経験してきたことのように知っていた。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 

 


 ぼくは宇宙にもいた。星の中心で膝を抱えて眠る少女のそばで、ぼくは本を読んでいる。

 彼女が薄く目を開く。ぱくぱくと口を開き、ぼくに向かってなにかをつぶやいた。

 ぼくは彼女の頭を撫でる。するとその子は、安心したような笑みを漏らすのだ。

 ここは惑星――冥王星の中心部。氷のコアに覆われた静寂の世界だった。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 ぼくはどこにでもいた。起きながら夢を見るように、全ての光景を同時に見ていた。

 燐に部屋を案内し、ロサエッテの首根っこを掴み、冥王星を撫で、小さな虎に餌の捕り方を教え、魔王をあしらい、安瀬倉の髪を梳いていた。ぼくの意識はひとつでは足りなかった。ぼくはぼくという存在が【姦神】の形に最適化されてゆくのを感じる。分割された意識のぼくという存在が、水に溶けるようにどこまでも希釈されてゆく。


 これが【姦神】になるということか。


 全てがぼくであり、ぼくはその中の誰でもなくなるということだった。

 プログラム化したぼくは無限に広がり、法則の中に取り込まれる。ぼくはぼくではなく、【姦神毅右】に変換されてゆく。それに抗うのはとても困難だった。


 もういいじゃないか、とぼくは言う。


 心は凪のように穏やかだった。

 ぼくの周りにはきみと左香がいる。初や安瀬倉もいる。燐やロサエッテ、それ以外の参加者たちも生きていて、きっと幸せそうにしてくれている。


 ならこれ以上、ぼくがぼくでいる必要なんてないだろう。


 ぼくは洵子が定めた運命を退けた。ぼくは勝ったのだ。ぼくはいずれ自身を失い、全ての意識を失ってただのひとつの機能と成り果てるかもしれない。生きる意味を失い、やがて自己破滅にたどり着くかもしれない。それがなんだというのだ。だってぼくは、きみたちを救うことができたのだから。それ以上に大切なことなんて、きっとない。


 アーティファクトである左香は、この世界のきみと手を取り合いながら生きてゆくだろう。

 あの日から始まったぼくの戦いは、ぼくの勝利だ。それだけが事実として残れば、それでいいんだ――

 


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 

 明日はきみたちの14才の誕生日だ。祝おうじゃないか、と言い出したのはぼくだった。


「姦神さま、ただいま帰りました」「……戻りました、姦神サマ」


 初と安瀬倉が紙袋を両手に抱えて戻ってくる。ぼくは本を閉じると、「ご苦労さま」とふたりを労った。お釣りと領収書を受け取ると、彼女たちは命じてもいないのに準備を始めた。


「今からじゃないと多分、ナイショのサプライズは間に合いませんよね。ね、ジゼルちゃん、ちょっと残ってやっていこうよ。いいよね、いいでしょ?」

「どうせ暇だからいいけど」


 紙袋を逆さにし、中の物を机の上にぶちまけながら安瀬倉がつぶやく。


「あいつらのためにっていうのが、憎たらしい。それ相応のリアクションを要求したいわ」

「泣いて喜んでくれたり?」

「嬉しさのあまり窓から飛び降りてくれるのがベストね。見たこともない化学反応を起こしてその場から忽然と姿を消してくれるのが二番目に良い」

「無茶。もうすっごい無茶」


 初は笑いながら折り紙にハサミを入れる。

「ふむ」と、ぼくは顎に手を当てて思案する。


「消滅か。面白いね。見てみたい」

「ナシです、ナシナシ」


 栗色のポニーテールを揺らしながら、初がパタパタと手を振る。

 そのとき突然――といっても、もちろんぼくは知っていたのだが――扉が開いた。息を切らした左香が部屋に飛び込んでくる。初の身が固まるのが見えた。


「さ、左香ちゃん! ど、どうしたのもう帰ったんじゃなかったの?」

「あ、えっと。姦神さんに用事がありまして」

「そ、そっかそっか。それなら人間にはちょっと負担が大きいかもしれないけど、この部屋で見たものは部屋を出た瞬間になにもかも忘れてしまう呪いをあなたに捧げるね」

「やめなさい」


 安瀬倉が動揺する初の後頭部を小突く。ちなみに彼女は初が左香の気を引いている隙に、証拠を机の下に完全に隠蔽している。鮮やかな手並みであった。

 左香はそんな初と安瀬倉の間を通り抜けて、ぼくの元にやってくる。彼女は先代の姦神――この世界ではまだ見ていないが、恐らくは洵子だろう――がきみのために用意していたアーティファクトである。きみの“生きるための原動力”はきっともう必要ないだろうが、それでもぼくはきみに左香を与えることにした。仲睦まじいきみたちの姿を見ていたかったのだ。


 人間と同じように成長し、14才の姿となった左香はぼくをじっと見つめる。戻ってきたのも大方、本を借りるのを忘れていた、というところだろうが。


「……きーちゃん?」


 左香が恐る恐る問いかけてきて、ぼくの予想は外れた。ほら、やはり心を持つものの自由意志は、ぼくにも予測ができない。


「彼ならもう帰っただろう。きみが迎えに来たじゃないか」

「そうじゃなくて……」


 左香は初と安瀬倉を見やる。彼女たちはそれぞれ不思議そうな顔をしていた。左香は再びきみに視線を向き直して、今度ははっきりとした口調で。


「どうしてそうなっちゃったのかわからないんですけど、でも、きーちゃんなんですよね」

「ひょっとして、ぼくのことを言っているのかい?」

「はい」


 左香は大真面目にうなずいてみせた。初と安瀬倉は反応に困っているようだ。このままだと誕生日の仕掛けを見破られてしまうかもしれないと思ったぼくは、彼女を準備室に招いた。


「こちらにおいで、左香」


 薄暗い部屋は、出来損ないのアーティファクトで溢れている。作っている途中で、様々な理由があって放棄したものだ。狭い空間で左香と向かい合う。一体どうしたというのだろうか。


「きみがどうしてその考えに至ったかわからないよ。けれど、ぼくは見ての通りの姿だ。疑問を挟む余地はないように思えるのだけれど」

「わたしも、どうしてきーちゃんがそんな恰好をしているのかわからないんです。でも、思い出させてくれた人がいるんです……わたしが、本当に大切にしなきゃいけないことを……」

「ふむ」


 その言葉には、わずかに引っかかるところがあった。事実なら、ぼくにも観測できなかった人物がいる。とかく、彼女は自分の直感を信じ切っているようだった。もしかしたらなにかの拍子に機能がエラーを起こしてしまったのかもしれない。そうとしか考えられない。


「きーちゃん……きっと、色んなことがあったんですよね……? だから、そんな風に、自分の形がなくなっちゃって……」

「ちょっと待ってくれ、左香。先ほどからきみがなにを言っているのか、わからないんだ」


 だが、信じられないことだが――ぼくは、焦っていた。完璧な理性が少しずつその統制を失ってゆくのがわかる。こんなことは、8年間で一度もなかった。

 左香はぼくの手を包み込むように握る。その感触に指先が痺れる。


「おねーちゃん、いつも言ってますもん……きーちゃんが辛くてもうダメだってなったときには、おねーちゃんがいつだって代わりますから、って……だから」

「違う。左香。きみは思い違いをしているのだ。ぼくは姦神だよ。なによりも、きみにとって大切な毅右くんはきみのそばにいるはずだろう」


 本当に、彼女はなにを言っているのか。『新垣毅右』という人物は、もうこの世界には存在しているのだ。そんなことは普通に考えれば誰にだってわかることなのに。

 だが、左香は自説を曲げなかった。頭を振り、自分でもわからないという口調で。


「きーちゃんもきーちゃんです。でも、姦神さんもきーちゃんなんです。どちらも、わたしにとっては大切なきーちゃんで……どうしてなんですか! おねーちゃん、どうすれば……」


 ぼくが聞き入れないでいると、なぜだか左香は泣き出しそうになっていた。

 彼女はずるいと思う。ぼくがどれほど左香の涙に弱いかを自覚していない。駄々をこねるように胸を叩かれて、ぼくの心の深い部分から言葉が漏れた。


 無意識の声だった。


「それじゃあだめなんだ。きみたちを守るためには、誰かが犠牲にならないといけない」


 と、言ってしまってから、気づいた――ときにはもう遅かった。


「きーちゃん、もう無理しないで」


 左香が抱きついてくる。その体温、匂い、鼓動の音が伝わってきた瞬間、全身に震えが走った。ぼくは全てを思い出す。色あせたアルバムが鮮やかに蘇るように、ぼくはぼくという個を取り戻してゆく。【姦神】の輪から外れ、毅右という存在が今ここに認識される――


 テセウスの船だ。

 ――彼女はただのひとつの木片から、ぼくという存在を見つけ出した。


「さーちゃん」


 左香はそんなぼくの頭を優しく撫でる。


「ね、きーちゃん……おねーちゃんと一緒に、帰りましょう。おうちには、もうひとりきーちゃんがいますけど、でも、仲良くできますよ、ぜったい」


 左香の囁きは後頭部から詩のように脳に染み込んでくる。

 彼女は知らない。ぼくがどうしてここにいるのか、どうしてこんな姿をしているのか。なにを守ろうとして、なにを守りたかったのか。

 ぼくは【姦神】だ。けれども、“愛”を知っている――恐らく、世界でただひとり。


「……ごめん。一緒にはいけないよ。ぼくはきみが見つけてくれただけで満足だ。もう十分だよ。だから、この世界の毅右くんと仲良くね。さーちゃんたちの幸せが、ぼくの願いなんだ」

「そんなの、ダメですってば……もう、お願いですから、きーちゃん……」


 左香は感情の海に溺れそうになりながらも、必死に食い下がる。彼女はいつも最後にはぼくの言うことにうなずいてくれた。それなのに、今回ばかりはまるで聞き分けがなかった。


「大丈夫だよ。この姿だって、そんなに悪いもんじゃないんだ。きみたちを見つめているのは、退屈しないよ。少し寂しいのは本当だけれど、すぐにそんなことだって忘れてしまうから」


 ぼくの言葉に、左香は顔をあげた。その目には意思の光が輝いている。大切なものを取り戻そうとする、強い命の光だ。


「囚人のジレンマっていうお話があります!」

「……それなら知っているよ」


【姦神体系】は全知だ。今さら左香がなにを言おうが変わりはしない――はずだが。


「きーちゃんは自分だけを犠牲にして、誰かを救おうとしています! でもそれじゃあ、最高の結果は得られません! きーちゃんもわたしを信じてください! わたしだってきーちゃんを幸せにしたいんです!」


 目にいっぱいの涙を溜めた彼女の言葉は、システムと同期しているぼくの脳を貫く。


「きーちゃんが幸せじゃなかったら、わたしも幸せじゃなくなっちゃいます! 気づいちゃったから、もうきーちゃんの目的は達成されません! わたし、幸せじゃないですもん!」

「参ったな」


 ぼくは後頭部に手を当てた。確かにそうだ。左香の言う通りだった。ぼくがぼくのままでいる限り、永久に問題は解決できないのだ。“姦神毅右のジレンマ”だ。

 まさか左香に言い負かされるとは思わなかった。さすがはおねーちゃんだ。

 

 自己矛盾を認めた途端に、ぼくの感覚は残らずシャットダウンする。あらゆる世界を観測していた意識も一瞬で深いところに沈み込んでいった。

 だがそれは、【姦神】となってから初めての“観測放棄”であり、プールの授業の後の昼寝のような――心地良い闇だった。

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