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End.赤い部屋のマリー

 作業の間、きみはずっと楽しいことを考えていた。

 雨の日、ゴミ箱に捨てられていた折れた傘を拾い、左香とふたりで走りながら帰ったこと。

 たったひとつのトランプで、遊び方を変えながら、初や安瀬倉たちと何時間も遊び続けていたこと。修学旅行に行けなくて、たったふたりで誰もいない夜の学校に忍び込み、宿直の教師に見つかって、出前をごちそうしてもらったこと。


 14年間の思い出を原動力として、きみは没頭する。


 ひどく時間をかけて、瓦礫の中から探し求めていたものを発見する。その頃にはきみの指は痛々しくも傷つき、何枚かの爪が剥がれて血が流れてしまっていた


「ハァ、ハァ……あった、良かった……」


 きみはずっしりと重量のあるそれを抱えて、次なる過程に移る。

 また長い時間が経った。きみは棒のような足を引きずって、ただひたすらにケルベロスを探してさまよった。油断すると頭をよぎる悪夢めいた考えを振り払いながら、求道者のように愚直に歩き続けた。


 はるか遠くのビル街に、悠々と歩くケルベロスの揺れる尾が見えたのは、何夜が経過した頃だっただろうか。

 近未来エリアの路地に潜み、ケルベロスを見上げた。そのあまりの巨大さにこれから自分が行おうとしていることの無謀さを痛感する。


 それでもきみはきっと、やり遂げる。


 寒さと痛みで震える手に息を吹きかけ、コンクリートの壁に背中を預けて、きみは待つ。その手には、燐の遺した長々距離狙撃銃“雷杭”がある。狙いはケルベロスの中央の頭が見えたそのときだ。一撃で、脳天を撃ち抜き、全てを終わらせる。

 きみは雷杭のスコープから目を離さず、ただただケルベロスを追い続ける。汗がこめかみから伝い落ちる。


 間もなく、そのときは来た。


 三つの頭のうち、ひとつが潰された手負いのケルベロスだ。ミサイルの直撃で負ったであろう傷はもう完治していた。血で毛皮を赤く染めながらも、まるで不死身の化物だ。だが、そうではない。それだけで十分だった。

 ケルベロスときみの位置が直線を結ぶ。その瞬間、きみは雷杭の引き金を引く。

 雄叫びを上げた無反動超電磁砲は紫電をたなびかせ、槍のようにケルベロスの脳天に突き刺さる。爆音が響き渡り、ケルベロスが叫んだ。こちらに気づいた彼は狭い路地に体をめり込ませながら、砂の城を崩すようにあらゆるものを踏み潰しながら接近してくる。


 一撃で葬り去ることはできなかった。きみは立て続けに、銃身が焼き切れるほどに雷撃を撃ち出す。その連射性能を越えた荒々しい発砲に“雷杭”の耐久力が持たず悲鳴をあげる。

 稲妻の嵐はケルベロスの剛皮をも貫き、確実にダメージを積み重ねてゆく。だが限界は唐突に訪れた。“雷杭”の長い銃身がへし折れ、真っ二つに折れてしまったのだ。きみは狙撃銃を投げ捨て、身を翻し、走る。きみの背後で、ケルベロスが身を丸めて跳躍した。


 きみは駆ける。追いすがるケルベロスは血塗れで、怒りに我を忘れているようだった。魔獣ときみとの距離はもう50メートルもない。あと数秒もかからず、きみは肉塊へと成り果てるだろう。きみはスイッチを押した。

 きみの背後で蒼い炎が次々と燃え上がった。爆炎はケルベロスを飲み込み、それとともに両側のビルが彼に向かって倒れてゆく。轟音と大震。街ひとつを飲み込むような戦塵が舞い上がり、たちまち炎に巻かれて天に登ってゆく。ケルベロスはビルの下敷きとなり、その足を封じられた。きみがあらかじめ仕掛けておいた爆弾“蒼炎”のトラップだ。これが燐の遺した武装の全てだった。


 きみは振り返る。押し寄せてくる熱波に思わず口を抑えた。うっすらと目を開く。青白い炎に包まれながらうなるケルベロスは、全身を瓦礫に潰され、頭のふたつが破壊され、前足も後ろ足もどこを取っても無事な箇所はひとつもないような有様で、ビルの瓦礫から這い出てこようとしていた。


「……まだ、抗うのか……?」


 きみたちはゆっくりと近づいてゆく。ケルベロスは満身創痍の体で、きみと向かい合う。そんな彼を見たきみの胸中に渦巻く感情は恐怖や怒りではなかった。


「きみも、ぼくと同じだ、生きていたいんだ」


 きみの口元に浮かんだのは、笑み。


「なら、わかるだろう? ぼくの気持ちも」


 きみはちきちきちきとカッターの刃を伸ばす。ケルベロスはきみの元に跪いた。目の潰れた中央の顔が、わずかに口を開く。その奥から、火の粉が漏れ出ていた。

 一抱えほどもあるその頭に、きみはカッターを突き立てる。血が飛び散った。


「見ているんだろう、姦神さん! これが、答えなんだ! これが、ぼくの、答えだよ! だって、そうだろう! 生き残らなきゃいけないんだよ! そう言われたんだから、そうするしかないんだ! どんな難易度の試練だってぼくは乗り越えるよ! 生きるためにね!」


 何度も何度も何度も何度も、きみはカッターをケルベロスに突き刺す。彼の口からブレスが今にも吐き出されそうだというのに一歩も引かず。

 きみの生きようという想いを飲み込んだカッターナイフは、ケルベロスの硬い皮も骨も絶ち、その首をついには切断させるに足る。べったりと一際大きな血の塊がこぼれて地面を叩いた。

 全身を汚したきみは、天を仰ぐ。


「……ああ……」


 なぜきみの目から涙が流れ落ちているのか、それはきみすらもわからなかった。

 これからきみは、誰もいなくなった世界で、いつまでもいつまでも左香とふたりきりで生き続けるのだろうか。幸せだとか、未来だとか、そんなものから目を背けて、いつまでもいつまでも。

 それがきみの望みならば、この世界はいつだってきみを匿うだろう。

 だが、それは叶わない。


 こうして、きみは――

  

 最後のひとりと、なったのだから。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

「え?」


 きみの姿はケルベロスを撃破したそのときのままだ。辺りを見回すきみのそばには、姦神がいた。彼女は椅子に深々と腰をかけている。ここは部室だった。部屋はきみが出て行く前と変わらず誕生日の飾り付けがされており、窓の外からは夕焼け空が見えた。

 机の上には、真新しいきみの制服が用意されている。


「今のきみに送る言葉はただひとつだ。おめでとう、毅右くん」

「いや、そんな」


 きみは酸素を求めるように、言葉を探す。


「これ、なんですか。なんでぼくは、ここにいるんですか」

「その質問は本心ではないだろう。きみはずっと、ここに戻ってきたいと思っていたじゃあないか。ならばこれこそが、きみの望みのはずだ」


 姦神の言っていることがよくわからなかった。きみは確かに生き残るために戦った。現実に戻ってきたいと思っていた。だがそれはこんな結末を迎えるためではない。

 きみは大きく狼狽した。


「それじゃあ、まさか」


 姦神は首肯する。


「そう、きみの“活動”は終わった。本当に良い働きだったね。素晴らしいよ。わたしはきみに惜しみない賞賛を与えたいのだ」

「いや」


 そんなことはどうでもいい。そうだ。きみが願うのはそんなことではない。もっと本当に必要なことがある。それは、生き残るよりもずっと大切なことだ。

 一体何のために親友を刺し殺したのか。友人を焼いて、獣と戦ったのか。それらは全て、“ともに生きるため”だ。


「だから、もう、言っただろう」


 姦神はゆっくりと、改めて言い直す。


「“終わった”のだと」


 そこに慈悲はない。



 ホワイトボードが裏返る。まるでプロジェクタのように映像が映し出された。燃え盛る炎と蹂躙されてゆく森を背景に、黒い肌の少年が立っていた。彼は長い毛の生えたバレーボールのようなものを掴んでいる。

 少年はジゼルと死闘を繰り広げていたあの魔王だ。彼が持っていたものについて、きみはしばらく気づかなかった。もしかしたら、脳が理解を拒んでいたのかもしれない。細い管を通って情報は緩慢に伝達される。ゆっくりと、だが着実に正解へと到達してしまう。

 それは、頭だ。長い黒髪の生えた頭部だけを、魔王は掴んでいた。

 左香のものだった。


 

「――」


 きみは目を見開く。もうなにも言葉はなかった。世界から音が失われていた。ただ、冷めたもうひとりの自分がつぶやく。こんなことだと思っていたよ、とも。

 世界はいつだってきみにはやさしくない。お約束なんて起きないし、みんな死んでしまうのだ。でもそんなのも、仕方ない。だって、きみだってやったじゃないか。生きるためだとか言いながら、人を蹴落とした。左香がそうなったとしても、きみに恨み言をつぶやく資格なんて、ない。


 どうしてこうなってしまったんだろう。


 きみは膝から崩れ落ちた。そのまま、もう二度と立ち上がれないような気がした。

 すぐそばに姦神がやってくる。きみを冷静に見下ろしている。実験動物をばらばらに解体する研究者のような目だ。


「きみは左香と離れるべきではなかった」


 もぞり、と眼球が動く。


「ぼくの、せい……?」

「究極的には、そうだ。彼女を創ったのだって、きみのためだったのだからね」

「……え?」


 姦神は眉根を寄せた。口元に手を当てて、怪訝そうにつぶやく。


「どうしたんだい、きみ。精神的な疲労が蓄積しているのかい? きみのようになにもかも気づいている人間に、わざわざ説明させないでおくれ」

「なにを、言っているんですか」


 声はカラカラに乾いていた。

 本当は見たくないだけだったのだろうか。


「わたしはずっと見ていたよ。きみは“活動”の最中、自らと同じ境遇に置かれている人々と出会い、心を交わしてきただろう。そこで違和感を覚えなかったのかい?」

「……」


 姦神に拾われた子らは、皆が皆、ひとりきりだった。だからきみは疑問には思っていたのだ。どうして自分にだけ“左香”がいるのか、と。

 だけど、自分だけが特別であることに意味なんてないと思っていた。


「さーちゃんは、ぼくのお姉ちゃんだから……」


 すがりつくようなきみの目を、姦神は突き放す。


「きみの本当の姉は、あの交通事故で亡くなっていたじゃないか」


 あまりにも、ひどい。


「うそだ」


 それならば、今までずっときみと暮らしていた少女は一体何者だというのか。命も倫理も道徳性もここには存在していないのだとしたら、答えはひとつである。


「彼女は、わたしの作り出したアーティファクトのひとつだよ。あのままではきみは、14才になる前に死んでしまうところだった。たったひとりの生活に耐え切れず、心が弱りきっていたんだ。だからわたしは、きみにレジェンダリ【左香】を与えた」


 きみが姦神に与えられた説明書の右端は破られていた。

 あれはもしかしたら、左香がやったことだったのだろうか。きみに知られたくないばかりに。


「【左香】の能力は、きみに生きる意思を与える力。彼女の性格、能力はそこに収束する。彼女がそばにいる限り、きみは限界を超えて能力を発揮することができる。だからこそ、ここまで生き延びることができたんだろうね」


 左香だけがきみに愛をくれた。生きる意味をくれた。それは確かに、その通りだ。


「と、少なくともわたしはそう思っていた。だが、結局のところ、きみの潜在能力に左香の機能は関わりがなかったのだ。きみはひとりでも生き延びることができたのだろう。きみの生存本能はわたしの想像を凌駕していた」

「……ぼくは、さーちゃんが、姉じゃなくても、アーティファクトでも……」


 そばにいてくれるのなら、それでよかったのだ。人であるかどうかなどは二の次だ。そもそも人であるというのは一体どういうことか。人と同じ姿を持ち、人と同じ心を持っている限り、それは人なのではないだろうか。とりとめのない思考は散らばってゆく。


 どちらにせよ、もうなにもない。

 生きる意味も、もうなにも。


 そう思っていたはずなのに。姦神がきみの前に立ち、凶器を振り下ろそうとしたその瞬間、きみの身体は反射的に後ろに飛び退いていた。

 リノリウムの床が陥没し、暴力的な音が大きく響く。姦神が強く地面に叩きつけたのは、何の仕掛けのないスレッジハンマーだった。


「姦神、さん――」


 間近で起きた破壊音に、きみは目の前から火花が散ったような思いがした。姦神は傘を振り回すように、大型のハンマーを軽々と肩に担ぐ。


「これが最後だよ、毅右くん。最後の相手は、わたしだ」

「……どういうこと、ですか」


 ゆらりと幽鬼のように、きみは立ち上がる。

 姦神の目をねめつけるきみは、本当は彼女の意図に気づいているのだろう。

 なぜなら、左香が本当にアーティファクトだったのだとしたら、参加者はわずか11名にとどまってしまうのだから。“もうひとり”いなければ、おかしいのだ。そうだろう?


 それは、目の前にいた。



「“生”は夢だ。我々姦神にそれを味わうことはできない。きみは美しかった。不完全な物体だからこその輝きだ」


 姦神は横薙ぎにハンマーを振るう。きみは飛び退いてかわしたものの、かすった制服のボタンが弾け飛んだ。ハンマーは机の上に置いてあった様々なガラクタを床に撒き散らし、隣の机の足をやすやすとへし折って止まる。30kgはあるかと思われるスレッジハンマーだ。まともに食らえば臓器まで破裂させられるだろう。


「生きるというのはなんなのだ。どうしてわたしは知ることができないのだ。スライムにも、冥王星にも、挙句の果てはわたしの作り出したアーティファクトまでもが“生”きていられる。いつどの過程でどこに精神が宿ったのか? なぜわたしだけにそれがないのか。きみよ。見ているだけしかできないこの無力なわたしに、生きるとはなにかということを、教えてくれ」


 姦神は再びハンマーを振り上げる。次の一撃を避けられるかどうかは運だった。ケルベロス戦を終えたきみの身体は、もう限界を超えようとしている。きみはカッターナイフを取り出し、威嚇のつもりで姦神に突きつける。


「……なんなんですか、もう……! どうしちゃったんですか……!」


 意味ある言葉を紡ぐことはできない。別れの言葉を吐くことも。

 姦神が迫る。考えている余裕はなかった。斜め上からゆっくりとスレッジハンマーが振り下ろされてきた。きみは前に足を一歩踏み出し、彼女の内側に入り込む。まるで体当りするような勢いで、全体重を乗せて。


 そのまま姦神の胸に――カッターナイフを突き立てた。


 それは数々の戦いを経験してきたきみの生き残るための意思がそうさせたものだった。

 紛れもなく、正当防衛だ。きみが悪いわけではないのだ。

 姦神がたたらを踏む。その手からスレッジハンマーが滑り落ちて、床を砕いた。彼女の心臓部には深々とナイフが刺さっており、それを見た姦神はなぜだか薄く微笑んで満足そうな表情を浮かべた。


「ふふふ、そうか、これが……」


 きみは自分のしたことにまだ実感がないようだった。


「かがみさん……」


 姦神の崩れ落ちるさまを、どこか現実感の薄い瞳で見つめている。


「なかなか……味わえるものではないのだろうね、この喪失感は……素晴らしいよ……なんだか、嬉しいな……今だけは、これがわたしのもの……はは……」


 きみは後ずさる。生きていた頃は決して見たことがなかったような、満ち足りた姦神の顔から目が離せなかった。


「よく、わかったとも……ふふふ、これがわたしか……では、毅右くん……後任の【姦神】が現れるまで、しばしの、おわかれと、しよう……じゃないか……」


 あれほど美しく気高かった姦神の声がかすれて消えてゆく。

 姦神は伏せたまま動かなくなり、きみはしばらくその場に立ちすくんでいた。


 そのとき、ホワイトボードがパタンと回った。

 


 ――参加者――

 (打ち消し線開始)獣♂ 天使♀ 魔王♂ 女神♀(打ち消し線終了)

 (打ち消し線開始)アンドロイド♀ 獣人♀ 魔法使い♂ エスパー♂(打ち消し線終了)

 (打ち消し線開始)星♀ 怪物♂ 姦神(打ち消し線終了) 人間


 

 学校のチャイムが鳴り出す。間もなく、蛍の光が流れる頃だろう。

 夕焼け空を背に、烏が鳴いていた。

 下校の時間だ。

 

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