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12.ワニのパラドックス

 大地を蹴り、うねり、近づいてくるのはゲル状の物体だった。ただ、その体長が凄まじい。家々を飲み込みながら迫り来るそれは、きみの住むアパートと同じぐらいの大きさであった。触手を伸ばし、広げながら蠢くスライムは、ひどく醜悪に見える。


「あんなのまで出てきちゃうのか……」


 アパートの窓から外を眺めながら、きみは唖然とする。

 もはや完全なるモンスターだ。確かあれは、参加者第五位――地球外生命体。


「ビリオンイーター……」


 隣に立っていた燐が、憎々しげにその名を口に出す。


「あれを知っているの? 燐」

「うん……だって、あいつらこそが、燐たちの世界を滅ぼした、宿敵だから……」


 燐の目は静かな敵意に満ちていた。


「それって」

「ある日突然ね、お空から降ってきたらしいんだ。それで、瞬く間に大都市を滅ぼしちゃったんだって。それだけじゃ飽きたらず、今でも地球のあちこちで、生き残った人を見つけては食い散らかしているんだよ。燐を作ってくれた人だって、あいつらに……!」


 燐のいた未来は滅んでいた。それはつまり、地球外生命体のしわざだったのだ。まさか彼女も、こんなところでまみえるとは思わなかっただろう。燐の赤眼が、若干輝きを増したように思えた。怯えているのかもしれない。


「じゃあ、今すぐここを出て、逃げましょうっ」


 左香が燐の手を引く。しかし機械の少女は動かなかった。


「……もう、見つかっちゃっているから、ムリすよ」


 燐が小さな拳を握る。それから彼女の表情が徐々に変わってゆくのを、きみは見ていた。


「あいつ、意外と足速いんすよね……すぐに、捕まっちゃうはずだし」

「燐、きみ、まさか……」


 そのアンドロイドは唇を引き締め、まっすぐに標的を見つめていた。それは新聞のスナップ写真でいつか見た、遠く離れた空の下で銃を持つ女性兵士のような凛々しさだった。

 彼女はゆっくりと口を開き、言った。


「燐が食い止めます」



 

 きみと左香と燐は、連れ立って部屋を出た。

 しかしそこからの道は――別れる。


「それじゃー、お元気で、ふたりとも」


 先ほどまでスライムを畏れていたことがウソのように晴れやかな表情で、燐は手を振った。

 きみは左香が「残る」とわめくのではないかと思ったが、その心配はなかった。きっときみがなにも言わなかったからだ。口に出すまでもない悲しみを、彼女は感じているのだ。

 耐え切れなかったのは、きみだった。


「燐! 待ってくれ」


 アンドロイドがゆっくりと振り返ってくる。その表情は、戸惑いだ。


「な、なに? どーしたの?」

「……なんとか、なるのか?」

「んー、スライム用の武装である“蒼炎”は持ってないけど……まっ、“天神”があればなんとかなると思うし」


 燐はこちらを安心させようとして笑みを見せるものの、あまりにも人間くさい彼女のそれは、引きつった顔でしかなかった。


「任せておいて。攻勢は得意だし」

「……」

「もう、やだな……そんな顔をしないでよ。人間と違って、燐は死ぬのなんて怖くないしさ」


 なにを言っても、燐を苦しめるだけだろうか。彼女は絶対にきみを守らなければならない。きみが彼女に刻みつけたのだ。それこそが今、燐の戦うための理由なのだ。

 きみは彼女を死なせたくなかった。すがるような視線をこちらに向けてくる左香に背中を押されるまでもない。だから、その衝動を言いくるめられるだけの理由を探す。必死に探す。見つからなければ、燐が死ぬ。


「……コレ以上なにもないなら、ホントに行くよ。やめろ、とか言わないでほしいな。マスターの命令に逆らえないから、燐……」

「……燐さ」


 びくり、と燐は震えた。その目がきみを見たとき、きみは自分の想像が間違っていたことを知る。

 燐の瞳の上で揺らいでいたのは、不安だ。そして、引き止めてほしいと願う一抹の希望だ。機械の体だろうが、彼女の心は14才の少女だ。だが、きみの命令には決して逆らえないのだから、彼女もまた自身を納得させようと言い聞かせていたに違いない。

 ならばもう、迷う必要はない。


「……きみがスライムに勝てる確率は、どれくらいなの?」


 相手はアンドロイドの23倍以上のヒューマンパワーを持つスライムだ。きみの問いに、燐は即答した。


「一割もないかな。“天神”のチャージタイムの間、動けない燐があいつの攻撃に耐え切れるかどうかが分水嶺だし」

「なるほどね。じゃあだめだ」


 きみはきっぱりと言い放つ。燐は突然頬を張られたような顔をした。


「えっ……?」

「燐が負けたら、あいつを生き残らせることになる。けど、ぼくたちじゃあいつを倒す手段はない。そうしたら、ぼくたちも死んじゃうんだ。しかも一割なんて、そんな危ない橋を渡るなんて、ぼくは嫌だよ」

「……そんなこと言われても、これが燐の性能限界だし」


 柳眉を寄せて困惑する燐に、きみは上辺だけは冷たい言葉を告げる。


「だろうね。だから、ぼくが作戦を立てる」

「……え?」

「きーちゃぁん……」


 意外そうな顔をする燐の横で、左香が指を組み合わせて憧れるようなポーズを取っていた。きみはそれらに構わず、話を進める。


「要するに、無防備状態になる燐に代わって、ぼくたちが時間を稼げればいいんだろう? それなら、簡単な話なんだ」


 きみは燐に秘密のひとつを打ち明けることにした。


「ぼくたちには、姦神さんから特別に支給されたアイテムがあるんだ。歴然とした力の差を埋めるために、っていう名目で……」


 途中から語気が弱くなってしまったのは、使い道のよくわからないこの道具が、一応はそういう建前で渡されたのだと思いだしたからだ。しかし、燐は目を輝かせた。


「えっ……姦神先生の、ってそれ、すごくイイんじゃないすか。毅右ってば、そんなの出し惜しみしていたなんて」

「機を伺っていたんだよ。まあ、それで……その中にね、【スティグラムの壁】っていうのがあるんだ。それは一定時間、あらゆる攻撃から防ぐっていう道具みたいなんだけど」


 曖昧な表現に、燐は顔色を曇らせる。


「あらゆる、って……それ、どうなの? スライムが使うのは精神攻撃だよ。思念を読み取り、脳波に干渉して直接頭脳を破壊するんだ。だからあいつらに対抗するため、燐たちみたいな電脳人は対PK処理を施されているのに」


 燐の言葉を遮って、きみは断言する。


「あらゆる、だよ。姦神さんがそう言っているんだ。悪意を持ったものは、原子だって通しはしないだろう」

「そっか……そうだね」


 燐は納得したようだ。もとより彼女にきみを疑うという自由は許されていない。


「燐の方は、そのチャージにどれくらい時間がかかるの?」

「んー……相手の大きさによるけれど、最大威力の300秒は必要ないと思う。どうかな、150秒……180秒はほしいかもね」

「三分か……」


 きみは説明書の記述を思い出す。バリアの効果時間は、使うものの一分+異性とキスをした人数分x1分だ。きみは視線を逸らしながら、左香に訊ねる。


「……あのさ、さーちゃん、ちょっと聞きにくいんだけど」

「なんですか?」

「その、きみって、意外とモテるよね」

「え? えええ?」


 いきなりなにを言い出すのかと目を白黒させる左香は、きっと説明書の但し書きを忘れてしまったのか、あるいは初めから覚えてないのか。きみによくわからない虚勢を張る。


「そ、そうでしょうか……ま、まあ、うん。おねーちゃんはおねーちゃんですからね……!」

「えーと。ぼくはそういう話は、あんまり詳しくないんだけど、その……さーちゃんってほら、隠れ人気キャラみたいなところあるし。たぶん誰からもちょろいと思われているんだろうね。アメとかあげたらどこまでもついてきそうだから」

「つ、ついていきませんよ。どういう目でおねーちゃんを見ているんですか……」


 ねめつけるような目の左香に、切り込む。


「で、その。今まで何人とキスしたことがあるの?」


 その瞬間、左香の顔が爆発するように赤くなる。


「え、ええええええっ! そ、そそそ、それ今大事なんですか!?」


 きみは努めて真剣に。


「スライムに勝てるかどうかが、かかっているんだよ」

「い、いやあ、あの、おねえちゃんは確かに経験豊富ですけどもぉ! そのお!」

「いいからほら。早く答えてよ。時間がないんだ」

「え、ええっと、ひゃ、百人!」

「嘘でしょ」

「ご、ごめんなさい……ホントは0人です……」

「う、嘘でしょう!」


 今度こそ真実だったようだ。きみは違う意味でショックを受ける。左香もまた、もじもじと。


「ほ、ホントですよ……付き合ったこととかないですし。男の子とは口聞くの恥ずかしいですし、手も繋いだことだってないですし……」

「くそう、さーちゃんのことだから、どうせそんなことだと思ったよ……」


 きみのただならぬ剣幕に頭を下げる左香。

 恐らく燐に訊ねるのは無駄だろう。彼女は人と話をしたことがないと言っていた。だがそれならば、次善の策を取るまでだ。


「仕方ない。さーちゃん、ちょっと目を瞑っててくれるかな」

「え?」

「ちっちゃい頃にしたことがあるかもしれないけど、念のためもう一回ね。すぐ済むから」


 きみは左香の頭を掴み、無理矢理自分のほうに向けた。ハテナマークを無数に乱舞させる左香の小さな唇にきみは口づける。手足をじたばたとさせる左香を無理やり力で抑えつけ、数秒後に開放する。


「……ふう、これなら誰がどう見ても異性とキスした回数プラス一回だろう……」


 口元を拭いながら息をつくと、左香がへなへなと脱力してその場にへたり込む。

 その様子を眺めていた燐は、口を開いたままぽかーんとしていた。


「え? なんで、家族でそういうことするのが、人間、な、の?」


 残り時間が切迫していたので、きみは荒い息をついたまま、なにも言わずに燐に近づく。


「え? あ、あの? ど、どうしたの毅右。な、なに? なんす、か?」


 影が落ちた燐の顔が強張る。きみは彼女の柔らかい肩を掴んで、獲物を狙う鷲のように襲いかかった。緊張していたのだろう、燐を押し倒さんばかりの勢いで唇を奪ったきみは、その感触を楽しむことなく身を離した。

 燐は体から力が抜けたように、へなへなとその場にへたり込む。


「……よし、これで、三分は確保だ。燐だって一応、異性なんだから、大丈夫だろう……よし、ほら、ふたりとも、作戦はね……って、あ、あれ?」


 きみはふたりの惨状を見て、瞬きを繰り返す。燐は正座を崩して座り、ぼんやりと唇を指で撫でていて、左香はうわ言のように「きーちゃんが、きーちゃんが……」と繰り返していた。


「ど、どうしたの! さ、さあ早く、スライムを迎え撃つんだろう!」


 さすがにきみも顔を赤らめながら、照れ隠しの言葉を放つのだった。

 

 

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