act 0.ゆえにテセウスはマリーである
ホワイトボードには、こう書いてある。
『やあ! まずは、この本を手に取ってくれてありがとう!
この物語は、“きみ”がえらくタチの悪い死闘に巻き込まれてしまって、泣いたりもがいたり叫んだり死んだりするアワレな姿を、ユーモアたっぷりに書き記しているゾ!
不幸でどん底な人を見て一時的にでも幸福感に浸りたいと思っている方に大変オススメ!』
※ただし個人の感想であり、書物の効果を確約するものではありません☆
ボードの隅には、メガネをかけたスーツ姿の2頭身の女性が、右手でスティックを掲げている絵が描かれている。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
あの日のことを、きみは覚えているだろうか。
雨のにおいがとても強く立ち込めていた冬の朝。火葬場の入り口で戸惑うように立ち尽くしていたきみは、まだ六才だった。
市の職員に促されるまま、なにもわからずにただ両親の遺体が骨になってゆく儀式を果たしたのだ。
泣くこともなく、ただ降り止まない氷雨が霧へと変わってゆく様を、きみは眺めていた。もうすぐ大人たちがやってきて、きみを“違う家”へと運ぶのだ。
きみの隣には、いつのまにか黒尽くめの彼女が並んで立っていた。黒い傘を差し、顔をヴェールで覆っている女性だ。
薄暗い雨空の下で彼女を見たきみは、ぼんやりとこう思っただろう。
“この人は、パパとママを連れていった人たちの仲間なのだろうか”と。
この世のものならざる雰囲気を漂わせる彼女は雲を掴むように指先を掲げ、それから黒い手袋をはめたそれをきみの元へと伸ばしてきた。
「きみはもうすぐ、なにもかもと離れ離れになり、たったひとりになってしまうだろう。だけど、まだ手遅れではないんだ」
彼女はきみに手を伸ばしてくる。
「どうだろう、きみが良ければ“選択”をしてみないかな。その代わり、きみは波乱に満ちた生涯を送ることになるかもしれないけれど」
きみはよくわからないといった風に、彼女の顔をただ見つめていた。言葉の内容は一切理解できなかったが、彼女の声は息をするたびに身体に混じってゆく霧のように、心地よく耳に染み入った。
「つまるところ、選ぶのは、きみ自身だ」
エンジン音が近づいてきて、雨のカーテンの奥から車のライトがきみたちを照らす。光に照らされたきみの横顔は、とても幼児のそれには見えず、明らかな知性を称えていたように思えた。
きみはゆっくりと、手を伸ばす。
「たいせつな“きみ”よ」
彼女はきみの手を取り、しっかりと握り締めてきた。
「これから、よろしくだ」