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沈む記憶、浮かぶ存在

作者: をはち
掲載日:2026/08/24

「記憶が沈むとき、存在は問いに変わる。」


私は、今日まで普通に生きてきた――


少なくとも、そう信じていた。


誰もが生まれた瞬間を完全に記憶しているわけではない。


むしろ、そんな記憶を鮮明に保持している者こそが、特殊な部類なのだと私は思う。


時間が遡るほど、記憶は曖昧になる。


一年前、二年前、十年前と、過去へ向かうにつれ、思い出は霧のように薄れていく。


それはごく自然なことだ。


だが、小学生の頃より前の記憶が、まるで存在しないかのように抜け落ちていることに、私は最近気づき始めた。


自分が何者なのか。


そんな疑問が、頭を離れなくなった。


きっかけは、些細な出来事だった。


ある日、脇腹に奇妙な感触を覚えた。


指で触れると、皮膚が薄く、ひらひらと剥がれている。


まるで日焼けした皮がめくれるように。


私はそれをそっと剥がした。


すると、剥がれた皮膚の下から、信じられないものが見えた。


コンセントの穴だ。


二つの細長い穴と、丸いアースの穴が、肌に埋め込まれている。


驚きに目を見開き、剥がした皮膚を手に取ると、それは白く細長い半紙のようなものに変わっていた。


黒と朱の墨で、複雑な文字や図形が描かれた、お札のようなものだ。


もし私の体がこのような「お札」で覆われているのだとしたら、私は人間ではないのだろうか? 


だが、コンセントの穴を除けば、私の肌に異常はない。


滑らかで、どこにでもある普通の肌だ。


そう思った瞬間、冷や汗が滲んだ。


私は、自分の顔を見たことがあるのだろうか?


自分の姿を、鏡で確かめた記憶が、まるでないことに気づいた。


いや、そもそも自分の姿を想像することすらできない。


頭の中で、自分の顔を思い浮かべようとしても、そこにはぼんやりとした空白しかない。


鏡を探さなければ――


私は辺りを見回した。だが、ここには鏡らしいものなど一つもない。


あるのは、埃をかぶった奇妙な置物ばかりだ。


木彫りの仏像、色褪せた人形、錆びた金属の器。


薄暗い部屋は、まるで時間が止まったような静けさに満ちている。ここは物置小屋なのだろうか? 


私は何かを探しにここへ来たはずだ。だが、何を? 


その目的すら、記憶の底に沈んでいる。


鏡のある場所へ行こう。


私は体を動かそうとした。だが、足が動かない。


腕も、指先すらも、ピクリとも動かない。


まるで体が石膏で固められたように、完全に硬直している。


「これは、どういうことだ…」


声にならない声が、頭の中で響く。動けない。動かない。


私の体は、まるで操り人形の糸が切れたように、ただそこに存在しているだけだ。


パニックが胸を締め付ける。


だが、その恐怖すら、どこか他人事のように感じる。


まるで私の心自体が、誰か他の者に操られているかのようだ。


ふと、遠くから音が聞こえてきた。低く、単調な響き。


木魚の音だ。


それに混じって、抑揚のない声が呟くように響く。


お経だ。


音は徐々に近づいてくる。


木の床を踏む足音が、ゆっくりと、だが確実にこちらへ向かってくる。


私は気づいた。ここは物置小屋ではない。


薄暗い部屋の奥に、ぼんやりと金色の光が見える――仏壇だ。


そして、部屋の隅に積み上げられた無数の人形が、暗闇の中でじっと私を見つめている。


そのガラス玉のような目は、まるで私の存在を嘲笑うかのようだ。


そうだ。私は人形なのだ。


記憶が、断片的につなぎ合わされる。私は人間ではない。


この体は、布と木と漆で作られたものだ。


コンセントの穴は、かつて誰かが私に施した呪術の名残かもしれない。


お札は、私を封じるためのものだったのだろう。


だが、なぜ私はここにいる? 


なぜ、こんなにも「生きている」ように感じる?


足音が止まった――扉が、ゆっくりと開く。


暗闇の中に、僧侶の姿が浮かび上がる。手に持った数珠が、かすかに音を立てる。


僧侶の目は、私を――いや、この部屋に並ぶ無数の人形たちを――静かに見つめている。


その視線は、まるで魂を見透かすようだ。


「お前も、供養の時が来た」


僧侶の声は、低く、どこか慈悲深い響きを帯びていた。


だが、その言葉は私の心を凍りつかせた――ここは人形供養の寺。


私の「人生」は、誰かの手によって作られた幻想に過ぎなかった。


私は、ただ、お経を聞かされるために、ここに存在しているのだ。


木魚の音が再び響き始める。


お経の声が、部屋を満たす。私は動けないまま、その音に飲み込まれていく。


私の意識は、徐々に薄れていく。


だが、最後に一つだけ、はっきりとした思いが浮かんだ。


私は、誰だったのだろうか――そして、お経の最後の響きと共に、私の「記憶」は永遠に闇へと沈んだ。

読んで頂き有り難う御座います。

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