プロローグ 妖精転生、はじめました
## プロローグ① 妖精転生、はじめました
まず、自己紹介をさせてほしい。
私の名前はフィーア。妖精よ。小さくて、羽根が透き通っていて、飛べる。見た目は十四歳ぐらいの美少女。自分で言うのもなんだけど、前世だったら世界的なアイドルになれるレベルだと思う。
前世、ね。
そう、私には前世がある。
三二歳、埼玉の田舎出身、東京在住の独身OL。彼氏なし。仕事はバリバリできる。後輩の面倒見は良い。でも毎日残業で、ブラックな上司にこき使われていた。最後の上司に至ってはクズの上にハゲで、顔を見るたびに気力が二割ぐらい削られていた。
趣味は、お酒とゲームとアニメとマンガとファンタジーと異世界旅行。好きなものだらけね。子供の頃から妖精が好きだった。本や映画に出てくる妖精を見るたびに「いいな、なりたいな」と思っていた。
で、なった。
気づいたら妖精になっていた。
転生の瞬間? 覚えていない。気づいたら花畑の真ん中に立っていた。体が小さい。羽根が生えている。鏡のある小川を見たら絶世の美少女が映っていた。
「夢がかなった」と思った。本当に思った。
前世の行いが良かったのね。三二年間、ちゃんと働いて、税金を払って、後輩に優しくして良かった。神様に見ていてもらえたのね。小さいこと以外は完璧。飛べるし透明化もできるし、それなりに長生きするし、食べ物は花の蜜と果物で良い。なんなら拾い食いでも生きていける。労働がない。これが真の自由ってやつね。
異世界生活は最高だった。
最初の二十年は、妖精たちの森でのんびり過ごした。妖精はみんなどこか陽気で、のんびりして、働くより遊んでいるほうが長い。ちょっと怠け者だけど、根は良い人たちばかりだった。タダ酒が飲める。タダ飯が食える。この世界のお酒は美味しい。ワインもビールもウイスキーもある。日本酒がないのは残念だけど、まあそれは仕方ない。
妖精に転生して良かったことは二つ。
ひとつ、労働が少ない。
ふたつ、お酒がただで飲める。二日酔いの治りも早い。
悪かったことは昆虫扱いされることだけど、この時点ではまだその洗礼を受けていなかった。
森から外に出たのは、好奇心からだった。
前世から歴史が好きだった。この世界には中世ヨーロッパそっくりの文明があって、古代帝国の遺跡があって、色んな種族がいる。ファンタジー好きの血が騒いだ。渡り鳥の背中に乗ってタダ旅行、船の帆柱に止まってタダ旅行。世界は広くて美しかった。
そして危険だった。
人間の世界はきれいだけど、ゴブリンがいる。盗賊がいる。モンスターがいる。でも私には透明化がある。小さいし速いし、よほどのことがなければ捕まらない。
「よほどのこと」さえなければ。
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## プロローグ② よほどのこと
ブレンの定期市は、賑やかだった。
秋の広場に天幕が並んでいる。干し肉、香辛料、革細工、薬草の束。売り子の声が重なって、秋の空気の中に溶けていく。人間の市場って、この世界では一大イベントよね。物資の交流、情報の交換、出会いと別れ。前世で言えばデパートとショッピングモールと文化祭を合わせたようなものかしら。
私は透明化したまま、その辺をぷらぷらと漂っていた。
完全に観光気分だった。
露店の果物を眺めていたら、ふと、甘い匂いが鼻をついた。
林檎酒だった。
ほら、この世界のビールって常温なのよ。温いビールはさすがに慣れなかった。でも林檎酒は温くても美味しい。果実の甘みと発酵の香りが合わさって、なんというか、ついふらふらと引き寄せられてしまった。
「ちょっとだけ」
その言葉が最後だった。
露店の主人の目を盗んで、木桶の陰にそっと降りた。細長い柄杓の先から、透明化した口元をつけた。冷たい。いや、ぬるい。でも甘い。美味しい。一口、二口、三口。あ、これ止まらない。止まらない。
気づいたら、私は草の上で寝ていた。
透明化は意識がないと解除される。そういうスキル仕様なのよ。飲み始めた時点でわかっていた。でも止められなかった。これは依存よ。前世でも同じだったけど、妖精になっても根本は変わらないみたい。
目が覚めたら、目の前に鉄の格子があった。
丸い。小さい。
虫かごだった。
「……え、なんで」
あたりを見回した。大きな天幕の下。野性の動物や小鳥のかごが何段も積まれている。そのいちばん端に、私のかごがぶら下がっていた。金属の留め金がついていて、外からしか開かない。
獣商の店先だった。
「……あ、またやった」
反省はしている。本当に反省はしている。でも辞められない。
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## プロローグ③ 売られる前のかご生活
値札が外からぶら下がっていた。
金貨一枚。
四万ソル。宿代に換算すると約百日分。安宿にだけど。安いのか高いのか判断がつかなかったけど、要するに私の値段がそれだということよね。人間の財布の重さで決まる私の値段。複雑な気持ちになった。
前世で言えば、サービス残業込みの月給換算で——いや、考えるのやめよう。悲しくなる。
観賞用として金持ちの飾り棚に置かれる未来が脳裏をよぎった。豪華な部屋の棚の上に、可愛いかごごと飾られて、ペットとして一生を終える。
「最悪。インテリアにされる」
妖精語でぶつぶつと文句を言い続けた。どうせ人間には聞こえないし、言いたいことは言う。
エルフ語で叫んでみようかとも考えた。でもやめた。どうせ田舎の市場に来る人間がエルフ語なんか知るわけないし、叫んだところで余計に値段が上がるだけかもしれない。人間語は話せるけど、それを見せるのはもっと論外。妖精で人間語が話せるのは金貨百枚の価値があると聞いている。
沈黙の作戦でいくわ。黙ってじっとしていれば、価値がわからない買い手が「やっぱりただの虫じゃないか」と思って諦める。そういうことにしよう。
何人かの客が覗き込んできた。
最初の男。四〇代、腹が出ている、目が細い。見るからに趣味が悪そうな顔。「いや、ない」。
次の女。三〇代、首に金の首飾りをしていた。品定めするような目でこちらを見た後、「高いわ」と言って去った。「ギリセーフ」。
三人目の男。若い。見た目は悪くない。だが連れてきた友人がゲラゲラ笑いながら「お前、それどこに置くんだよ」と言っていた。「論外。飾り棚確定」。
四人目は中年の女性で、かごを手に取って「かわいいこ」と言った。声が優しかった。「この人なら……」と少し思いかけた次の瞬間、連れの子供がかごを揺らして「虫だ虫だ!」と叫んだ。
「昆虫じゃないのよ!!」
妖精語で叫んだ。大声すぎた。女性がびっくりして逃げた。自業自得ね。
望みはひとつだった。
せめて、お酒が飲めそうな家に貰われたい。それだけが希望。
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## プロローグ④ 男に買われる
昼過ぎに、若い男が市場を歩いてきた。
黒髪を短く刈り込んで、腰に長剣、背に小弓と盾を負っている。冒険者ね。年は十代後半ぐらい。顔立ちは整っている。細マッチョ系で背丈は標準より少し高い。まあ、悪くはない。前世だったら好みの部類に入るかもしれない外見よ。
でも関係ない。今は逃げることが最優先。
商人が声をかけた。
「お兄さん、お兄さん。冒険者だろ。旅のお供にどうだい」
「可愛いし、欲しいけど。だいぶ高いかな」
男が独り言を言った。妖精を眺めながら、とくに誰かに向けるでもなく。
「妖精語は判らないな」
私はかごの中でぶつぶつとやっていた。当然ながら聞こえているはずがない。
でも、なんか腹が立った。
「どうせ判らないと思って」という気分が口をついた。エルフ語だった。馬鹿にした響きも自然に混じって、反射的に出てしまった。
「昆虫じゃないのよ」
男が反応した。
目がこちらに向いた。少しだけ目を細めた。でも何も言わなかった。
商人を見た。財布を取り出した。金貨を一枚引っ張り出した。
「おやじさん、この妖精をもらおう」
即決だった。値切りもなし。条件の確認もなし。商人が歯で真贋を確かめてにやりとする間に、私はかごごと男の手に渡っていた。
「え、即決? 値切りもしないの? なんなの?」
男はかごを提げたまま人混みを歩き始めた。
「どこ連れていくの。飾り棚はイヤよ。そもそも宿に持ち込んで何をする気なの。何なの。エルフ語が判ったの。それで即決したの。何の意図があるの」
全部妖精語で言った。どうせ判らないから言いたい放題。
それより、この男、なんでエルフ語が判るの。
普通の冒険者がエルフ語なんか話せない。話せるのは森のそばで育ったか、エルフと長く暮らしたか、相当の勉強家か、その全部か。どれにしても普通じゃない。
私は腕を組んで男の横顔を観察した。悪い顔じゃない。でも人間の顔なんか信用できない。
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## プロローグ⑤ 逃亡?
宿は広場から二筋ほど入った小さな旅籠だった。
二階の部屋。窓から西日が差し込んでいる。男が荷物を下ろして、剣帯を外して、机の上にかごを置いた。
私はかごの中でまだぶつぶつと妖精語をつぶやいていた。留め金を見つめながら開け方を考えていた。金属は細工が細かくて、小さな手では外せそうにない。どこかに隙間はないか。弱点はないか。
男が無言でかごに手を伸ばした。
かちり。
留め金が外れた。
私は固まった。
小さな扉が少し開いている。男は椅子に座って、干し果物を袋から出してつまんでいた。こちらを見ていない。
「……罠?」
妖精語で小声で言った。
こういうとき、ゲームなら宝箱の中に毒ガスか武器が仕込んである。罠が多い場所ほど出口が親切すぎる。でも現実は違うわよね。現実のはずよね。
おそるおそるかごの縁に腰かけた。男は干し果物を咀嚼している。こちらには完全に無関心に見える。
ムカついた。
せっかくだから言いたいことを言ってやろうと思った。どうせ妖精語なんか判らない。妖精語はエルフ語でも精霊語でもない。大陸でエルフ語の何十倍もマイナーな言語よ。まず判らない。
「……干し果物をくれるのはいいけど大きすぎるわよ。昆虫じゃないのよ。せめて半分に千切ってくれないと。まったく、人間は体ばっかり大きくて、妖精に比べると無教養でガサツよね。エルフを見習ってほしいわね」
全部エルフ語に切り替わっていた。
途中から自分でも気づいていた。でも止まらなかった。ストレスがたまっていたのかもしれない。
男が干し果物を飲み込んでから、さらりと言った。
「判るよ。エルフと妖精の会話は妖精語だと思ったけど。エルフ語を話せるとは、なかなか賢い妖精だな」
全部聞こえていた。全部。
私の羽根が、ぶわっと逆立った。
全部。本当に全部。大きすぎるとか、無教養でガサツとか、エルフを見習えとか、全部。
かごの縁を掴む手が震えた。
あ、これ、前の会社で言いたい放題の悪口を言っていたら実は聞こえていたパターンだ。最悪最悪最悪。顔が(小さいけど)赤くなるのが自分でもわかった。
男は椅子から立ち上がった。
窓辺に歩み寄り、木枠の留め具を外して、大きく窓を開けた。夕暮れの風が流れ込んだ。それから、干し果物をひとつ手でちぎって机の端に置いた。
「行っていいよ。窓は開けておくから」
静かなエルフ語だった。
私は呆然と男を見た。
買ったのに逃がす。金貨一枚払ったのに。罠じゃないとしたら、なんなの。何の意図があるの。悪口も全部聞こえていたのに。
なんなの、この人間。
答えを考える間もなく、体が動いていた。かごの縁から離れて、翅を広げた。机の端の干し果物に目が行った。ちぎって置いてくれたやつ。一瞬だけ手を伸ばしかけたけど——引っ込めた。
「嫌われちゃったな」
男の声がした。
それを背中で聞きながら、私は窓から飛び出した。夕焼けの空に出た瞬間、翅に橙色の光が当たった。きれいだと思った。
透明化した。姿が消えた。
宿の屋根に降りた。煙突の影にちょこんと腰を下ろして、腕を組んで、窓を覗き込んだ。
男は椅子に戻っていた。干し果物をまたつまんでいる。机の端に置かれた干し果物の半切れは、まだそのままだった。
「……食べなかったことを後悔はしていない」
妖精語でつぶやいた。
「していない。全然していない。いや、少しだけしている」
夕日が沈んでいく。空が赤から紫に変わった。
なんで私は帰らないんだろう。恩を感じているのが悔しい。悪口を全部聞かれていたのが恥ずかしい。それ以上にもやもやするのが、あの「行っていいよ」の口調だった。哀れみでも命令でも演技でもなかった。ただ、そのまま事実として言った感じ。
あんな別れ方をした人間を、放っておけない気分になるのは——妖精として正常なのかしら。
翌朝、男が旅籠から出てくるまで、私は屋根の上にいた。
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