第8章 告白
両親と話をした翌日、リシェルは一年ぶりにクッキーを焼いた。久しぶりだったので、形は随分不格好だったが、味はまあまあに仕上がった。
王城の馬場にいたマーシャルを呼び出してそのクッキーを手渡すと、彼は破顔した。予想外の反応にリシェルは目を見張った。
「リシェル殿下、ようやく私的なお時間ができたのですか?」
マーシャルの質問の意味が分からずに彼女は首を傾げた?
「私的な時間とはどういう意味ですか?」
「殿下はこのところずっと王子殿下方と共に教育を受けられていて、とてもお忙しくされていたでしょう?
趣味の刺繍や菓子作りをされるお時間がないくらいに」
どうやらマーシャルは自分が下手な刺繍入りのハンカチや、手作りクッキーを贈らなかったのが、忙しかったせいだと思っていたようだ。
リシェルは内心ホッとした。
自分が勝手に勘違いしていたというか、兄に騙されて避けていたことがバレなくて。
しかし、彼もまた自分のことで思い違いをしていたことを思い出した。
(彼はお姉様によって偽りの私の思いというものを刷り込まれているはずだわ。そのせいで、彼のイメージする私は実像とはかなりかけ離れているはず。
だからこれから、本当の自分の気持ちや姿を明らかにしていかなければならないわ)
自分の真の姿を知ったら彼はどう反応するのか、正直リシェルは怖かった。
それでも、ありのままの自分を知って欲しい。自分の口で伝えなければと思った。
しかし、リシェルが口を開く前にマーシャルがこう言った。
「この一年、正直なことを言うと、リシェル殿下とゆっくりお話をすることができなくて辛かったです。
厳しい訓練や魔物征伐の後、殿下にお声を掛けて頂けるだけでその疲れが吹き飛ぶのですが、それがなかったので……
それに図々しい話ですが、殿下から頂けるクッキーは最高に美味しくて、また頑張ろうと思う気になれたものですから。
久しぶりに頂けて本当に嬉しいです」
(これは夢?
マーシャル様が私の言葉で疲れが取れていた? また頑張ろうと思っていた? クッキーを喜んでいた?)
「私のクッキーを楽しみにしてくれていたのですか? 歪で不揃いな上に素朴な味だったのに」
「楽しみにしていました。とても美味しかったですし、殿下が少しでも私のことを思って下さるのだと感じられたから」
「少しではありません。たくさんたくさん貴方を思っていました。そうでなければ作れませんでした。
貴方はクッキー作りが私の趣味だと思っていらっしゃるようですが、それは違います。
刺繍を見れば分かると思いますが、私はとても不器用なのです。亀の歩みよりもゆっくりとしか上手くならないのです。
それでも貴方が好きだから、貴方の笑顔が見たかったから一生懸命に努力をしたのです。クッキーも同じです。
でも、マーシャル様はそのうち笑顔を見せてくれなくなったので、私の下手な手作りなんて迷惑しているのだと思っていたのです」
「それでこのところ作って頂けなかったのですね。申し訳ありませんでした。
貴女にクッキーを頂くとどうしても顔が緩んでしまうので、周りにバレてしまうのですよ。するとお前ばかり依怙贔屓されていると嫉妬されるので、ごまかすためにわざと無表情を装っていたのです」
マーシャルは眉を少し寄せて、困ったような、申し訳なさそうな顔してそう言った。
しかしそこには、照れた様子は微塵もなかった。リシェルが「たくさんたくさん貴方を思っていました」と盛大な愛の告白をしたというのに。
(気付かなかったのかしら? もっとはっきりと言わないとだめなのかしら? それとも、もしかして鈍感なのかしら?
きっとそうよ。私だけでなく、たくさんの美しいご令嬢に言い寄られても平然と無視できる方なのだから)
そう思った彼女はマーシャルの両手をしっかりと掴んでこう告げたのだ。
「マーシャル様、私は貴方のことが好きなのです。いいえ、愛しているのです。十歳のときからずっと」
「はい。分かっていました。私も貴女をずっと愛してきましたから」
マーシャルは満面の笑みを浮かべてそう言った。いかにも当然でしょう、とばかりに。
しかしリシェルは納得がいかなかった。
「いつから私を?」
「はっきりとは申せませんが、チャールド殿下のことでご依頼されたとき、なんて優しい方なのだろうと、好感を持ちました。
そして王宮でお会いてお話を交わしていく度に、真面目で誠実で人に対して思い遣りのある殿下に惹かれていきました」
「なぜそのことを言ってくださらなかったの?」
「私の立場では、自分の思いを告げることは許されておりませんでしたので」
マデリンの言うとおりだった。臣下が王族に思いを告げるなんてことはしてはいけない行為だったのだ。リシェルはようやく納得した。
(やっぱりお子様だったのだわ。そんなことにも気付かず、好かれていないと一人で悲劇のヒロインを気取っていたなんて)
「当時は恋だと自覚していませんでしたが、学問だけでなく武芸にも一層励むようになったのは、殿下のために少しでも役に立つ人間になりたかったからだと思います」
それを聞いたリシェルは気不味い思いがした。彼が自覚していなかったのは、無意識のうちに姉に誘導されていたからだと知ってしまったからだ。
でも根が真面目な彼女はそれを隠してはおけなかった。
「私はマーシャル様に謝らなければならないことがあります。
貴方は学生時代をご学友とゆっくりと楽しむことも、お好きなこともできず、王家のために辛くて厳しい訓練や、学園以外の勉強を強要させられていました。
それは私が兄の見本になって欲しいなどと、図々しいお願いをしたせいです。
王宮でも手に負えなかった兄達の世話を、同じ年の貴方にお願いするなんて、本当にどうかしていました。
しかも、姉がとんでもない嘘をついたせいで、貴方に過酷な魔物退治までさせて、貴方だけでなく、コルトン伯爵夫妻にも多大なご心配やご迷惑をおかけしてしまいました。大変申し訳ありませんでした」
リシェルが頭を下げると、マーシャルは笑みを消して慌てた。
「頭を上げて下さい。殿下が私に謝罪されることなんて、何一つないのですから。むしろキャスリィー王太子妃殿下には感謝しているのですよ。
あの日お声を掛けて頂かなかったら、きっと私は未だに恋の一つもできない、つまらない人生を送っていたことでしょう。
それに……そもそも私はキャスリィー殿下に騙されてなどいませんし、リシェル殿下を誤解もしていません。
ですから謝られることはないのですよ」
「いいえ。マーシャル様は姉から私の好みの男性像など聞かされて、それで無理をなさっていたのでしょう?」
するとマーシャルは「ああ!」と声を上げた。ようやくリシェルの言葉の意味を理解したのだ。
彼は握った左手の拳を口に当てて、クスクスと笑った。
「嘘というのは、リシェル殿下が筋骨隆々の野性味がある男性が好みだというお話ですか?」
「ええ、それです。違いますからね! 筋肉ムキムキな男性は苦手です。私はマーシャル様のような痩せマッチョの方が……あわわっ! 今のは無し!」
うら若き乙女だというのに、思わず余計なことを言ってしまい、彼女は真っ赤になって狼狽えた。
「分かっています。筋肉ムキムキでワイルドな男性がお好きなのは、貴女の姉君ですよね」
マーシャルの言葉にリシェルは瞠目した。
「ご存知だったの?」
「ええ。私の兄のゴードルは、キャスリィー王太子妃殿下の幼なじみで同級生でしたからね」
こともなげに彼はそう言ったのだった




