第9話 食料はある。ただし、届かない
翌朝。
北方旧鉱山領の空気は、ひどく乾いていた。夜明けとともに吹く風が、土と石の匂いを町に運んでくる。
アレクシス・フォン・グランツは、町役場として使われている石造りの建物に立っていた。かつては鉱山管理所だったらしく、無駄に広いが、今はその半分以上が使われていない。
長机の上には、集められた帳簿と報告書が積まれている。
「……これで、全倉庫分ですか」
「はい。確認できた限りは」
答えたのは、昨日も対応していた中年の役人だった。顔色は冴えず、目の下には濃い隈がある。
アレクシスは一冊ずつ帳簿をめくっていく。筆跡はまちまちで、記載方法も統一されていない。日付が抜けているもの、数量の単位が曖昧なもの、そもそも合計が合っていないものもある。
――想像以上だな。
だが、致命的ではない。
「食料そのものは、ありますね」
「……ええ。飢饉というほどでは」
役人は、どこか歯切れ悪く答えた。
「では、なぜ飢えている者が出る?」
その問いに、役人はすぐ答えられなかった。
「倉庫の位置がばらばらで……運ぶ手段も限られていて……それに……」
「それに?」
「……一部が、途中で消えます」
小さな声だったが、はっきりとした告白だった。
アレクシスは頷いた。
予想通りだ。
食料が足りないのではない。
**食料が、届いていない。**
しかも、その原因は自然でも外敵でもない。人為的な歪みだ。
「誰が?」
「……はっきりとは」
役人は視線を落とす。
「倉庫番、運送人、町の有力者……関わっていない者の方が少ないかもしれません」
沈黙が落ちる。
これは、単純な不正ではない。生き残るための、歪んだ適応だ。
アレクシスは帳簿を閉じ、指先で机を軽く叩いた。
「今日から、配給を統一します」
役人が顔を上げる。
「……統一、ですか」
「ええ。倉庫ごとの差はなくします。誰であっても、同じ基準で」
一瞬の沈黙。
そして、役人の表情が曇る。
「それは……反発が出ます」
「承知しています」
即答だった。
「今まで多く受け取っていた者は、確実に不満を持つでしょう」
「でしょうね」
「暴動になる可能性も……」
アレクシスは、そこでようやく役人を見た。
「暴動は、準備不足が原因です」
淡々とした声だった。
「事前に告知し、理由を説明し、代替案を示す。それでも暴れるなら、それは食料の問題ではありません」
役人は言葉を失った。
多くの領主は、こうした問題に直面すると、力で押さえ込むか、あるいは見て見ぬふりをする。だが、目の前の男は、どちらも選ばなかった。
「ただし」
アレクシスは続ける。
「今日は“止める”だけです」
「……止める?」
「不正な持ち出しを、です。罰は後回しにします」
ここで罰を与えれば、倉庫は回らなくなる。現場を知っている者まで排除してしまえば、物流そのものが崩壊する。
――まず、流れを把握する。
それが、設計の第一段階だ。
「配給の実務を担当する者を集めてください。全員です」
「……分かりました」
役人は戸惑いながらも、頷いた。
昼前。
倉庫前には、人が集まり始めていた。
住民たちの視線は、警戒と不安が入り混じっている。噂はすでに広がっていた。新しい領主が、配給を変えるらしい、と。
「また上が来て、好き勝手やるだけだ」
「どうせ、俺たちが損をする」
そんな声が、あちこちから聞こえる。
アレクシスは、高台に立ち、全体を見渡した。
数は多くない。だが、感情は揺れている。
「本日より、配給方法を変更します」
大声で叫ぶことはしない。それでも、不思議と声は届いた。
「理由は単純です。今のやり方では、必要な者に届いていない」
ざわめきが起きる。
「誰が得をしているか、誰が損をしているか――それを、今日ここで確定させるつもりはありません」
その言葉に、空気が少し変わった。
「まずは、全員に同じ量を配ります」
反発の声が上がる。
「ふざけるな!」
「俺たちは働いてる!」
アレクシスは、遮らずに聞いた。
そして、静かに言う。
「働いている者が報われない仕組みは、長く持ちません」
一拍。
「だから、これは暫定です」
完全な解決ではない。だが、方向性は示した。
人々の不満は消えていない。むしろ、増幅している部分もある。
――だが。
今日、誰かが餓死することはない。
それだけで、この一手には意味があった。
アレクシスは、人々のざわめきを背に、倉庫を後にした。
まだ、始まったばかりだ。
食料はある。
ただし――**届かせるには、もう一段階、踏み込む必要がある。**
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