第4話 外された役職の数が、多すぎる
王城に、通達が回り始めたのは、その日の午後だった。
最初は、静かなものだった。回廊を行き交う文官たちの足取りが、わずかに慌ただしくなる程度。だが、時間が経つにつれ、その変化は誰の目にも明らかになっていく。
アレクシス・フォン・グランツの名が、次々と書類から消えていった。
王室財政顧問――解任。
軍需調整官――解任。
北方領監査責任者――解任。
王都穀物備蓄管理補佐――解任。
それらはすべて、一枚一枚、正式な書式で届けられた。文面は簡潔で、感情の入る余地はない。
アレクシスは、それを一通ずつ確認し、署名をしていった。
机の上に積み重なっていく紙の束は、まるでこれまでの時間を可視化したかのようだった。
「……これは、さすがに」
執務室に同席していた若い文官が、思わず声を漏らす。彼は顔色を失い、書類の山を見つめていた。
「多すぎる、ですか」
アレクシスは淡々と答える。
「はい。いえ、その……一人の人間が、ここまで……」
言葉を濁す文官に、アレクシスは視線を向けた。
「ご存じなかったのですか」
「……正直に言えば」
文官は小さく頷いた。
それはそうだろう。役職名だけを並べれば、どれも補佐や調整といった、目立たないものばかりだ。だが、それらは互いに密接につながっていた。
財政を知らずに軍需は組めない。
備蓄を把握せずに、補助金は出せない。
領地の実情を知らずに、税を決めてはいけない。
その“つなぎ目”を、アレクシスは担っていた。
――だから、外すなら全部外すしかない。
中途半端に残せば、逆に歪みが露呈する。王太子側の判断は、ある意味で合理的だった。
問題は。
それを代替できる人材が、用意されていないことだった。
「引き継ぎ書は、どこまで必要でしょうか」
文官の問いに、アレクシスは少し考える。
「最低限で構いません」
「最低限……?」
「通常業務を行うための手順だけです。例外処理や、将来予測は――」
そこで、言葉を切った。
「……不要でしょう」
それ以上を書いても、理解されない。むしろ、余計な混乱を招くだけだ。
文官は、何か言いたげに口を開きかけたが、結局何も言わずに頭を下げた。
夕刻。
老宰相ハロルド・ベルンが、再び執務室を訪れた。彼は机の上の書類を一瞥し、深く息を吐く。
「想像以上だな」
「ええ」
それだけで、十分だった。
「……止めるべきだったかもしれん」
ハロルドのその言葉に、アレクシスは首を横に振る。
「いいえ。いずれ、こうなっていました」
婚約が続いていたとしても、遅かれ早かれ。役割が曖昧なまま拡大した仕事は、必ず整理される。
「ただ――」
アレクシスは、書架の方を見た。
「整理するには、順序というものがあります」
ハロルドは、その意味を理解していた。だからこそ、何も言えなかった。
夜。
執務室の明かりが落とされる前、アレクシスは最後の作業に取りかかった。
鍵のかかった引き出しを開き、中から数冊の帳簿を取り出す。どれも、公式記録ではない。だが、最も正確な数字が書かれている。
それらを、静かに棚へ戻す。
鍵を閉め、机の上に置いた。
「これで……正式に、私の仕事ではありません」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
扉を閉める直前、アレクシスは一度だけ、部屋を振り返った。
ここには、答えが残っている。
だが、それを読む者がいなければ、ただの紙だ。
廊下に出ると、遠くで鐘の音が鳴っていた。
その音は、王城にとっては何の変哲もない一日の終わりを告げるものだった。
――だが、歯車は確かに、ずれ始めている。
静かに、確実に。
それを知っている者は、まだ少なかった。




