第25話 軍需は、感情では回らない
国境での小競り合いは、大事には至らなかった。
だが問題は、戦闘そのものではない。
「補給が遅れた理由を説明しろ」
王太子カイルの声が、役場の会議室に響く。
軍需局の将官が、顔色を変えながら報告する。
「在庫はあった。だが、輸送記録に不整合があり、確認に時間を要した」
「不整合?」
「帳簿が二重管理でした」
沈黙が落ちる。
王都の軍需帳簿は、例外と慣例の積み重ねだ。
特定貴族の倉庫は別枠。
緊急時は口頭承認。
補填は後日。
それが“柔軟性”だと信じられてきた。
「……結果として、補給が遅れた」
カイルは、低く言った。
財務官が、視線を横に滑らせる。
その先にいるのは、アレクシス・フォン・グランツ。
彼は、何も言わない。
問われない限り、口を挟まない。
やがて、カイルが視線を向ける。
「意見は」
短い問い。
アレクシスは、即答しない。
数秒の沈黙。
「原因は、量ではありません」
「何だと」
「流れです」
静かな声だった。
「在庫があっても、所在が曖昧なら意味がない」
軍需局の将官が、顔をしかめる。
「王都の制度を否定するのか」
「否定ではありません」
アレクシスは首を振る。
「設計の話です」
再び、その言葉。
「軍需は、例外を許容できます。だが、その記録が共有されていなければ、柔軟性は混乱になります」
誰も、即座には反論できなかった。
事実だからだ。
「改善案は」
カイルの声は、硬い。
「二重帳簿の廃止」
「緊急承認の即時記録化」
「倉庫ごとの統一番号管理」
簡潔。
実務的。
軍需局の将官が、唸る。
「それをやれば、特権倉庫が……」
「透明になります」
言い切る。
会議室の空気が凍る。
特権倉庫。
それは、ルーファス・オルデン侯爵の影響下にある。
沈黙。
カイルは、目を閉じた。
今ここで拒めば、軍需の混乱は続く。
受け入れれば、保守派が揺らぐ。
「……試験導入だ」
ようやく出た言葉。
「限定区域で実施する」
将官が驚き、財務官が息を呑む。
それは事実上の採用だった。
アレクシスは、表情を変えない。
「承知しました」
それだけ。
夜。
オルデン侯爵邸。
「軍需再編?」
ルーファスの声が低く響く。
「はい。試験導入とのことですが」
沈黙。
やがて、彼は笑った。
「なるほど」
怒りではない。
計算だ。
「王太子は、揺れている」
側近が問う。
「止めますか」
「いや」
ルーファスは首を振る。
「揺らす」
制度は、透明化する。
透明になれば、誰が利益を得ているか見える。
見えれば、恨みも見える。
「彼に、敵を増やしてもらおう」
翌日。
王都の一角で、倉庫番号の再整理が始まった。
混乱はある。
反発もある。
だが、数字は整い始める。
セシリアは、静かにそれを見守っていた。
「兄上は、一歩踏み出しました」
「ええ」
アレクシスは答える。
「ですが、戻ることもできます」
「戻りますか」
「分かりません」
王都は、まだ決断していない。
だが一つだけ、確実なことがある。
軍需は、感情では回らない。
そして今――
王都は、初めてそれを自覚し始めた。




