第2話 王太子は、地味だと笑った
広間を満たしていたざわめきは、王太子の宣言を境に、質を変えた。
驚き、興奮、そして――好奇。
それらが混ざり合った視線が、一斉にアレクシスへと向けられる。まるで舞台上の役者を見るかのような、無責任な視線だった。
カイル・フォン・レーヴェンは、わずかに顎を上げ、あらかじめ用意していた言葉を口にする。
「理由は単純だ。グランツ伯は……あまりにも地味だ」
一瞬、空気が止まった。
そして次の瞬間、誰かが吹き出す。それをきっかけに、押し殺した笑いが広間のあちこちから漏れ始めた。
「国母となる者には、威厳と華が必要だ」
「だが彼には、それがない」
「書類仕事ばかりで、社交の場でも存在感が薄い」
一つ一つの言葉は、刃のように鋭いわけではない。だが、鈍く、確実に人の尊厳を削る類のものだった。
アレクシスは、静かにそれを聞いていた。
反論しようと思えば、できた。
財政の立て直しに、誰がどれだけ関わったのか。
軍需の調整を、誰が夜通し行ってきたのか。
王太子が「成果」として誇ってきた数字の裏に、どれほどの修正と妥協があったのか。
だが、それを語ることに、意味はない。
この場は、説明をする場ではなく、結論を発表する場だ。
カイルは続ける。
「私は、新たな婚約者として、セシリア・アルトネール嬢を迎える」
その名が告げられると、先ほど隣に立っていた令嬢が一歩前に出た。完璧な所作で一礼し、柔らかな微笑を浮かべる。
「皆さま、よろしくお願いいたします」
その姿は、まさに“理想の王太子妃”だった。
華やかで、愛想がよく、誰の目にも分かりやすい。
――なるほど。
アレクシスは、内心で頷いた。選ばれた理由が、手に取るように分かる。
隣に立ったとき、映えるかどうか。
祝祭の場で、拍手を集められるかどうか。
それが、判断基準だったのだ。
「……グランツ伯」
王太子の視線が、再びアレクシスを捉える。
「君も、異論はないだろう?」
問いかけの形をしているが、答えは決まっている。ここで感情的に反発すれば、「未練がましい」「器が小さい」という評価が上書きされるだけだ。
アレクシスは、一歩前に出た。
背筋を伸ばし、静かに頭を下げる。
「承知しました」
その声は、広間のどこにも引っかからず、淡々と響いた。
一瞬、空気がずれる。
怒号も、抗議も、涙もない。その反応は、周囲の期待を裏切るものだった。
「……それだけか?」
思わず、カイルが口を滑らせる。
アレクシスは顔を上げ、王太子を見た。その表情には、恨みも悲嘆もなかった。ただ、事務的な確認をするような目だった。
「はい。王太子殿下のご判断であれば、従います」
それ以上でも、それ以下でもない。
ざわめきが再び広がる。
「つまらない男だな」
「さすがに、少しは取り乱すかと思ったが」
「やはり、華がない」
好き勝手な言葉が飛び交う中で、アレクシスは一人、別のことを考えていた。
――これで、正式に役職の整理が入る。
婚約破棄は、感情の問題ではない。政治的な手続きだ。そしてそれに付随して、彼が担ってきた“裏の仕事”も、整理される。
それを、誰が引き継ぐのか。
いや――引き継げる者が、いるのか。
王太子は満足げに頷き、場を締めくくろうとする。
「では、この件については以上だ。各位、今後とも王国のため――」
その言葉を、アレクシスは最後まで聞かなかった。
頭を下げ、静かに一歩、また一歩と後ろへ下がる。
拍手はない。
だが、確かに何かが終わった音がした。
アレクシス・フォン・グランツは、婚約者の座を失った。
そして同時に――
これまで“好意で”引き受けてきた仕事を、すべて手放す理由を得たのだった。




