第19話 王都は、無視できなくなる
王都の空気は、相変わらず華やかだった。
舞踏会、晩餐会、貴族の社交。灯りは絶えず、音楽は止まらない。表面上は、何一つ変わっていない。
だが、執務棟の奥――財務局と軍需局の会議室だけは違った。
「……この報告は事実か?」
王太子カイル・フォン・レーヴェンは、机に置かれた書類を睨んでいた。
封蝋は、北方旧鉱山領。
「はい。再確認済みです」
財務官が答える。
「補助金を前提としない黒字転換……?」
「帳簿上は、そうなっています」
軍需局の将官が、苛立ちを隠さず言った。
「あり得ん。あの領地は、死にかけていたはずだ」
「三か月前までは、そうでした」
空気が重くなる。
カイルは、報告書をめくった。
無駄がない。
誇張もない。
数字は整然と並んでいる。
そして何より――
“言い訳”がない。
「偶然だろう」
そう言ったが、声には確信がなかった。
「一時的な回復です。持続はしません」
財務官は沈黙した。
否定できない。
「補助金削減の可能性あり、とあるが」
「はい。次年度は半減できる見込みと」
その一文が、最も厄介だった。
補助金は、王都にとって“支配の道具”でもある。
依存している領地は、扱いやすい。
自立する領地は――
面倒だ。
「……宰相はどう見る」
老宰相ハロルド・ベルンが、一歩前に出た。
「事実であれば、放置はできません」
「なぜだ」
「理由は二つ」
静かな声。
「一つ。制度が再現可能であれば、他領にも波及します」
「……」
「二つ。もし失敗した場合、責任は王都に返ってきます」
沈黙。
つまり――
無視しても危険。
干渉しても危険。
カイルは、椅子の背に体を預けた。
「……呼び戻すか?」
その言葉に、部屋がわずかにざわめいた。
「それは早計かと」
財務官が言う。
「まだ成果は限定的です」
「だが、成果は出ている」
ハロルドが静かに言った。
「問題は、彼が“何をしているか”ではありません」
「何だと言う」
「“何が再現可能か”です」
制度が再現可能ならば、
王都の中央集権設計を揺るがす。
その意味を、カイルは理解していた。
だが、認めたくはなかった。
「……視察だ」
やがて、彼は言った。
「直接見る」
その決断に、誰も反対しなかった。
だが、その場にいなかった一人だけが、別の反応を示していた。
王城の高塔。
第一王女セシリア・レーヴェンは、同じ報告書を静かに読んでいた。
「……遅かったですね」
誰に向けた言葉でもない。
彼女は、書類の一文を指でなぞる。
“現物納税制度の継続”
唇に、わずかな笑みが浮かぶ。
「ようやく、使える駒ではなくなった」
窓の外、王都の街を見下ろす。
王太子は、彼を歯車と見た。
だが彼は――
設計者だった。
「視察に同行します」
侍女が、驚いて顔を上げる。
「殿下が?」
「ええ」
セシリアは、報告書を閉じた。
「無視できなくなったのなら、確認するしかありません」
王都は、まだ揺れていない。
だが。
揺れる前の、静かなひびが入った。
北方の地図の端から届いた一通の報告が、
王都の中心に、確実な違和感を残した。
それはまだ、ざわめきにもならない。
だが――
歯車は、再び動き始めていた。




