第16話 隣領からの使者
使者が現れたのは、昼過ぎだった。
町の正門に、紋章入りの馬車が止まる。装飾は控えめだが、隣領――ヴァルデン子爵領の正式な使者であることは一目で分かった。
「……来たな」
報告を受けたマルティナ・ヴォルフが、舌打ちする。
「ずいぶん早いですね」
リーゼロッテ・ハインツは、帳簿から顔を上げた。
「数字が動けば、気づきます。特に、都合の悪い動きには」
アレクシス・フォン・グランツは、静かに頷いた。
「通してください」
応接室に通された使者は、三十代半ばの男だった。整った身なりと、柔らかな笑み。敵意を前面に出すタイプではない。
「ヴァルデン子爵の名代として参りました。エルンストと申します」
「アレクシス・フォン・グランツです」
簡単な挨拶の後、用件に入る。
「最近、貴領の市況が安定していると聞きまして」
あくまで“世間話”の口調だ。
「ありがたいことです」
「独自の税制を導入されたとか」
「ええ」
否定もしない。
エルンストは、にこやかなまま言った。
「実は、少々困ったことが起きておりまして」
間。
「貴領の市場に、我が領の商人が流れているのです」
リーゼロッテが、即座に理解した。
「価格差、ですね」
「ええ。結果として、我が領の市が冷え込みまして」
困っている、というより――不満だ。
「そこで、お願いがあります」
エルンストは、少しだけ声を落とす。
「貴領の穀物取引を、一定期間、制限していただけないでしょうか」
部屋の空気が、はっきりと変わった。
マルティナの視線が鋭くなる。
「それは、干渉だな」
「協調、と言っていただきたい」
エルンストは、表情を崩さない。
「小領同士、無用な摩擦は避けたいのです」
アレクシスは、少し考える素振りを見せた。
「もし、断れば?」
「……交易路の使用を、見直すことになるでしょう」
遠回しな脅しだった。
この領地は、外との交易路を隣領に依存している。そこを締められれば、物流は一気に滞る。
リーゼロッテが、小さく息を吸った。
「かなり露骨ですね」
「合法の範囲です」
エルンストは言う。
「我が領の道ですから」
沈黙。
アレクシスは、机に置かれた書状に視線を落とした。
――来ると思っていた。
だが、思っていたより早い。
「返答は、後日でも?」
エルンストが促す。
「いいえ」
アレクシスは顔を上げた。
「今、返します」
その言葉に、使者の眉がわずかに動く。
「交易制限は、受け入れられません」
はっきりとした拒否。
「それは……」
「理由は単純です」
アレクシスは続ける。
「我が領は、まだ立て直しの途中です。ここで流通を止めれば、住民が困る」
「ですが、我が領も――」
「承知しています」
遮らず、しかし引かない。
「ですが、それは我が領の責任ではありません」
エルンストは、しばらく黙った。
やがて、笑みを深める。
「……強気ですね」
「現実的です」
その場は、それで終わった。
使者は丁寧に一礼し、馬車で去っていく。
扉が閉まった後、マルティナが言った。
「これで、道は締められるな」
「ええ」
リーゼロッテも頷く。
「交易量、確実に落ちます」
それは、小さくない打撃だった。
アレクシスは、地図を広げる。
「……予定より早いですが」
指で、別の線をなぞる。
「代替ルートを、使います」
リーゼロッテの目が、細くなる。
「……まさか」
「はい」
マルティナが、低く笑った。
「元盗賊たちの“裏道”か」
正規の街道ではない。だが、存在する。
表の道を塞がれるなら、別の道を通す。
それは、綺麗なやり方ではない。
だが、生き残るための現実だ。
数日後。
予想通り、隣領は交易路の使用を制限した。
だが、町は止まらなかった。
物資は届き、配給は乱れず、市場は機能し続ける。
表向き、理由は分からない。
――だが。
周辺領は、気づき始めていた。
この辺境領は、
**簡単には締め上げられない**、と。
小さな敗北は、回避された。
だが同時に、はっきりした。
ここから先は、
“見過ごされる存在”ではいられない。




