第10話 均等配給という名の反発
均等配給が始まって三日目。
町の空気は、目に見えて荒れていた。
配給所の前には、朝から人が並ぶ。以前より列は整然としているが、その分、苛立ちが濃くなっていた。声を荒げる者、腕を組んで睨みつける者、無言で地面を蹴る者。
「……減ってるじゃないか」
そう呟いたのは、年配の商人だった。以前は、顔を利かせれば多少多めに回してもらえた。今はそれがない。
「同じ量です」
倉庫番が事務的に答える。
「俺は町に食料を流してきたんだぞ」
「今は全員、同じ基準です」
商人は舌打ちし、背を向けた。
別の場所では、もっと露骨な不満が噴き出していた。
「俺たちは毎日働いてる!」
「何もしない連中と同じだっていうのか!」
市場の一角で、数人の男たちが声を荒げている。周囲の視線が集まり、空気が張り詰めた。
――来たな。
その報告を受け、アレクシス・フォン・グランツは、役場から市場へ向かっていた。
彼の隣を歩くのは、屈強な体格の女だった。
短く切りそろえられた赤髪、日に焼けた肌。革鎧の下から覗く腕には、無駄のない筋肉がついている。
マルティナ・ヴォルフ。
この領地の治安部隊を実質的にまとめている女であり、元傭兵団長だ。
「正直に言う」
歩きながら、マルティナが低い声で言った。
「このやり方、長くはもたない」
「理由は?」
「不満が溜まりすぎる。腹が減る前に、感情が爆発する」
率直な評価だった。
「力で抑えれば、今は静かになる」
「その後は?」
「恨みが残る」
マルティナは、肩をすくめる。
「だが、治安を預かる側としては、それでも“今”を選ぶことが多い」
市場に着くと、案の定、騒ぎは大きくなっていた。
「領主を呼べ!」
「説明しろ!」
誰かが叫び、それに呼応する声が上がる。
アレクシスは、一歩前に出た。
「呼ばれましたが」
ざわめきが、一瞬で静まる。
誰もが、思っていたよりずっと若く、ずっと落ち着いた男を前に、言葉を失った。
「均等配給は、不公平だ」
最初に口を開いたのは、先ほどの商人だった。
「俺たちは、この町を回してきた。貢献してきた人間と、そうでない人間を、同じに扱うのはおかしい」
周囲から、同意の声が上がる。
アレクシスは、すぐには答えなかった。
人々の顔を、一人ずつ見る。
「あなたの言う通りです」
その言葉に、ざわめきが走る。
「貢献の度合いは、同じではない」
商人が、勝ち誇ったように頷きかけた、その時。
「だから、この配給は“暫定”です」
空気が止まる。
「今は、誰がどれだけ働いているかを、正確に把握できていない。曖昧なまま差をつければ、必ず不正が生まれる」
不満げな視線が向けられる。
「不正を許したまま配れば、最終的に一番損をするのは、真面目に働く人間です」
誰も、反論できなかった。
だが、納得したわけでもない。
「じゃあ、いつまでだ!」
怒鳴り声が飛ぶ。
アレクシスは、少しだけ視線を伏せた。
「……思っていたより、時間がかかっています」
それは、正直な言葉だった。
市場がざわつく。
マルティナが、彼の隣で一歩前に出ようとした。力で押さえる判断だ。
だが、アレクシスは小さく首を振る。
「今日のところは、これ以上の変更はありません」
その宣言に、不満はさらに高まった。
怒号。
罵声。
石を掴む者。
――失敗だ。
アレクシスは、はっきりとそう認識していた。
正しいが、遅い。
合理的だが、感情を読み切れていない。
結果、市場はその日の午後、事実上機能しなくなった。
取引は止まり、人々は帰宅し、不満だけが残る。
夕方。
役場に戻ったアレクシスに、マルティナが言った。
「言っただろう。甘いと」
「ええ」
否定しない。
「だから、次の一手が必要です」
マルティナは、じっと彼を見つめた。
「……面白い領主だな」
失敗を失敗と認める男は、珍しい。
「で、次は?」
アレクシスは、机の上に広げた地図に視線を落とす。
「“働いた者が報われる”を、言葉ではなく、形で示します」
均等配給は、限界が見えた。
次は――踏み込む。
その一歩が、この領地の運命を分けることになる。




