1.王子になる。鳥がいる。
「――では、婚約者候補の選定、
まずはパトリシア鳥ということで。おめでとうございます、エドワード殿下」
重厚な扉が閉まる音と共に、俺の意識は急速に覚醒した。
……いや、待て。 俺は確か、
残業帰りにコンビニの鶏めしおにぎりを喉に詰まらせて――。
「……ここ、は?」
見覚えのない、豪華絢爛な客間。
そして鏡に映る自分は描いたような金髪碧眼の美少年。
いわゆる「異世界転生」というやつだろうか。
脳内に「エドワード王子」としての記憶が濁流のように流れ込んでくる。
よし、状況は理解した。俺は王子だ。
そして、目の前には、
今まさに俺の『第一婚約者候補』を決定したばかりの国王(親父)と宰相がいる。
……で。 その横の、
豪華な刺繍が施されたクッションの上に鎮座している『それ』は、一体なんだ?
「……父上」
「なんだい、エドワード。そんなに感極まった顔をして。
パトリシア鳥は、我が国でも指折りの美貌を誇る公爵令鳥だ。
お前にぴったりだろう?」
「……父上、今、なんと?」
俺――エドワードは、震える指先を目の前の『候補者』へと向けた。
そこにいるのは、
頬にある鮮やかなオレンジ色の斑紋が愛らしい、
一羽のオカメインコだ。
体長は約30センチといったところか。
ご丁寧に特注と思われる小さなティアラを頭の冠羽の付け根に戴き、
首元には大粒のサファイアが輝くレースの首輪を巻いている。
「……パトリシア鳥、ですわ。エドワード様」
その『鳥』が、口を開きました。
いえ、正確には嘴をパクパクと動かしたのです。
驚いたことに、その声は鈴を転がすような、
あまりにも可憐な令嬢そのものの響きでした。
「お初にお目にかかります。
わたくし、今日から貴方の婚約者となるパトリシア・フォン・ルチノーです。
どうぞ、パティとお呼びになって? ぽふっ」
語尾に何か羽毛が膨らむ音が混じった。
彼女は短い脚でトテトテとクッションの上を歩き、
深々とお辞儀(……というか、首を前方に激しく振る動作)をしてみせました。
「いや、待て。待ってくれ。……オカメインコだよね?
どこからどう見ても、チークパッチがキュートなオカメインコだよね!?」
俺の叫びに、父上である国王は心底不思議そうに首を傾げました。
「何を言っているんだ、エドワード。彼女はルチノー公爵家の至宝、
パトリシア鳥じゃないか。その美しい黄金の羽、気品溢れる冠羽……。
これほど『悪役令鳥』として名高い淑女は他におらんぞ」
「悪役令鳥!? なんだその、語呂はいいけど不穏な肩書きは!」
混乱する俺をよそに、
パトリシア嬢――否、オカメインコは、不満げに「ピーッ!」と短く鳴きました。
「エドワード様。わたくしの姿をそのように……。
もしや、わたくしの美貌が眩しすぎて、直視できないと仰りたいのかしら?
おーほほほほ! ほわっ、ほわっ、ほわっ!」
高笑いと共に、彼女の周囲を黄色い粉(脂粉)が舞います。
宰相までもが「おお、なんと神々しい……」と涙を流して感動しているではないか。
おかしい。俺の正気か、この世界の狂気か。
一般男性だった俺の記憶が、
全力で『これは鳥だ』とアラートを鳴らしているのに、
この部屋にいる全員が彼女を『絶世の美女』として扱っている。
※ ※ ※
婚約の儀から数日。俺は淡い期待を抱いて学園へと登校した。
あの日見たのは、
きっと転生直後の高熱が見せた幻覚に違いない。
そう自分に言い聞かせて。
だが、学園の正門をくぐった瞬間にその希望は打ち砕かれた。
「あら、皆様ごきげんよう。……ピィッ!」
黄色い歓声が上がる中、中庭の噴水の上に彼女――パトリシア鳥はいた。
今日も今日とて、眩いばかりの黄色い羽をふわりと膨らませ、
特注の小さな制服(首元にリボンがついた前掛けのようなもの)を揺らしている。
「パトリシア様! 今日もなんてお美しい羽艶なんですの!」
「見て、あの冠羽の角度……。あの方こそ真の貴族だわ!」
令嬢たちが群がり、最高級のひまわりの種を捧げ持っている。
パトリシア鳥はそれを嘴で器用に受け取ると、
『ポリポリ』と軽快な音を立てて完食し、
満足げに片脚立ちでリラックスしていた。
「……父上だけじゃなかった。この学園、いや、この国全体が狂ってる」
俺は頭を押さえた。どう見ても鳥だ。
どこからどう見てもオカメインコだ。
勇気を出して、俺は彼女の取り巻きの令嬢に声をかけた。
「……なあ、君。失礼だが、彼女が『鳥』に見えたりはしないか?」
令嬢はハッと目を見開き、
信じられないものを見るような目で俺を見た。
「殿下、冗談がすぎますわ! パトリシア様を『鳥』だなんて……。
彼女のその自由奔放で気高い振る舞いが、
まるで大空を舞う鳥のように自由で美しいという比喩ですのね?
さすが殿下、早速お熱いことですわ!」
「違う、比喩じゃなくて形態の話を――」
その時だった。 噴水の上にいたパトリシアが、
不敵な笑み(に見える嘴の歪み)を浮かべた。
「おーほほほ! 全員、わたくしの美貌にひれ伏しなさい! ほわっ、ほわわっ!」
激しい羽ばたきと共に、噴水の水としぶき、
そして彼女特有の黄色い脂粉が、周囲にいたモブ生徒たちへ容赦なく降り注ぐ。
「わっ! 冷てっ!」
俺は慌てて顔を覆ったが、周囲の反応は真逆だった。
「……っ! 今、パトリシア様の聖なる水が私に……!」
一人の男子生徒が、濡れた頬を押さえながら震える声で呟いた。
「ああ……なんて光栄な。この水しぶき、
パトリシア様の芳しい『匂い』がいたしますわ!
まるで太陽の下で干したお布団のような香りが……!」
「見て! 私の服にパトリシア様の脂粉が!
これでもう一生洗濯できませんわ! 聖遺物ですもの!」
「パトリシア様! もっと! もっと水を撥ね飛ばしてくださいませ!」
熱狂的な歓声が上がる。
パトリシアは、内心で
「(えぇ……引くわ。人間ってこんなにドMだったっけ?)」
とドン引きしながらも、外面はあくまで傲慢に、嘴を高く突き上げた。
「エドワード様!」
バサバサッ、という力強い羽音と共に、
俺の肩にパトリシア嬢が着地した。
意外と重い。
そして、爪が肩に食い込んで地味に痛い。
「あら、わたくしとの婚約がそんなに嬉しいのかしら?
ずっとわたくしを見つめて。
……でも、あまりじろじろ見ないでくださる?
脂粉が服につきますわよ。おーほほほ!」
彼女は俺の耳元で高笑い(と、時折混ざる『ピョッ』という鳴き声)を響かせる。
ふと横を見ると彼女は隙を突いて
俺の金髪を嘴で丁寧に毛繕い(プレニング)し始めていた。
「(……ふふ、この王子の髪、最高級の麻の実みたいな良い匂いがするわ。
人間界の贅沢は最高ね! ひまわりの種も食べ放題だし、
このままバレずに令嬢生活を謳歌してやるんだから……!)」
……聞こえる。 神のギフトか転生者の特典か、
彼女の『心の声』が丸聞こえだ。
こいつ、確信犯だ。自分がインコであることを自覚した上で、
この状況を利用して食っちゃ寝生活を満喫しようとしている!
「パトリシア……お前、本当は自分が何者か分かって――」
「ピー!! 何を仰っているのか分かりませんわ!
さあ、授業に遅れますわよ。早くわたくしを教室まで運んでくださる?」
彼女は堂々と俺の肩をタクシー代わりにして、
冠羽をピーンと立てて命令を下した。
周りの生徒たちは
「まあ! 王子にエスコート(?)させるなんて、
なんて悪役令鳥らしい不敵な振る舞い!」と、
うっとりした表情で拍手を送っている。
俺の異議申し立ては、
今日もまた、黄色い羽ばたきの中に掻き消されていった。
放課後、俺はパトリシアを誰もいない温室へと連れ出した。
正確には、彼女が
「今日はお日柄もよく、水浴び日和ですわ。
エドワード様、わたくしを温室の噴水までお連れなさい」
と偉そうに命じたからなのだが。
周囲に人がいないことを確認し、
俺は肩に乗った黄金の塊――もとい、婚約者候補に切り出した。
「おい、もういいだろう。白状しろ。
……お前、中身は人間なんだろ? それも、俺と同じ『転生者』だ」
噴水の縁で羽をバサバサと振るわせていたパトリシアが、
ピタリと動きを止めた。 つぶらな瞳が、瞬きもせずに俺を射抜く。
「……あら。エドワード様、何を仰っていますの?
わたくしは高貴なパトリシア・フォン……」
「とぼけるな。お前の心の声、俺には全部聞こえてるんだよ。
『ひまわりの種うめー』とか『バレなきゃラッキー』とかな!」
その瞬間。 パトリシアの冠羽が、
これまでにないほど垂直に「ピーン!」と立ち上がった。
「…………マジなの? 全部聞こえてたの?」
鈴を転がすような令嬢の声が、一瞬で「素」のトーンに変わる。
彼女はトテトテと俺の目の前まで歩いてくると、
嘴の先で自分の胸元(羽毛)を指した。
「というか、あなたも転生者だったわけ?
道理で一人だけ、私を見て『インコだインコだ』って騒いでると思ったわよ
(盲目なのかしら……冠羽を見ればわかる通りオウムなんですけど……)」
「やっぱり自覚あったのか……! オカメインコなんだからインコでいいだろ。
それよりなんでお前、インコのまま公爵令嬢なんてやってるんだよ。
普通、転生したら人間の姿になるもんじゃないのか?」
俺の問いに、パトリシア(インコ)は深いため息をついた。
いや、実際には「プフゥッ」と鼻から空気が抜けるような音だったが。
「私だって、最初は驚いたわよ。……でもね、私、元から人間じゃないの」
「……は?」
「前世から、オカメインコだったのよ。日本の田中さんって家で飼われてたの。
でも不慮の事故(窓の閉め忘れ)で迷子になって、
気づいたらこの世界の『パトリシア鳥』に転生してたってわけ」
衝撃の事実だった。 人間からインコになったのではなく、
インコがインコとして異世界転生したというのか。
「神様っていうのが出てきてね、
『君、言葉が通じなくて苦労したみたいだから、
次は喋れるようにしてあげる。整合性もとっておくからね』
って言われたの。」
「それで目が覚めたら、公爵家の庭でこの姿。
周りの人は
『まあパトリシア様、今日も素晴らしい冠羽ですわ!』
なんて跪いてるし……」
パトリシアは、どこか遠い目(と言っても横向きだが)をして語る。
「まぁこれからもよろしくお願いしますわ。エドワード王子!」
そう言ってお話はここまでと言わんばかりに、
水浴びしに飛んで行った。
「あ、おい! まだ話は――」
呼びかける俺の目の前で、パトリシアは豪快に噴水の水場へと飛び込んだ。
「おほほほ!」という令嬢らしい高笑いはどこへやら、
聞こえてくるのは「ピョイッ! ピョッ!」という野生味溢れる歓喜の声だ。
彼女は浅瀬で激しく羽をバタつかせ、全身で水を撥ね飛ばしている。
バシャバシャと周囲に飛び散る水しぶきが、
午後の柔らかな光に透けてキラキラと輝いた。
「ぷるぷるぷるっ!」
ひとしきり暴れた後、彼女は勢いよく身震いをして水気を飛ばした。
濡れて細くなった体は少し不格好だが、
そこから一気に羽を膨らませて『ぽふっ』と丸くなる。
「(……はぁー、生き返るわ。この世界の水、カルキ臭くなくて最高。
おまけにイケメン王子がタオル持って控えてるとか、
前世の田中さん家じゃ考えられないVIP待遇よね。
……さて、次はどのタイミングでひまわりの種をおねだりしようかしら)」
相変わらず聞こえてくる内心は、欲望に忠実で図々しい。
だが、濡れた冠羽をせっせと嘴で整え、満足げに目を細めているその姿は、
見ていて不思議と毒気を抜かれるものがあった。
……待て。 俺はあんな『鳥』と結婚するのか?
人間としての倫理観が『正気に戻れ』と叫んでいる。 しかし、だ。
打算まみれの貴族社会で、
こんなにも真っ直ぐ(?)に自分の幸せを追求している存在が他にいるだろうか。
それに、よく見ればあのオレンジ色のチークパッチ
……水に濡れてもなお、驚くほど鮮やかで愛くるしい。
「…………」
俺は無意識に、用意していた高級な麻のハンカチを彼女に差し出していた。
「ほら、風邪ひくぞ。パトリシア」
「あら、エドワード様。気が利きますわね。……ピョイッ!」
トテトテと短い脚を動かし、俺の手に飛び乗ってくる温かな重み。
指先に伝わる柔らかな羽毛の感触。
ふいに見上げた彼女のつぶらな瞳と視線がぶつかり、
俺の心臓が不自然なリズムを刻んだ。
「(……あれ。この王子、意外と優しいじゃない。
顔もいいし。……ま、私に惚れるのも無理ないわよね。
絶世の美女なんだから!)」
傲慢な心の声に呆れつつも、俺は思ってしまった。
この狂った世界で、この風変わりな
……いや、最高にキュートな『悪役令鳥』を隣に置くのも、
案外悪くないんじゃないか、と。
婚約破棄なんて、もう少し先でもいいかもしれない。
……いや、もしかしたら、ずっとこのままでも。
俺の心が、わずかに、
しかし確実に『鳥』の方へと傾き始めていた。




