スラムの薬師
夕方に差し掛かり、スラムに落ちる影の面積も増えた頃。
僕が様子を見ていた薬師の店からは不穏な空気が漂っていた。壁越しにも聞こえてくるのは、ドスを利かせた男性の声とそれに言い返す女性の声。
僕は身を潜めたまま、廃棄場の隙間を這い出して窓から様子を伺う。
店の中には二人の男が立っている。薄汚れた服に、粗野な雰囲気。武器は持っていないようだが、威圧感がある。
何か起きてるかはわからないけど和やかな様子じゃない。
僕は話の内容を聞くために店の扉のそばに近づく。
「何の用だい。薬なら売ってやるからさっさと金落として帰んな」
薬師の声。
「いやぁここに並んでるのに用は無くてな。ちょっとお前の研究について一緒に話がしてぇんだよ」
ヘラヘラとした男達に大人しく帰る様子はない。……とてもじゃないが彼らは研究者って出で立ちでもないし、彼女を利用しようという悪意を隠そうともしていない。
薬師は店のカウンターに立って男たちを睨め付けている。
黒い髪をポニーテールにした、若い女性。エプロンを身につけているが、その鋭い印象は薬師とはかけ離れている。
そして二人の男は、彼女を逃がさないように扉との間に立っている。
「……なんでもよぉ。お前は飲むだけで力をつける効率が一気に上がるポーションを作ろうとしてるらしいじゃねぇか。……別に奪い取ろうってわけじゃねぇ。いっちょ噛ませろって言ってんだよ」
男の一人が嫌らしい笑みを浮かべる。
「そいつは無理な相談だね。……大体あんたらが私に何を提供できるってんだい?」
薬師が冷静に断る。
「わかってねぇな。俺達はお願いしに来たわけじゃないんだよ。……まぁしょうがねぇな。ウチまで来てもっと深く話し合おうや。」
男が一歩前に出る。それを見て彼女が動いた。
カウンターの下から、小瓶を取り出して男に向かって投げつける。液体が男の顔にかかる。
「ぐおっ!目がっ!」
男が顔を押さえて悶える。
同時に薬師が小さな呪文を唱える。空気が揺らぎ、魔力が集まると小さな炎が、もう一人の男に向かって飛んで男の服が燃え上がる。
「うわあああっ!」
男が必死に火を消そうとする。……薬品と魔法を使いこなして、二人を制圧してしまった。
二人の男が床に倒れると薬師は燃えている服を鎮火させ、ほっと息をついた。
僕は扉のそばでその光景を見て安堵する。
薬師は大丈夫そうだ。これなら薬品の廃棄も続くだろう。——安心したその時だった。
僕の横の開きっぱなしの扉から、もう一人の男が侵入する。今倒れている二人に比べて体格の良い男。
二人を撃破して一息ついている薬師は彼に気付いていない。
手にはロープ。僕が鳴き声を上げるべきか判断しかねていると彼は薬師の背後から襲いかかる。
「なっ——!」
薬師は反応するも、何かする前にロープが彼女の体を拘束する。
腕と胴体をまとめられ、身動きが取れなくなる。
「油断したな、薬師さんよ」
リーダー格の男が嫌らしく笑う。
彼女が男をにらみつけるが、縛られた彼女にできることはない。
「離しなっ!」
薬師が叫ぶ。
「離すわけねぇだろ。……そこのバカ二人も言ってたろ?お前には一緒に来てもらう」
男が後ろでまとめられた彼女の髪をつかんで引きずろうとする。
……どうしよう。このままでは彼女がこの店に戻ってこれるかわからない。もしも戻ってこなければ薬品の廃棄は行われないことを意味する。
それに人が目の前で拉致されているのに、僕は見ているだけでいいのか?そんな考えも浮かんでくる。……けれど僕は魔物といっても、現状普通の猫と大して変わらない存在だ。一体何ができる?ここで彼女を助けようとして、彼らにとって価値のない僕は蹴り殺されてしまってもおかしくない。
迷っていると彼女が男に体当たりをして、彼が倒れこむ。大したダメージにはなっておらず二人の趨勢は変わらない、ほぼ意味のない抵抗だ。……けど男は薬師に顔を向け、扉のそばにいる僕には背を向ける形になった。……仕方ないか。薬の為だ。
僕は決意する。
扉から入り込んで、店の中を走り込む。
僕の肉球が床を叩く。隠密性に優れた僕の体は、全力で走ろうとも薬師を見下ろす男に気付かれることは無い。
リーダー格の男が気づく前に僕は男の足元から跳び、背中側からの不意打ちの形で男の顔に飛びつく。
「なっ——!」
男が驚く。
僕は爪を立てて、男の顔を引っ掻く。皮膚を切り裂き男の血が滲む。
「ぐあっ!何だこいつ!」
男が顔を押さえて怯みつつも僕に太い腕をぶつけて吹き飛ばす。
床にたたきつけられつつも、痛みを無視して薬師を拘束しているロープに飛びついた。
爪を立てて、ロープを切り裂く。一応僕だって魔物の端くれだ。そこらへんの猫よりも爪は鋭い。
そして——。
ロープがほどけ、薬師が自由になる。
「今だ!」
彼女がいまだ顔を抑えている男に向かって呪文を唱える。
魔力が集まり先程よりも強力な炎が男を襲う。
「ぐあぁぁっ!」
……燃やされて暴れていた男がやがて大人しくなり、店の中に静寂が訪れる。
三人の男が床に倒れている。
薬師が大きく息をつく。
「助かった……」
そして薬師は僕を見る。床に降り立ったまま、彼女を見上げる。僕を見る目は優しく細められていた。
「お前のおかげで助かったよ……と、ケガしてるじゃないか」
僕の体を持ち上げて確認する。男に吹き飛ばされた時にぶつけた体の側面に血が滲んでいる。
「手当てしなきゃね。……ちょっと待ってね」
彼女は気絶している男たちに最低限の処置を施すと、店の外に捨て置いて帰ってきた。
そして僕を抱えて店の二階へと向かった。
店の上は彼女の自宅だった。
階段を上がると、小さな部屋。簡素だが清潔で、薬草の匂いが漂っている。
彼女は僕をテーブルの上に乗せて、傷を確認する。
「ちょっと痛いかもしれないけど、我慢しなよ」
優しく声をかけながら、薬草を使って傷を手当てする。毛皮に刷り込まれた薬草の冷たい感触が傷に触れ少し沁みる。
「……はい、終わったよ。君、随分いい子だね」
彼女が僕の頭を撫でる。温かい手のひら。
僕は小さく鳴く。
「ニャ」
彼女が微笑む。
「ふふ、……ウチの子になるかい?」
そして——。
扉がノックもなく開けられた。
僕と彼女は驚いて扉を見る。
そこに立っていたのは——。
ノエル。
何故かパーティの魔導士が、驚いた表情でこちらを見ていた。
「ミラ、頼みたいことがあんだけど——って、ミーニャ!?なんで!?」
ノエルの声が僕を見て驚きに変わる。
「ノエル……」
ミラ……そう呼ばれた薬師が少し困ったような顔をする。
「なんでミーニャがここにいるのさ!」
ノエルが慌てて僕に近づいて抱き上げて僕を見つめる。
「この子、私を助けてくれたのよ」
ミラが穏やかに言う。
「え?」
ノエルが目を丸くする。
ミラが語り始める。
店に悪党が押し入ってきたこと。
二人を撃退したけれど、隠れていたリーダー格に不意打ちされたこと。
そして小さな黒猫が飛び込んできて、リーダー格を怯ませて、ロープを切ってくれたこと。
命の恩人だと。
そして二人が話しているのを聞いていると、どうやら幼馴染らしい。……ノエルの薬草の知識と調合の技術の出所は彼女か。
そして——。
ノエルが僕に向き直る。
「ミーニャ……」
ノエルが僕を見つめる。その目は優しく、温かい。
「アンタ、ミラを救ってくれたんだねぇ……」
ノエルが小さく呟く。
「ありがとうね、ミーニャ。アタシの大切な幼馴染を助けてくれて……」
ノエルが僕を抱きしめる。
……なんだかとてもデジャブを感じる。僕がレベルを下げるために行動して何故だが彼女等に感謝される展開。
カタリナ、リリアナに続いて、ノエルまで。
「ミーニャ、アンタは本当に……」
ノエルが僕を見つめる。
その眼差しは他の二人と同様、愛玩動物を見るものではなく大事な存在を見るものに変わっていた。
僕はノエルの腕の中で、にゃあと小さな声を上げるしかなかった。
ノエルが僕を撫でる。
優しい手つき。
そして、ミラに本題を切り出す。
「そうだ!ミラ。頼みたいことがあって来たんだよ」
ノエルが真剣な表情になる。
「何?」
ミラが尋ねる。
「……惚れ薬とか作れない?飲んだら一発でアタシに首ったけになるようなの」
ノエルが笑顔でとんでもないことを言っている。
なるほど、それで一人、こんなとこまで来たわけだ。
ミラが即座に答える。
「んなもん無ぇよ。自分で落としな」
昔馴染みだからか荒い口調できっぱりと否定する。
「……マジかぁ」
ノエルが落胆する。
「前言ってた勇者だろ?聞くところだと聖女と良い感じらしいけど……まぁ頑張りなよ」
ミラが諭すように言う。……まぁ聖女、つまりリリアナと良い感じってのは平民の間で流れている噂に過ぎない。まぁ勇者と聖女がいたらそうなるよね。物語性あるし。
ノエルが複雑な表情をする。
落胆と諦めと、でもどこかに希望を残したような表情。
「……そっかぁ。まぁしゃあない、頑張るよ」
ノエルが小さく呟く。
レオン。
ノエルもレオンに惚れている。
原作通りだ。
勇者を巡る三人の争い。
原作ではミーニャが進化して、レオンが一目惚れし三人が敗北する。
そして三人はミーニャを罵倒する。
その未来を、僕は回避しようとしている。
「ミーニャ、宿に戻ろうか」
ノエルが僕を抱き上げる。帰宅を察したミラが見送る為に立ち上がる。
「また来なよ、その子も連れてね……はぁ、野良だったらウチの子にしようと思ったのにね」
ミラが残念がりつつも優しく微笑む。
ノエルが僕を抱きつつミラの家を出て、宿に向かって歩き出す。
「ミーニャ、改めて……ありがとね」
ノエルが小さく呟いて僕の額をすりすりと撫で上げる。
僕は腕の中で、複雑な気持ちを抱えたまま、宿へと向かった。
カタリナ、リリアナ、そしてノエル。
三人の好感度が原作よりも明らかに上がっている。
それは勿論良いことだ。彼女等は僕をペットではなく家族のように接してくれている。
でも——。
可愛さ余って憎さ百倍。……そんな言葉がある。今、僕への気持ちが大きければ大きいほど、進化してレオンを横から掻っ攫ってしまった時に反転して生まれる憎しみも大きくなってしまうのではないか。
僕はノエルの温もりに包まれながら、これからのことを考えていた。
どうしたものか。結局今回薬品を手に入れることは出来ていない。……みんな今日で予定を終わらせてしまっただろうし、一人で廃棄場に向かう機会はもう無いだろう。
僕を抱えるノエルは珍しく鼻歌なんて歌っている。
それを聞きながら、複雑な気持ちを抱えつつ夜のスラムを進んでいった。




