第九話:学園長への報告
レイナたちが学院に戻されてから数時間後。王立アルケイン魔導学院の学園長執務室は、昼間だというのに沈み込むような静けさに満ちていた。分厚いカーテンがわずかに光を遮り、重厚な机の表面には、読み終えたばかりの書類が影を落としている。
学園長は深く長い息を吐いた。皺の刻まれた指先が、震えるように報告書をなぞる。シエラが提出した「特別実戦試験報告書」。それは必要最低限の事実のみを記した簡潔な文章でありながら、学園運営に関わる者すべてが目を背けられない重さを持っていた。
「……読み終えました。これが、すべてなのですね」
机の向かいに座るシエラは、汚れた革鎧のまま腕を組んでいた。実戦から戻ったばかりの彼女は、泥の染みが乾くのも気にしていない。表情こそ豪胆だが、その目だけは鋭く、覚悟を決めた戦士のそれだった。
「ああ、報告書の通りだ。レイナ・フォン・エーデルシュタイン、無策な単独突入。仲間の安全度外視。魔力暴走寸前。あたしが止めなきゃ、あそこにいた全員が危なかった」
「……やはり、暴走でしたか」
「断言していい。あれは“偶発”じゃねぇ。“限界突破による制御不能”。あのままじゃ巣穴ごと吹き飛んでた」
学園長は老眼鏡をゆっくり外した。額を押さえ、疲れたように目を閉じる。室内の空気がじわりと重さを増した。
「我々が試験を課した目的は、彼女の協調性を矯正すること……だったはずですが、逆効果でしたね」
「焦燥してんだよ、あのガキは。誰にも頼れねぇ、頼っちゃいけねぇって思い込みすぎてる。だから周りを見てねぇ。自分の強さで全部解決しようとして、結果ああなった」
シエラの言葉は辛辣だったが、嘲りではなく、戦場を知る者の現実的な分析だった。
「……シエラ殿。正直な意見を伺いたい。レイナ嬢は、今後も宮廷魔道士候補として進ませるべきでしょうか」
「無理だ」
その即答は、まるで刃のように音を立てて空気を裂いた。
「協調性どころか、集団行動の足を引っ張る。実戦で暴走なんざ論外だ。周りが死ぬ。本人も死ぬ。それだけの話だ」
学園長は深く瞼を閉じた。
この学院で何人もの天才と問題児を見てきた。だが、レイナほど極端な例はなかった。才能は規格外、しかし心がまだ未成熟。誰もが扱いに悩む存在だった。
「……ならば、こうするしかないようですね」
学園長は羊皮紙を取り出し、試験結果を書く欄に万年筆を走らせた。インクが紙を染め、残酷な現実を形にしてゆく。
「レイナ・フォン・エーデルシュタイン、イオ・アルスター、リリス・オーランド、ガゼル・ブロード。――特別実戦試験、失敗」
淡々と読み上げる声に、後悔の色が滲む。
シエラは黙っていた。
連帯責任――実戦の世界では当たり前であり、温情を挟む余地はない。レイナの暴走が全員の失敗を決めたのは紛れもない事実だった。
「……さらに」
学園長は別の書類を取り出す。レイナの学業成績、魔力適性、各種評価が並んだものだ。
「レイナ嬢の成績は優秀です。ですが、制御不能の危険性がそれを上回る。よって、特別進級は見送り。現学年に留まらせます」
「……本人は納得しねぇだろうが、仕方ねぇな」
「そして、最も重要な判断です」
学園長の声が低く、しかし決然としたものに変わった。
「レイナ嬢を“宮廷魔道士プログラム”から外し、通常課程に戻します。実戦を減らし、座学中心で精神を落ち着かせる必要があります」
室内にまた沈黙が落ちる。
この判断がレイナの未来を大きく変えることを、二人とも理解していた。
「……シエラ殿」
学園長は目を上げ、わずかに柔らかな声を出した。
「貴方の任務は、これで完了です」
「……ああ、分かってる」
「レイナ嬢にとって次に必要なのは……あなたとの“別れ”かもしれません」
その言葉に、シエラは目を細めた。
感情を押し殺したような、複雑な光が揺れる。
「……まあな。そうだろうよ」
「最後に、彼女へ何か言うつもりですか?」
「言うさ。決まってんだろ」
シエラは立ち上がり、扉へ向かう。足取りは重くはないが、迷いのないものでもなかった。
その背に、学園長が小さく呟いた。
「どうか……届きますように」
シエラは応えず、静かに扉を閉じた。
閉じられた扉の向こうに残された学園長は、深い溜息を吐きながら、ただ机の上の書類を見つめていた。
そのどれもが、レイナの未来を左右する重い判断だった。




